キセキのロックバンドのキセキ② ナオト編
全国をツアーしながら、各地で熱いライブパフォーマンスを繰り広げてきたロックバンド 「ソーセージ」 が、結成9年目にして「B-side Story」 という新たなプロジェクトを開始した。
B-sideとは、その名のとおり「B面」の意。
これまで見せなかった、彼らの別の顔を見せるというのがこのプロジェクトに、これまで彼らの「A-side」しか知らなかった1ファンの私も、彼らを「B-side」から見てみたいとこの連載をはじめた。
2回目の今回、メンバーのなかでも圧倒的最年少、5月20日に20歳になったばかりのナオトの自分史を中心に、彼という人間を見ていこうと思う。
その感動は少年の「実現すべき夢」となった
圧倒的な年齢差がありながら、今はメンバーの一員として、ハッキリとした存在感を示すナオトが音楽と出会ったのは10年前の2011年。
彼が小学校5年生、10歳のとき金沢で開かれた、当時はほとんど見ず知らずのセイジのソロライブだった。
母親と離れて最前列にひとり座ったナオトが、生まれて初めて聴いた生のロックは、「それまで音楽といえばアニメの主題歌程度」だった彼の心を見事なまでに撃ち抜いた。
「めっちゃ感動したんです。『ナマの音ってスゲー!音楽ってスゲー!この人、とんでもないスターや!』って。
そんでライブ終わったあと、セイジ君と握手して、そのあと1週間手を洗わなかったんです。そのことは親には黙ってましたけど(笑)」
この写真がその日のナオト。このあどけない少年が、将来バンドメンバーとして同じステージに立つとは、そのとき誰が想像しただろう。
子どものころの体験がその人の一生を運命づけるという話があるが、「一週間握手した手を洗わなかった」というナオトはまさにそのケース。
さらにこの後出会ったソウのギタープレイがダメ押しとなり、その感動はいつしか「オレはプロのギタリスト、いや『ソーセージ』になるんだ」という実現すべき夢へと変わった。
そして彼は日々のすべてを譲ってもらったギターの練習に費やすようになる。寝ても覚めてもギター。寝るときにはギターを抱えて寝ていたという。
彼の純粋な感動と決意がどれだけのものだったか、私たちの想像をはるかに超えるものがあったことを物語るこのエピソードに、なにかをできない理由を探したりしてしまいがちな私たち大人が学ぶことは多い。
そして2012年10月。セイジの誕生日に、ソウと内緒で練習しサプライズで披露した「スタンド・バイ・ミー」で、ナオトはギタリストとしての初ステージを果たす。
その後も彼の情熱はかけらも衰えることはなかった。
中学になってからはソーセージのツアーに帯同、各地で経験を積んでいき、ついに2019年、正式メンバーとして加入を果たす。
感動の出会いから8年。
「『ソウ』と『セイジ』なんだから君はソーセージにはなれんよ」「君はまだ子どもだろう??」と周囲で諭され、ときには笑われながらも彼は「ソーセージになる」という夢を実現したのだ。
そんな彼は、二十歳になった先日5月20日「子供のころ憧れた自分になる二十歳」で上述のエピソードを含む連載をはじめた。
彼自身の言葉で綴られる自分史も追ってみてほしい。
こうしてナオトは、小学校5年のときの衝撃的な音楽体験から、自らの夢を明確に設定し、それを実現させた。
しかしほとんどの人にとって、憧れや衝動だけでその情熱を維持することはとても難しいことだ。
ましてや当時彼は10歳、なにがそこまで彼の情熱を爆発させたのか。
なにか理由があるとしか思えず、さらに彼の自分史を掘ってみた。
「小学校から不登校」その驚くべき真実
実はナオトは小学校から中学校時代、ほぼ1日も学校に行かない不登校の子どもだった。
ソーセージに出会ってからは、ギターの練習にすべてを費やし、寝る時ですらギターを抱えて寝ていたというほどの情熱をもつ彼が、学校に行かなかったのには驚くべき真実があった。
僕には2歳年下に重度の知的障害をもった弟がいるんです。
ただ小学校のときその弟が、学校の先生に日常的に虐待を受けているのを知って、母親と一緒に地元の警察や教育委員会に訴えを起こしました。
しかしなぜか提訴もできず、周囲の全員が結託して「学校に来ないでください」という話になってしまいました。
そこで行かなくなったら、今度は「子どもを学校に行かせない親に問題がある」ということで、弟は半年間も児童相談所に保護されるはめに。
本当に信じられないほどメチャクチャな話なんです。
僕も児童相談所に入れられそうになったんですが、大暴れしてなんとかそれを逃れました。
そうした末に「もうここにはいられない」と金沢に引っ越してきたんです。
だから18歳になって相談所の管轄外になったときは、本当に嬉しかったですね。
教師や警察といった地域社会から悪者にされ、弟を介護する母親を支えながら3人で生きなければならなかった小学校時代の彼の気持ちは、想像しようとしてもできない。
普通なら世の中すべてを恨み、道を踏み外してもなんらおかしくないはず。
そんな状況の彼をソーセージの音楽が救ったのだ。
金沢に引っ越してからは児童相談所の問題もなく、セイジくんと近くなったので、そこからは音楽が楽しくなりすぎちゃって、結局そのまま学校には行かなくなりました。
親もセイジくんを信用して好きなようにやらせてくれたのは本当にありがたかったです。
僕はそれまで遊園地に親と行くとか、子どもらしいことをしてもらってなかったので、とにかく早く世の中に出たかったんです。とはいえ、母はすべてを僕に話してくれましたし、弟と僕を必死に育ててくれました。
いまも母に感謝なしではいられないですね。
