見出し画像

玉置浩二『「歌神」と呼ばれる奇跡の歌声』人生を変えるJ-POP[第8回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

現在、活躍しているアーティスト達の多くからリスペクトされる存在である玉置浩二。

彼は、1982年に安全地帯のボーカリストとしてデビューし、今年、芸能生活40周年、またソロ歌手としても35周年を迎えました。

彼はボーカリストだけでなく多くの楽曲も作り提供しているクリエイターであり、実に40年という長きに亘って、数々のヒット曲と共に活躍し続けている存在です。

彼の存在は多くの後進のアーティスト達に影響を与えてきました。クリエイターとしてもまたボーカリストとしても稀有の才能の持ち主です。

その両面が玉置浩二その人を模っていると言えますが、今回は、玉置浩二の歌手としての部分に焦点を当てて書いてみようと思います。

「安全地帯」そして、ソロ歌手として

彼は1958年、北海道旭川市に生まれました。中学2年生の時に転入生の武沢侑昴(ゆたか)とロックバンド「安全地帯」を結成します。

その後、メンバーを加え、1981年、井上陽水のバックバンドとして全国ツアーに同行、翌1982年に『萌黄色のスナップ』でメジャーデビューを果たしました。

1983年に出した『ワインレッドの心』(井上陽水が作詞、玉置浩二作曲)は70万枚越えのビッグヒットとなり、その名を全国に知られるようになったのです。

また、86年には、井上陽水とのコラボ曲『夏の終わりのハーモニー』で、息のあったデュエットを披露し、歌手としての力量を発揮しました。

ソロ歌手としての活動は、1987年の『All I Do』からです。安全地帯では、『恋の予感』『哀しみにさよなら』など数々のヒット曲を生み出しましたが、1993年、グループ活動を休止して本格的にソロ歌手としての活動に専念し始めました。

1996年、自らが出演したドラマ『コーチ』のテーマソングである『田園』が大ヒットして同年末、ソロ歌手として紅白歌合戦に出場しました(安全地帯としては、すでに出場しています)。

この時の紅白では、TOKIOをバックバンドに据えて『田園』を披露し、歌手別最高視聴率59.9%を記録しました。同曲は、放送後から売上が伸びて、結果的にグループ・ソロ通じての最大ヒット92万枚を記録し、ソロ歌手玉置浩二としての存在を大きくアピールしたのです。

このように、歌手としての力量を発揮しながら、彼はクリエイターとしての才能も発揮します。ほとんどの楽曲は自作曲であり、歌手玉置浩二としての魅力を支えているのは、彼自身が作り出す音楽の世界がある側面が大きいように感じます。

V6『愛なんだ』(1997年松井五郎作詞)をはじめとして、多くの歌手に楽曲を提供している彼ですが、歌手としての魅力は、稀有な歌声にあると言っても過言ではないでしょう。

伸びのある高音と甘い中・低音の響きを生み出す歌声

多くの歌手がリスペクトしてやまない玉置浩二の歌声の特徴は、張りと伸びのある高音、そして甘い響きの中・低音です。

ロックバンドの安全地帯の楽曲にはパワフルでかなり高音の楽曲も多いですが、彼自身が話すように、元々の歌声はそれほどハイトーンボイスではなく、甘美な響きを持つ中・低音域が主流と言えるでしょう。

彼は今年9月には64歳になります。安全地帯のボーカリストとして多くのファンを魅了してきた彼の歌声は、40年経った今、益々、円熟味を増していると言っても過言ではありません。

歌手として参考にした存在について彼は「ばぁちゃんの民謡が子守唄だった。いつも身体の中に流れていて郷愁とか哀愁とかを感じさせる」と話しています。

「ばぁちゃんの声がいつもある」と言う彼にとって、幼い頃から祖母の歌う民謡の歌声を聴き育った身体の中には、その歌声とリズム感が体感として刷り込まれているのではないでしょうか。

また、力強い歌声を出すスタイルとして、彼は「歌う姿勢は真っ直ぐ。腹と喉で歌わない、背中で歌う、柔らかい声も、天を突き破るようなデカイ声も」「真っ直ぐ立つ、真っ直ぐ。さあ、かかってこい!っていうような感じでガチッと自分を掴む」と話しています。

「歌は背中で歌う」と言いきるほど、実際のステージ上での彼の歌声は、真っ直ぐに立った彼の身体を太い筒にして、地面から天にむけて声がズドンとその中を通り抜けていく。

ホールでの生歌を聴いた歌声の印象は、まさにそのようなものだったと言えます。

「歌手は身体が資本」「身体を楽器と思え」とよく言われます。身体が資本というのは、声帯だけでなく、身体そのものが共鳴腔になって楽器そのものになるからです。

彼の歌うスタイルは、真っ直ぐに立って歌う、というものです。多くの歌手はパワフルな歌声を出すのに、身体を二つ折りにしたり、天を向いて歌ったりと、歌声を自分の体から放り出すのにさまざまなポジションを取りますが、彼の場合は、真っ直ぐ前を見て、ステージにすっくと立っている。

