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風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑤障害者になっちゃった話(後編) SEiZI/晴志

2011年3月28日
忘れもしない東日本大震災から数日後だ。
突然、右腕と肩甲骨に骨折したかのような激痛が走った。
手には痺れもあった。
でも、骨折するようなことをした覚えもないし
とにかく激痛で夜も眠れない。

病院は嫌いなんだが、仕方なく外科へ。
「あ、首ですね。頸椎です」
???最初は何のことかわからなかった。

MRIの検査して
変形性頚椎症、頚椎症性神経根炎、頚部脊柱管狭窄症と診断される。
なんだか難しい名前の病気だ。

「すぐに手術したほうがいいね!」

正直、当時はこの病気をなめていた。
ライブで全国ツアーも決まっていたし、割と我慢強いので、痛み止めでなんとか我慢できそうだったので、手術は断った。

不思議なのは暖かくなってくると痛みは引いたのだ。
たまに痛みが出ると薬をのんでごまかしていた。

2012年4月ロックバンド「ソーセージ」結成。
はじめての東北慰問が結成2本目のライブだった。
それから、3か月に一度、必ず、東北へ通うようになった。
昼間は仮設住宅や学校、施設を慰問で周り、夜はライブハウスやバーでライブ。年間250本を超えるライブを続けてた。


その間も痛みは出たが、あの震災で「苦しみや悲しみの中にいる人たち」のことを思うと「俺の痛みなんか」って思って、痛いことしんどいことは言えなくなってしまった。

痛みは、ある日突然出て、2週間くらいで消える。
旅先で、何度か病院に行ったが、結果はみんな
「頸椎ですね。手術を」
そのたびに仕事があるんで、と断っていた。

ひどいときは、夜はライブして、次の日の昼間は針治療
これを毎日繰り返した期間もあった。
全国を旅していたので、毎日「鍼灸院」をさがして毎日「初診」。

あんなことよくやってたなぁ。
今から思うと「無茶」しかしてなかった。
でもライブを飛ばしたりお客様をがっかりさせるのがとにかく嫌だった。

2017年12月、初診から7年。
梅雨や冬、季節の変わり目に痛みが出ることもわかってきてた。
ツアーのスケジュールブッキングはずっと俺が担当してたので、
夏の暑いときは涼しい北海道や東北へ。
冬の寒いときは南へ。

だが、この年、夏の北海道ツアーが好評で冬も来てくれ!と。

首に爆弾抱えて極寒の北海道アンコールツアーへ
2.3日で腕が上がらなくなった。
上半身がこわばって痛みもひどくなった。
背中が丸まっておじいちゃんのような体になってきた。
もう限界だった。

2018年3月
頚部脊柱管狭窄症の手術を行う。

約2カ月入院。
両手指に麻痺が残る。
リハビリに1年近くかかった。
障害者6級に認定される。

最初から二回目の変形性頚椎症の手術はやる予定だったが
コロナの影響もあり、厚労省から「人工椎間板」の手術の認可が下りないまま2年以上たとうとしていた。

ライブの本数やツアーはかなり少なくなった。

去年2020年11月
大阪の病院で人工椎間板の手術を受ける。


あれからそろそろ半年たつが、結局、両手指の麻痺は取れていないが
「なってしまったもんはしょうがない」
「すべて受け入れる」

前編でも書いたが、
指が無くなったわけでもないし声も出る。
この状態でギター弾いて歌うさ。


来週、5月10日に大阪で検査がある。
たぶん、その日の診察でライブも解禁になるだろう。
ま、先にリハビリだけど。

この、病気になって一番身に染みたことは

「無理はいいけど無茶はダメ」

我慢せずに、「痛い、つらい」は言ったほうがいい。
我慢強かった自分をちょっと悔やんでいるよ。

↑この「風穴」
自身の病気克服と復活、コロナ禍の中で大変な思いをしてる人たちへ
今は苦しいけれど、また光がさす未来が来るから
「あきらめちゃいけない」という思いを込めた応援メッセージソング。

コロナ禍で顔を突き合わせてのレコーディングが難しい中、全国のミュージシャンたちとリモートでの録音ファイルのやり取りで制作したNew音源と共に、楽曲の世界観を表現した渾身のMusic Video。

二回目の手術の前に撮影していました。
どうしても残したかったんだ。

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