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ソーセージ”B-side Story"

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ロックバンド「ソーセージ」https://www.souseizi.com/ 2021年で活動9年目。2020年にN@音(20歳)を正式メンバーに迎えたものの世の中はコロナ禍で手… もっと読む
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2021年5月の記事一覧

ヒーローになりたかった少年の唄2021①

僕はミュージシャンを生業としている。 『ソーセージ』というユニットで多いときには年間250本ものライブをしながら全国をどさ回りした。 http://www.souseizi.com/ https://www.youtube.com/watch?v=-JXrPU24RPk&t=322s このコロナ禍で当然仕事は激減し、派手にライブツアーなどができない日々がもう一年半も続いているわけだ。 こんなにライブをしなかったことは、10代後半から一度もなかった。 それはとても悲し

キセキのロックバンドのキセキ② ナオト編

全国をツアーしながら、各地で熱いライブパフォーマンスを繰り広げてきたロックバンド 「ソーセージ」 が、結成9年目にして「B-side Story」 という新たなプロジェクトを開始した。   B-sideとは、その名のとおり「B面」の意。 これまで見せなかった、彼らの別の顔を見せるというのがこのプロジェクトに、これまで彼らの「A-side」しか知らなかった1ファンの私も、彼らを「B-side」から見てみたいとこの連載をはじめた。 2回目の今回、メンバーのなかでも圧倒的最年少、

ヒーローになりたかった少年の唄2021④

幼き日のSF考 今日の話は、音楽からはちょいと外れて「文学」についての話題にしたいと思う。インスト以外の楽曲を作るときには当然作詞もするので、音楽と文学はまさに切っても切れない縁で繋がっているのだ。 僕は「文学中毒」という病気を長年患ってきた。 インターネットという特効薬の出現によって、YouTube動画なんかに置き換えられ、今ではかなり治まったとはいえ、やはり僕にとって文章を読むという娯楽は、酒、タバコ、音楽と同じくらいに人生を楽しむための大切なファクターであり、精神や

ヒーローになりたかった少年の唄2021③

ファンファーレよ永遠に 小学生の時、学校のブラスバンドにトランペットで参加していた。 「ボギー大佐」とか「ロッキーのテーマ」なんかを演奏した思い出がある。 どういう経緯でこのバンドに参加することになったのかは、よく憶えていない。 男の子のメンバーはほとんどいなかったから、女の子たちに近づきたくて参加したんだっけかな? まぁ、こまっしゃくれたマセガキだったから、そんなことだったかも知れない。 トランペットという楽器にもそんなに思い入れはなかったし、演奏曲目も僕の好きなタイ

キセキの ロックバンドの キセキ ①

人の自分史にフォーカスして生きていると、思いもよらなかったような展開に出くわすことがある。   若いころ、下手なりに真剣にミュージシャンを目ざしていた自分史を持っている私だからこそ、自分が心から認めるバンド以外のライブには行かなかったし、そのあたりにいる有象無象の「ロック風味」や「おかパンク」には全く興味がない。 ロックというのは私にとって、サウンドはもちろんだが、上っ面の見せかけに限らない「一生続くマインドであり生き方」だと思っているからだ。 しかし2013年、そんな私

子供のころ憧れた自分になる二十歳 自分史一話

今日で20歳になる 正直あっという間の20年間 そして更に前に進むために定期的に自分史を書いて 20年間を振り返ってみようと思う。 まずは僕が誰なのかを 山田直人(やまだなおと) 2001年05月20日石川県七尾市にて生まれる 保育園まではまともに登園してたものの、小学校からは不登校。 なぜかというと、周りにいた大人が嫌いだったからだ それでとにかく大人の人達が信用できなかった そんな中初めて本物の音楽に出会う 2011年の2月だった。母の知人に代わりにライブに行くよう

ヒーローになりたかった少年の唄2021②

チェッカーズとエレキギター小学5年生のお正月、弟と妹にもお年玉をカンパさせて、僕は初めてのエレキギターを手に入れた。 いわゆるストラトキャスターというモデルで、二幸お茶の間ショッピングかなんかの広告に出ていた、安~い初心者向けのギターとアンプのセットだった。 もちろんTAB譜も読めなきゃ、コードもわからない、ギターやってる友達もいないし、ネットがあるわけでもないから、練習するっていってもどうやっていいのか全くわからない。 小遣いをはたいて教則本を買ってみても、説明が難しく