微動だにしない、けれどもその身体のどこにも余分な力が入っておらず、実に自然な形で大地にしっかりと根を張って立っている、そんな印象を持つのです。

声帯という楽器について

ここで、少し歌手という職業が持つ宿命のようなものを話したいと思います。

歌手は身体が楽器と書きました。それは身体全体が共鳴腔になるということと、音を奏でる声帯そのものが身体の器官であるということに、他の楽器とは明らかな違いがあるからです。

それは「加齢による影響」を避けられない、ということに通じるのです。

一般的な楽器は長く演奏を続けていると、やがてその部分が摩耗し、経年劣化という状態になります。弦楽器なら、弦が伸びる、切れる、ということになったり、管楽器なら、金属の色が変わったり錆びたり、さらには音が綺麗に出せなくなったりします。

これはどんなに丁寧にメンテナンスをしていても、長い年月の間に避けて通れるものではなく、熱心に練習を重ねれば重ねるほど、その影響はある意味、早く現れたりすることがあります。楽器自体が摩耗するのです。

そんな時、演奏者はどうするかといえば、メンテナンスに出す、部品を取り替える、それでも改善しない場合は、楽器そのものを新しいものと買い替える、ということを行います。
 
では、声帯という楽器の場合は、どうでしょうか?

声帯という楽器は、非常にデリケートで難しい管理を強いられる楽器です。たとえば、多くの楽器の場合、適切な指導の下、練習を重ねれば重ねるほど技術的な部分では上達することが出来ると言えます。

ですが、声帯、という楽器はそうはいきません。よほど持って生まれた声帯が強い場合を除いて、何時間も練習すれば、声帯自身が真っ赤に腫れ上がり、酷い場合は水膨れを起こしたりするのです。そうなるとポリープや結節といった故障にも繋がりかねず、いかに短時間で効率的な練習が必要かがわかります。

たとえば、1秒間に声帯は100〜1000回振動します。すなわち数分話しただけで、実に何百、何千回もの振動を繰り返しているのです。何気なく話しているだけでもこれほどなのですから、「歌う」場合はもっと過酷になることは容易に想像できるでしょう。1曲歌う間に何十万回という振動が行われるのです。

2時間、3時間と続くライブやコンサートでは、高い声も大きな声もあります。振動数は声の高さによって変化しますから、高い声になればなるほど振動数は増して声帯に負荷をかけることになります。

これをベテランと呼ばれる人達は、何十年も繰り返してきているのです。だからこそ、なるべく声帯に負担をかけない発声法を身につけようとボイトレに勤しむ歌手は数多くいるのです。

円熟味を増す歌声に魅了される

多くの歌手の場合、加齢の影響は避けて通れません。それは音域的に高い声が出にくくなった、伸びがなくなったという誰もがわかる変化から、音色に透明感がなくなった、響きが混濁している、声量がなくなった、声自体が痩せてきた、滑舌がひっかかるようになったなど、機能的なものまで、ありとあらゆる変化が現れます。

これは、声帯というものが一般的な筋肉の衰えと同じように加齢という肉体的な変化による影響を避けて通れないからであり、歌手はデビューした時から、刻一刻と加齢というものと戦い続けている職業であると言えるでしょう。

自分の身体の調子そのものが、歌という作品に現れてしまう歌手という職業は、ある一定の年齢に達した頃から、誰もが自分の身体の変化に否応なく向き合わなければならず、華やかなステージの裏で、非常に厳しく私生活や体調管理を行なっている歌手が多いのも事実です。

長く何十年も表舞台で活躍し歌い続けている歌手のほぼ全員がストイックに自分の身体を管理していると言っても過言ではありません。

それぐらいしなければ、決して何十年も歌声を保つことはできないのであって、これは持って生まれた才能や歌声がどうのこうの、とか、声帯が強い弱い、というものに全く関係なく、誰にでもほぼ差別なく現れる肉体的老化との戦いなのです。

このような変化を玉置浩二も当然受けてきていると考えられます。しかし、近年の彼の歌声からは、加齢による影響よりも、円熟味を増した歌声の魅力というものを顕著に感じることが多いです。

若い頃の歌声は、今よりもストレートで幅も今ほど太くありません。確かに張りのあるパワフルボイスであり、ハイトーンボイスを多用しています。

しかし、音色という点において、高音域、中・低音域のそれぞれに今ほどの明らかな違いを感じることはなく、全体的に甘く透明感の漂った力強い美声、という印象を持ちます。真っ直ぐに伸びのある歌声は、それだけで非常に魅力的であることには違いなく、多くの聴衆の心を掴むヒーリングボイスであることに異論はありません。

