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あなたへ向けた日記 No.16

大学でお世話になった先生へ

お元気でしょうか。卒業後も、時々お会いしているのでお元気なことは存じていますが、とりあえず。コロナ禍でなかなかお会いできていないのが残念です。

ぼくは、大学受験で第一志望の大学に落ちた事が、ずっとコンプレックスでした。偶然にも、第一志望の大学は、先生の出身大学でもあったのですが。

中学、高校は地元の優秀な学校へ受験で合格。自分で言うのもなんですが、それなりに成績はいい方でした。どれくらい?と言われると具体的にはなかなか表現しにくいのですが、例えば高校受験では理科で100点満点。センター試験(今は共通テストになりました)では物理で100点満点。もちろん、理科も物理も得意教科ではありますが、他の科目もそれほど遜色ない程度には得点できていました。模試の判定ではA判定で、おそらく落ちることはないだろうと、私も思っていましたし、担任の先生も言っていました。

大学受験、第一志望の旧帝大を前期で受験することになっていました。後期は、万が一、第1志望大学を落ちても浪人はしたくないという思いから、地元の国立大学。自分は失敗しないだろう、という悪い安心感から、受験勉強は、今思えばサボりがちだったのかもしれません。このままでは良くないかもなあ、という漠然とした思いはどこかにあったものの、本当に落ちるとは思っていなかったのです。

センター試験で僕の点数に大いに貢献してくれた物理が、大学での前期試験で牙を剥くとは、思っていませんでした。なぜか、すっきり解けなかった。

いや、負け惜しみはやめます。受験直前の追い込みで、僕は周りの受験生に抜かれたのだと思います。僕は、勉強不足だった。あれ?と思いながらも、焦ってはダメだ、とできる問題から手をつけ、気がついたらあまり手をつけられず最後まで。残ったのはわからない問題ばかり。

結局、そのまま大して問題は消費できず。それでも、合格発表当日まで、どこか、「まあ、なんだかんだ受かっているんじゃないか」という楽観的な考えが抜けませんでした。

合格発表の日。今のように、高校生はみんなスマートフォンを持っている時代ではありませんでした。学校へ行き、職員室でPCを借りて、大学のホームページを見て。自分の番号がなかったことは、今でも、悪い夢を見ていたかのような、気持ち悪い感覚だったことを覚えています。世界が音を立てて崩れるような。不思議な感覚。それでも、後で分かったことですが、落ちた中でも一番おしいグループでした。はい、負け惜しみはやめます。

というわけで、僕は前期試験に失敗し、浪人しないためには後期試験でなんとしても、地元の国立大学に合格する必要があったのです。帰りの足で書店へ行き、過去問を買い、その日の夕方から解き始めました。

ショックだったのは、これまで第一志望の大学の過去問に何ヶ月もかけて取り組んできたのに対して、後期で受けることになったその大学の過去問は、ほとんど全問正解でその日のうちに全て完了してしまったことです。

あらら。僕の高校生3年間における勉強はなんのためだったのか。頑張って勉強してきたことは報われなかった。最後の何ヶ月かを少しサボったことで、3年間の努力が全て無駄になるなんて、あんまりじゃないか。ぼくはこれから、一夜にして過去問を解き終わってしまった大学を、受験することになる。

言葉が悪いかもしれませんが、第一志望不合格で荒んでいた僕の頭は、そういう言葉で溢れかえっていました。1年、2年でコツコツしてきた努力は、最後の数ヶ月の努力にあっという間にひっくり返されてしまった。そんなの理不尽じゃないか。

後期試験。結果から言うと、学科内の1番高い点数で合格でした。300点満点中の285点。100点満点に換算したら95点。むしろどこを間違ったんだという感じの、ほとんど満点でした。後期試験で最高得点。嬉しいやら悲しいやら、複雑な気持ちでした。

そうはいっても、大学に入学してからの最初の1ヶ月程度は、ウキウキしていました。どんな新生活になるのか、楽しみだった。でも、数ヶ月経つうちに、やはりぼくが第一志望で目指していたのとは違う感じだったことに気がつき始めていました。

ただ、当然、いつまでもそういう訳にはいきませんでした。ぼくの悪い癖が出てしまったのか、そういう状況に満足してしまったぼくの生活は、やはり突き詰めて真摯に勉強するという姿勢からは遠ざかってしまいました。結果、成績としてはそれほど良くなかったのではと自覚しています。

ただ。先生の講義はとても面白かったのを覚えています。正直、先生の講義は学生からはあまり人気がありませんでした。そもそも内容が難しかった。でも、当時読んでいた本が地震予知に関する小説だったこともあり、先生の講義はとても面白く、興味を持って自発的に色々調べて、勉強していました。固体地球物理学。地震学。他の分野に比べて歴史の浅い分野でありながら、社会的には求められるものがとても大きい。「わからないこと」の方が「わかること」より多い。まあそれはどの分野でも同じかもしれませんが。

久しぶりに頑張って勉強した試験の点数は、忘れもしない、100点満点中の98点。「一度私の研究室まで来てください」と手書きされたのが、もしかしてカンニングでも疑われたのではとドキドキしたのを覚えています。しかし、「興味があるなら、ぼくの研究室に来ないか」とお声をいただいたのは、とても、とても嬉しかったです。

先生と過ごした、学部3、4年と修士1、2年。計4年ほどは、ぼくにとって人生を決定づけるのに十分なほど、膨大で貴重な経験や科学観、ものの見方、生き方など、多くの得るものがありました。ここで語るには多すぎて、抜粋するのも迷うほど。本当に、多くの、多くの得るものがあったのです。

今思えば、先生に出会えて、先生から4年間も教わることができて、結果的には良かったと思うのです。これは、第一志望の大学に合格していたら、叶わなかったことなのですから。他ならぬ先生から教わったことが、今のぼくを形作っていると言っても過言ではないのです。

ぼくはある地盤調査会社で、地震動や地盤に関する解析を行う部署にいます。研究がメインではありませんが、それに近いことをやりながら実務を行う部署です。色々な場面で、先生から教わった知識や経験、地震に直接関係のない雑学のようなことや、科学に関する考え方に至るまで、先生から教わったことが思い出されます。

小学校から大学に至るまで、多くの「先生」にものを教わってきましたが、今のぼくを形作る割合がもっとも多いのは、間違いなく、大学で教わった先生です。ぼくのような不出来なものが師匠とお呼びするのは烏滸がましいかもしれませんが、でも、ぼくは師匠だと思っています。

ぼくが修士を卒業するのと同時に、先生は定年退官されました。これも、ぼくのようなむさくるしい男が運命と呼んでは気持ち悪いかもしれませんが、運命のようなものだと勝手に思っています。

どうか、いつまでもお元気で。コロナ禍でもあり、またぼくにも妻子がおり、帰省した時になかなかお会いできないのですが、またいつか、お会いして色々お話したいなと思っています。

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