登校はしなかったが、なんとか卒業だけはできたナオトは中学生になり、ソーセージのツアーに帯同を開始。町で警察に職務質問を受けても「親子だ」とごまかしながら各地を回るようになる。
そんななか、ナオトの過去や状況を知らない多くの人は、事あるごとにセイジに「学校に行かせもしないで各地を連れ回すな。セイジはナオトに甘すぎる」と厳しく叱責したという。
しかし事情を知るセイジはそれに決して反論せず、かといって真実を説明もせず、ソーセージになりたいと強く願うナオトを連れて全国を回りつづけた。
16歳になったころ、ナオトはソーセージのメンバーとしての自覚を感じ始めたという。しかし相変わらず周囲からの「学校に行け」というプレッシャーは強く、自分自身も将来のことを考え、一番辛かった時期だった。
メンバーの二人は「高校に行くのもいい。でも最後は自分で決めるんだぞ」と、あくまでもナオトの意志を尊重してくれた。
そこで悩んだすえ、彼は高校に行かずソーセージになるという道を選択し、髪を金髪に染め、伸ばし始める。
これは彼なりの静かで、しかし大きな決意表明だった。
またその時点で髪をヘアドネーション(寄付)することも決めていたといううのも、弱者に対する彼のスタンスを感じさせるエピソードだ。
「なくてはならない存在」へ
こうしてソーセージの一員としての階段を着実に登ってきたナオトだが、さらにそれを決定的にしたのはセイジの首の手術だった。
2012年、突然「頚部脊柱管狭窄症」という頚椎の病気になったセイジが、2018年についに痛みに耐えきれずに手術することになる。
このときのことをセイジも自身のnoteに書いているので、こちらも読んでみてほしい。
手術後、セイジの両手指に痺れが残り、ギターを弾けるようになるまでにリハビリを1年近くかかってしまうことが判明し、ソーセージとしての活動はもちろん休止となる。
夢だったソーセージが活動できないかもしれないという絶体絶命の危機だが、その展開が、ナオトを一段と成長させることになる。
セイジくんが手術して、クルマの運転がそれまで通りできなくなるとソーセージのツアーも難しくなりますよね。
そこで僕は「なんとかソーセージをやらないかん」と思い、18歳の誕生日がきた2019年の5月、すぐに免許を取ったんです。
しかし闘病や手術の後もセイジくんは「ソーセージをやめる」とは一言も泣き言もいわず、常に前向きでした。ソウちゃんも僕も「ダメかも」と一度も思ったことはなかったし、その気持ちは今でも揺るがないです。
そんな二人をもちろん今でも尊敬はしていますが、彼らとの関係はなんて言えばいいんだろう…師匠でもない、親でもない、兄貴よりも近いし、友達というのもなあ。
いうなればそれが全部入ったような感じですかね。
出会ったときには子どもでしかなかったナオトが、こうした強い信念のもと、いつしかメンバーを支える「なくてはならない存在」になり、それは取りも直さず、強固な信頼の絆をメンバーのなかに醸成することになった。
「すべて一人で」初のオリジナルソング
こうして名実ともにソーセージのメンバーとなったナオトも、二人につづき自身初めてのソロでのオリジナル曲を2021年8月初旬にリリース予定だ。
一人のプロミュージシャンとしての世界観を問われるオリジナルについては、プロジェクト始動以前から聞いていながら、ソロとしての作品制作は全く考えていなかったという。
演奏はともかく、作曲や作詞ができないというアーティストもいる。
作品制作についての不安や心配はないのだろうか。
あーやるんだ、という感じでしたけど、そんなの無理だよ!とは感じなかったですね。
生まれて初めて自分の曲を二十歳で作るんで、これまでの人生というか、「二十歳」をテーマにした曲にしようかなと思っています。
リズムとコード進行はすでに頭のなかにあって、歌詞もイメージはあるんで、これも自分のnoteを書いていくなかで作り込んでいこうと思っています。
曲の構成で、いくつかパターンはあったんですけど、最初から考えていたもの以外は忘れてしまったんで、それだけのものかなと。
バラードでもアップテンポでもない曲ですが、できるかぎり楽器は自分で演奏してレコーディングします。さらにもともとやっていた映像の編集もふくめ、全部自分でやってみようと思ってるんですよ。
経験のある映像編集や、弦楽器のベースはともかく、ドラムまで?
正直驚きを隠せなかったが、彼はハッキリと、しかし気負いなく「一人でやります」と言い切った。
二十年という年月を短いと思うか、長いと思うかは人それぞれだろう。
しかし、ナオトが過ごしてきた二十年は、明らかに多くの人とは異なる「深さ」を伴っていることが、このインタビューを通じて明らかになった。
「ソーセージになりたいんだ」という夢に誠実に愚直に、なにより純粋に取り組み続け、それを実現したナオト。
彼が、二十歳という節目に初めてたった一人で紡ぎ出すのは、一体どんな曲なのだろう。
8月のリリース、そしてそれ以降に変容、成長し続けていくであろう一人のミュージシャンの自分史を、今から楽しみに待つとしよう。
・ソーセージ オフィシャルサイト
https://www.souseizi.com/
・ソーセージ「B-side Story」スペシャルサイト
https://www.souseizi.com/b-sidestory
・ナオトnote 「子供のころ憧れた自分になる二十歳」https://note.com/naoto2734/n/n2a77c05d83ef
おまけ ナオトが小6の夏休み、自由研究をソーセージに依頼した動画
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