ですが、現在の彼の歌声の方が、ずっと魅力的に聞こえるのは、多くの人の印象ではないでしょうか。

囁くようなウィスパーボイス、声量豊かな張りのあるパワフルボイス、そして柔らかな独特の音色を持ち、小さな音量でも会場の隅まで響き渡るファルセットなど、彼の歌声は実に多種多様な音色を奏でています。

特にファルセットにおいては、独自の唱法が用いられており、マイクを外しても歌うことの出来る歌声は、クラシック歌手と遜色のないほどの声量と響きを持っています。

また近年では、彼はソロ曲の録音はファーストテイク、すなわち録り直しなしの「一発録り」と呼ばれるスタイルで収録していると言っています。当然、最初から最後まで通して歌うスタイルで、仮に最後の歌声が消えそうになっても、通して歌った方が自然でいいものが出来ると話しているのです。

歌声の素晴らしさだけでなく、一つ一つの言葉のニュアンスにかける集中力と表現力が玉置浩二の音楽の世界の素晴らしさとも言えます。

2015年から毎年続けるオーケストラとの共演

2015年から始まったフルオーケストラとの共演による『billboard classics 玉置浩二PREMIUM SYMPHONIC CONCERT』において、彼は、栁澤寿男、湯浅卓雄、西本智実、大友直人、デヴィット・ガルフォースなど世界に活躍する指揮者と共演を果たし、コロナ禍で中止になった2020年を除いて、毎年公演を続けています。

このコンサートの特徴は、楽曲のアレンジにあります。ギターやドラムというバンドテイストで作られた楽曲を全てフルオーケストラバージョンにアレンジし直しているのです。

それは、単にフルオーケストラの音に合わせて歌う、というものではなく、オーケストラの作り出す音の世界と玉置浩二が歌う音の世界の融合によって作り出される音楽の世界であり、それぞれの存在感と奥行きを感じさせるものになっています。

特に『田園』の楽曲に於いては、ベートーヴェン交響曲第6番の『田園』がイントロから始まり、歌が始まっても根底に絶えずそれが流れ続けています。このコラボは実に見事で、お互いがお互いの音楽を主張し合い、対等に掛け合っていく世界であり、見事なバランスでのアンサンブルの世界が表現されていくのです。

彼の歌は、どの歌も非常に丁寧に一つひとつの言葉を紡ぐように歌っていくのが特徴です。たっぷりとした声量から繰り出される伸びやかな歌声は、すべての音域で非常に充実した響きを奏でます。

オーケストラの複合的で重厚な音色に負けないだけの充実感を持った音色で、歌が紡がれていくのです。何十人もが奏でる音と対等な響きで彼1人の歌声が会場を満たしていきます。

ステージ上に真っ直ぐに立ち、その姿から真っ直ぐに伸びやかな歌声が発せられていく。彼の歌声は、真っ直ぐに何の障害もなく、どこまでもどこまでも、オーケストラの音の翼に乗って伸びやかに1人1人の心を満たしていくのです。

どの音域をとってもどの響きをとっても、「完成された歌声」という他に言葉が見つからない。

玉置浩二そのものが、「歌」以外の何者でもない。そしてその歌声の翼に乗って言葉が聴衆の耳に届けられていく。そんな世界が玉置浩二の音楽の世界なのです。

『メロディー』に込める想い

多くの楽曲を作り出した彼が、たった一曲、この世に残すとしたら?との問いに答えた『メロディー』。

「田園と鼻の差でメロディーかな」と話す楽曲『メロディー』はコンサートの最後に多く歌われる一曲です。

あるときはフルオーケストラで、あるときはギター一本の弾き語りで、彼のこの曲を何度も聴きましたが、それまで多くの素晴らしい歌を聞かされた後でも、この曲の「あんなにも〜」のフレーズが聴こえると、「あー、この曲一曲でいい。この曲を聴けたら、もうそれでいい。この曲を聴くためにここにいる」と心から観念してしまうのです。

そして、アカペラのマイク無しの生声は、三階の客席の端っこの隅まで、真っ直ぐに届いていきます。

彼の人間としての温かさに包まれるようにして、温かな歌声でコンサートを終えることが出来る私達は、彼と同じ時代を生きていることの幸福を感じるのです。

「80になっても歌い続けたい」と話す彼には、90になっても100になっても、その命のある限り、歌い続けて欲しいと願わざるを得ません。

「歌神」と呼ばれる彼は、この世に存在する歌の神様そのものです。様々な出来事を経て、今、彼の歌は多くの人の心を癒していきます。彼が存在すること、歌い続けること、それだけで多くの人の心が満たされていくのです。

「歌は瞬間の芸術」と言われます。それは、その瞬間、その場所を共有した者たちだけに許される共通の空間であり、時の流れと共に消え去っていくものです。

玉置浩二の歌の世界は、まさにその『瞬間の芸術』を切り取って与えられる人と言っても過言ではありません。

二度とない瞬間に生きる男、それが玉置浩二なのです。

久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