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ヒーローになりたかった少年の唄2021①

僕はミュージシャンを生業としている。

『ソーセージ』というユニットで多いときには年間250本ものライブをしながら全国をどさ回りした。

http://www.souseizi.com/

https://www.youtube.com/watch?v=-JXrPU24RPk&t=322s

このコロナ禍で当然仕事は激減し、派手にライブツアーなどができない日々がもう一年半も続いているわけだ。

こんなにライブをしなかったことは、10代後半から一度もなかった。
それはとても悲しいことであるけど、ヘコんでいても仕方ない。
この時代に合わせて、なんとか上手く乗り切っていくしかない。

インターネットを介した配信に移行する仲間もたくさんいた。
開き直って、叩かれても旅を続けることを選んだやつもいた。
音楽活動をペースダウンし、別の仕事に乗り換えたミュージシャンも実際かなりいただろう。

果たして自分は今何をやるべきなのか。
僕はその問いかけに、いまだ答えを見出せていない。

そんな中、メンバー各々がソロ音源のミュージックビデオを作ろうという話が出て、今はそのVTRの撮影がだいたい終わり、あとは細かい編集作業という段階にいる。

今回のVTRのタイトルは
『ヒーローになりたかった少年の唄2021』
今年の7月3日、僕の49回目のBirthdayに公開する予定だ。

この曲は、2011年まで僕がギターボーカルとして参加していた「がきおやじ」というバンドでリリースした『ヒーローになりたかった少年の唄』という曲のセルフカヴァーだ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm3988244

そのバンドの代表曲といってもいい。

今回は、このコロナ時代のメッセージソングとして、歌詞や雰囲気も大幅にリニューアルした。
このプロジェクトの一環として、noteで文章も発信しようということになり、その昔物書きに憧れていた自分としては、ワクワク半分、気合いがいつまで続くか不安も半分という気持ちでこのnoteを書き出した。

そうそう、そしてこのnoteは僕の『自分史』でもあるのだ。
これからプロジェクトが終わるまで、毎週一本、日曜日にアップしていこうと思う。


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アニメソングと僕の昭和

1972年(昭和47年)という、団塊の世代が戦後の混沌を抜け出し、高度経済成長で新しいカラーテレビやら洗濯機やら乗用車を手に入れはじめ、月賦で小さな庭付きの白いマイホーム住み、白いギターを弾きながら白い犬を飼う夢を見るようなそんな時代に、僕は国鉄静岡駅からわりと近い半都会の木造ボロアパートに産み落とされた。

第二次ベビーブームの真っ只中。

ガムシャラに働きさえすれば夢は叶うんだとばかりに、エコノミック・アニマルたちは、一億総中流から落ちこぼれないよう、安い賃金でとにかく必死に働いていた。

貧乏人と、それなりの小金持ちたちの息子や娘は同じ学校に通い、皆同じテレビ番組や同じラジオ番組を聴きながら、同じ音楽、同じ本、同じ漫画や映画やファッションなんかに熱狂した。

当時の音楽やエンターテイメント業界の現場も、一般社会と同じくエコノミック・アニマル的なハードワークが当たり前であり、その猛烈な仕事熱の故にホントに素晴らしい作品が頻出する、実に夢のある面白い時代に僕は少年期を過ごした。

しかし今のようなインターネットは当然ない時代。
世界の最新情報は外国から船や飛行機に揺られながら日本にやってきて、赤帽で東京を経由し、その後ずいぶん遅れて宅急便で静岡の街にやってくる。

それだけのタイムラグがあると、新しい情報を追いかけようという気持ちはへし折られてしまい、むしろ少しレトロな古い魅力のほうに幼い僕の心は引っ張られた。

リバイバル世代というのか、小学校から帰った夕方に放送されるテレビアニメは、リアルタイムな新作より、一世代前に流行した「巨人の星」「タイガーマスク」「あしたのジョー」などの再放送が主流で、物語設定も昭和30年代から40年代くらいのものが多かった。

この頃はほとんどの小中学生が、おこづかいで買った駄菓子を食べながらそれを毎日見ていた。

そしてそこには「孤児院」「みなしご」「ドヤ街」なんていう古めかしいキーワードがかなり頻繁に登場してきて、リアル世界ではそんな境遇の奴を見たこともないのに、まるで自分もそんな境遇だったかのように感情移入して物語に没入するのだった。

この時の胸の高鳴りや、感動で流した涙が、今の僕の人格形成の屋台骨となったのは間違いない。

物語の内容もさることながら、アニメのテーマソング、エンディングソングも、当時流行中の歌謡曲とは一味違う独特な歌詞やメロディー、変わったジャンルのものが多くて、その魅力に取り憑かれたことが、僕が音楽の世界に飛び込んだ大きなきっかけになったのかもしれない。

そして、それは今でも僕の音楽性や文学性の根幹をなしていることも間違いない。

そんな色とりどりのアニメソングの中にキラリと光っていたキーワードが「昭和」というやつだった。

ただただ楽しい音楽や、クールでカッコイイ音楽よりも、胸を締め付けられるような切ない「昭和」の匂いが感じられる曲を僕は愛した。

あしたのジョーやタイガーマスクのエンディングテーマのような。

色んな場所でライブをしたり、作詞や作曲をしていくうちに、この切なさのことを音楽の世界では「ブルース」と呼ぶことを知った。

年齢にそぐわないブルージーなものばかりを追い続けた僕の少年時代は、今思えばとても幸せな時間だった。
だが、ふと気がつけばいつのまにか僕は大人と言われる歳になっていた。

そして、いつからか「アニメソング」のことを人は「アニソン」と呼ぶようになった。

そこには、僕が心から愛したあの昭和のエッセンスがほとんど含まれない、新しい時代が広がっていた。

「平成」「令和」と、スゴいスピードで時代は変わり「昭和」というキーワードもすでに陳腐で古臭いものとなってしまったのだろうか。




でもまあ、それでいい。

そういう時代にあってこそ、僕の昭和なブルースはますます加速していくのだから。




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