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風穴をあけろ!50歳まだヒットを狙うミュージシャンの軌跡⑧プロの転校生(後編の前編) SEiZI/晴志

転校初日に集団リンチ。
これが俺の10代のすべてだった。

何度も体験した。

悲しい話じゃない。
どちらかというと、「鍛えてくれてありがとう!」な話。

最初の転校は転校じゃなくて転園
幼稚園のことはもう書いた。
だから転校の話。

一回目の転校は金沢から敦賀。
石川県金沢市小坂小学校から福井県敦賀市松原小学校
小学校3年生になるタイミングで転校した。

転校初日のことは今でもリアルに覚えてるなぁ。

とにかく悔しかったからさ。

当時、社会は転校生にはそんなに優しくなかったよ。
だれでもネットで情報が取れる今みたいな時代ではなかったし
「言葉(方言)が違うだけで完全によそ者だよ」

引っ越し初日、
学校が春休みで、引っ越し作業中の両親を尻目に
はじめての街のはじめての公園へ遊びに行った。
公園の名前は「山公園」
ま、忘れないわ。

砂場で2歳下の弟と砂山を作って遊んでいたら、地元の先輩の子たちが
とにかく見ない顔だから、俺たちの邪魔をしに来る。

砂山を作って出来たと思ったら、みんなが壊しに来る。
大人から見たら単なる子供のいたずらかもしれんけど

本人にとったら「でっかい世界を壊されてるわけ」

4回目で、俺は、砂山を壊す奴らの一人を、
砂庭にあったブロックのかけらで
その子の頭(正確には左耳)をぶん殴った。

そいつは血を流して泣きわめいていた。

「やっちゃった」
俺は子供心にそう思った。
でも許せなかったんだ。

大問題になった。
両親は謝り倒しに近所を回った。
だって、俺達は電電公社の社宅。
その子は電電公社の親父の上司の息子だったから。

その子は左耳の聴力を失った。
今でも悪いと思ってる、が
当時は、やられた分だけやり返しただけだとしか思ってなかった。

でも、「昭和の時代」だよね。

今ほどオオゴトにはならなかったのかも??
ただ今でも「悪いことをした、体を傷つけてしまった」という
後悔の念はもちろんあるし、
名前すら覚えてないが「いい人生を送っててください」と祈ることもある。


さて・・・・

転校後、初の登校初日、
先生が来る前の新しい教室初日。
みんなが
「虫眼鏡で太陽光を集めて黒い紙を燃やして盛り上がってた」
友だちになるチャンスだと思った。
虫眼鏡をもって輪の中に入ったんだよ。
「俺も混ぜて」って。

みんなで色々燃やした。
テンションが上がると止まらない俺は、教室の後ろにある「木の棚」を燃やし始めた。

黒い紙じゃなく「木の棚が燃える」のをみんなキャッッキャ!喜んでくれた。
「仲間になれた!!転校初日、完璧じゃないか!!」

チャイムが鳴った
先生が来た。
学校初日が始まる。

先生が開口一番こう言った。
「なんか焦げ臭いよね?」

そりゃそうだろ??
みんなで虫眼鏡で太陽光で燃やしてたんだもん!
俺は心のなかでクスクス笑ってた。

「先生は何をやったの??誰がやったの??正直に言いなさい!!」
一人の学級委員長的な女の子が言った。

「転校生が虫眼鏡で後ろの棚を燃やしてました!」
その言葉を皮切りに、みんな口々に言いだした。

「転校生の子が燃やした!みんな見てた」
俺の味方は一人もいなかった。

「ちがうよ??みんなで遊んでたんだよね?なんで俺なの?」
先生は全く聴いてくれなかった。
俺は、初日から問題児になったのだ。

それからは、俺は、のけものだった。

授業の教室移動も転校してきた俺には、わかるはずもない。
誰も教えてくれない。
気づくと教室に俺しかいなく、みんなどこに行ったかわからない。

必死で探して「理科の実験室」までたどり着くと
みんなが「あーあ・・・」って顔をする。
先生は「何をしてたの!?」って怒る。

最悪だよ!?転校なんて!!

俺は程なくして「特殊学級」に入れられた。
養護学校とかなかった時代。
学校には「特別クラス」があって、知恵遅れの子たちや障害者の子たちがそこいた。
俺は、普通に自分の教室に行って、1限目が始まる前に俺だけその教室につれて行かれた。
もちろん両親はそんなこと知らない。

「君は普通じゃないんだよ」
でも、俺は、特殊学級の子たちとは違う!と思いながらも、
特殊学級のみんなも、特殊学級の先生も、普通のクラスの先生や生徒と違って、みんな俺に優しかった。
俺には訳が分からなかった。

でもね、
転校から半年くらいで、先生やみんなの俺に対する対応が変わってきた。

自分で言うのも何だが、
勉強もスポーツも俺、そこそこ出来たんだよ
みんなの見る目が変わってきた。

運動能力測定で3年生トップをとった。
運動神経は元々よかったからさ。

夏休みの自由研究で「鬼蜘蛛の研究」をした。
おれは研究内容を「巻物」にして提出した。
それがなんかよく覚えてないけど、敦賀市から賞をもらったんだよ。

俺は着実に「みんなのヒーローへの階段」を登っていったんだよ。

1年後には「問題児の転校生」から「何でもできるやつ」まで上り詰めたのさ。

でも俺にとっては、最初が間違いからだったからね。
俺の中では何も変わってなかった。

それでも調子ぶっこいたやつは手に負えない。
びっくりするくらいに先生も生徒のみんなも、俺に対する態度が変わった。

「見返してやった」
そんな気持ちが俺をどんどん勘違いさせてゆく。

4年生の頃、同じ学年には2人の番長がいた。
俺は番長になりたかった

ある日、ひょんな事でクラスで誰が一番強いか?みたいな話になってさ(笑)
同じクラスのF市君、強かったの。
ボクシングやってたの。

1対1で完敗。

それから俺は「格闘技」にめちゃめちゃ興味を持ち出したのだった。

プロの転校生(後編の前編)は今日はここまで。



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