見出し画像

人類学という名の悪魔

諸行無常という言葉が好きだ。世は常に変化し、万物は流転する。失うものもあれば得るものもあるだろうと思いながら生きてきた。
だが、最近は自分が変化することが怖くなったりする。

考え方が変わってしまった理由は推理するまでもない。犯人はもちろん人類学という名の悪魔だ。奴は人の心にズケズケと入り込み、いとも容易く人の価値観を変えてしまうことがある。

最近そいつがよく頭の中でささやいてくる。

先日、留学から帰ってきた大学の同期がこれから留学へ行く私のために送別会を開催してくれた!1年前と変わらない姿や振る舞い方に安堵し、私はノスタルジーに浸っていた。

「日本食が恋しくなるでしょ!」
とラーメンをプレゼントしてくれた😍


一方で、話していくうちに、友人たちが強盗にあった話、差別らしき扱いを受けた話、価値観を変えられた話を聞き、改めて彼/彼女らが私の知らない遠いどこかで生活をしていたのだと実感する。

しばらく会話が続くと案の定、恋愛方面へと進展する。
議題に上がったのは定番中の定番である「浮気はどこから」になった。
友人の一人が、「パートナーが遠距離恋愛中に風俗へ訪れた場合それは浮気でしょ」と地元の飲み会で言った際に、周りが「そうは思わない」「許しちゃうかも」という意見が多数派だったことに驚いたエピソードを共有してくれた。
その場にいた同期の多くもそれに驚き「やばい!」「風俗は浮気でしょ!」「その人たちおかしいでしょ!」と共感の嵐が巻き起こった。

そこで先述した悪魔が耳元でささやいてくる。

「え、なんでやばいと思うの?」

また聞いてしまった。また問いかけてしまった。
自分でも誰かが「やばい」と思う可能性があることは理解しているのに
問いがおのずと口からこぼれる。
予想通り会話は飛躍し、何とも言えない空気となってしまった。
また大学の授業みたいになってしまった。

そんな中友人の一人が「考えすぎることで返って思考が固定化してるのでは?たまにはバカになるのも大事だよ」という指摘をしてくれた。
もしかするとそうなのかもしれない。それが一番幸せなのかもしれない。

『人類学とは何かAnthropology: Why It Matters』という著書でインゴルドは私たちの目指すべきことは「会話に加わることである。会話の中ですべての参加者が絶えず変容にさらされているような会話に。要するに、人類学の目的は人間の生そのものと会話することである。P33」と述べた。

人類学者として前提へ挑戦することや、考え続けることは大事なのかもしれない。
だが、大学の同期として私は望ましい存在なのだろうか。
きっと、友人が求めているのは共感や談笑であり、決して「空気の読めない」発言ではない。
考えることは非常につらいことであり、脳が沢山カロリーを消費するだろう。
それを承知しているのにも関わらずまた私は誰かに問いかけをしてしまう。
自分のエゴを満たすために、また誰かを不幸にしてしまう。

中華料理の並んだテーブルを囲み、実家の味噌汁みたいな味のするフカヒレスープを啜りながら今日も悩む。

満漢全席
満腹人間

いつかこの悪魔を懐柔したい。真に誰かを理解し真剣に受け取れるようになりたい。
この先私は様々な経験をし変化することもあれば変化しないこともあるだろう。
わがままな話だがどうかそんな身勝手な空気の読めない私も受け入れてほしい。
そして思いを伝えてほしい。

要するに、ありがとう。そしてこれからもよろしく。
そう伝えたかった


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?