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡③初めての楽器 SEiZI/晴志

写真のオルガンはネットから拾って持ってきた。 たしか、こんな感じのオルガンだったはず。 さて、「自分史」なるものを始めてみて気づいたんだが 昭和生まれの俺たち、写真データがない! 多分どこかに、アルバムがあるのだが、親父が転勤族で引っ越しが多かったため、いったいどこにあるのやら??探さないとなぁ。 今の若い人たちは、スマホやパソコンの中に写真あるもんね。 うらやましいし、便利な時代になったなぁ、と思うのだ。 あ、そうそう(笑)オルガン(笑) さて、先述したように

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡④障害者になっちゃった話(前編) SEiZI/晴志

「自分史」として生誕から小学校低学年までは書かせていただきました。 ここでちょっと休憩?ってわけじゃないけど 現在の自分のことを書かせてもらいます。 タイトルにあるように、現在50歳。 ミュージシャンを続けているものの、実は3年前に障害者になりました。 障害者6級。 障害者としては下の方の階級ですが、 両手の親指、人差し指、中指が麻痺して感覚がないのです。 原因はザクっというと「頸椎症」 (詳しいことは後編で書こうと思う) 去年11月、二回目の手術をして、現在は自宅療養

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑤障害者になっちゃった話(後編) SEiZI/晴志

2011年3月28日 忘れもしない東日本大震災から数日後だ。 突然、右腕と肩甲骨に骨折したかのような激痛が走った。 手には痺れもあった。 でも、骨折するようなことをした覚えもないし とにかく激痛で夜も眠れない。 病院は嫌いなんだが、仕方なく外科へ。 「あ、首ですね。頸椎です」 ???最初は何のことかわからなかった。 MRIの検査して 変形性頚椎症、頚椎症性神経根炎、頚部脊柱管狭窄症と診断される。 なんだか難しい名前の病気だ。 「すぐに手術したほうがいいね!」 正直、当

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑥子供の時の霊体験 SEiZI/晴志

座敷童子と遊んでた話 は①話で書いたが、子供のころはとにかく霊的なことが多かった。 俺の頭の中は常にファンタジーだった。 単なる妄想?だったのかもしれないが 虫や花や家具に至るまで みんな俺に話しかけてきた。 座敷童は常にいろんな場所に現れた。 苦労したのが人の心の声が聞こえること。 それは子供の俺には結構きつくて、周りに気を使うし どこかで卑屈な性格を作り上げた。 人の目が気になるし噂話が気になる。 その分、身内にはすごくわがままで ちょっとしたことで拗ねるようになっ

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑦プロの転校生(前編) SEiZI/晴志

俺は親父の仕事の関係で、小、中学校と転校を何度も繰り返した。 当時、親父の仕事は電電公社。今のNTTだった。 単身赴任も何度も考えたらしいが、「家族は一緒にいたほうがいい」っていう考えで俺たち兄弟も転校を余儀なくされたんだ。 正直、子供心に親父を恨んだよね。 せっかく仲良くなっても、必ず別れが来るわけだし それも最初から分かっているわけで 何度体験しても辛く、悲しく、さみしかった。 まだSNSなんてなかったし。 1回目の転校ならまだ前の学校の情報は届くけど 2回目にな

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑧プロの転校生(後編の前編) SEiZI/晴志

転校初日に集団リンチ。 これが俺の10代のすべてだった。 何度も体験した。 悲しい話じゃない。 どちらかというと、「鍛えてくれてありがとう!」な話。 最初の転校は転校じゃなくて転園。 幼稚園のことはもう書いた。 だから転校の話。 一回目の転校は金沢から敦賀。 石川県金沢市小坂小学校から福井県敦賀市松原小学校。 小学校3年生になるタイミングで転校した。 転校初日のことは今でもリアルに覚えてるなぁ。 とにかく悔しかったからさ。 当時、社会は転校生にはそんなに優しくな

風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑨プロの転校生(後編の後半) SEiZI/晴志

転校生の日々も、まぁ、1年も経てばすっかり慣れて、それなりに勉強もスポーツも成績優秀だったので、友達も増えたよ。 敦賀市のマラソン大会に出るのに、毎日、朝晩と走り込んでいた。 親父が自転車で伴走して、朝3キロ。夜も3キロ。 敦賀市が主催したマラソン大会小学生の部 11位だった。 悔しかったなぁ・・・。 10位以内に入りたかったのに。 でも約500人中11位だからかなりいいほうなんだけどさ・・・。 でも実は俺は「サッカー」をやりたかったの。 でも田舎の小さな港町、そんな