螢・納屋を焼く・その他の短編

書影

村上春樹さんの短篇集を最初から順番に読んでいる最中で、これが4作目。

1984年の短篇集。

『螢』
いわゆる「ノルウェイの森」の原型となったもの。すきま風がいつも入ってくるようなもの哀しさがある。
彼女は20歳の誕生日に、しゃべることを止められなくなってしまった。
主人公が寮で一緒に住んでいる吃音の右翼風青年について、その時代の自然のエネルギーみたいなものと頽廃、やり場のない思いがないまぜになっていて、それを傍観している主人公の視線が印象に残る。
もちろんのこと、この話は続きが気になってしまう。

『納屋を焼く』
これは先般、映画「バーニング 劇場版」を観たところなのでやはりそのシーンがよみがえる。
意外と原作に忠実だったのだなぁと思いつつ、ドライブ・マイ・カーほどのある種の力みみたいなものはないけれど、良い映画だったなぁまた観たいなぁと回想。映画と原作ではラストシーンが異なる。
ところでフォークナーの方の「納屋を焼く」はどんな話なんだろう?
総じてこの短篇集には(にも)「ある」とか「ない」とかいう形而上学的な描写がまだ多く残っているような印象を受ける。でもこの「納屋を焼く」何度よんでも僕は好きだ。
パントマイムの上手な女性はこう答える。「そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。それだけ」
別の短篇集に「象の消滅」というのがあるけれど、あれも傑作だと思う。(またそのうち読んでレヴューします)

『めくらやなぎと眠る女』
(以下、引用)
「それで将軍が砦に着くとね、ジョン・ウェインが出迎えるんだ。『リオ・グランデ砦にようこそ』ってさ。すると将軍がこういうんだ、『来る途中でインディアンを何人か見かけたぞ、注意した方がいい』ってね。それに対してジョン・ウェインがこう答えるんだ。『大丈夫です、閣下がインディアンを見ることができたというのは、本当はインディアンがいないってことです』ってさ。きちんとした科白は忘れちゃったけど、だいたいそんなだったと思うよ。どういうことかわかる?」
 僕は煙草の煙を吸いこみ、吐きだした。
「つまり誰の目にも見えることは、本当はそれほどたいしたことじゃないってことなのかな」と僕は言った。
「そうなのかな?」といとこは言った。「よく意味はわかんないけど、でも耳のことで誰かに同情されるたびに僕はいつも映画のそのシーンを思いだすんだよ。『インディアンを見ることができるというのはインディアンがいないってことです』ってさ」
 僕は笑った。

『三つのドイツ幻想』
1945年、ロシアはドイツのヘルマン・ゲーリング要塞を爆撃するがうんともしない。
ヘルマン・ゲーリングの愛したハインケル117爆撃機はまるで戦争そのもの死骸のようにウクライナの荒野にその何百という白い骨をさらした。

【好きな短篇ベスト3】
1. 螢
2. 納屋を焼く
3. めくらやなぎと眠る女

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村上春樹さんは「ないもの」や「失われたもの」に対する眼差しがやさしい。

(書影は https://www.shinchosha.co.jp より拝借いたしました)

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