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頑張れ!文部科学省とGIGAスクールの仲間たち!4,600億円を無駄遣いしちゃいけないよ!

はじめに

早いもので、このコロナ騒ぎが始まって約2年半。
この間、数度の緊急事態宣言なるものが間を置かずに発出され、やれテレワークだの、飲食店の営業時間短縮だの、ワクチンだの、世間は変わらず色々とバタバタしております。
私はというと、職業柄テレワークなぞできるわけもなく、平日はこれまで通りの電車通勤、密な職場で大声で電話対応する方々に囲まれて粛々と仕事をこなしております。
休日も、生来の引きこもりと極度の人嫌いのため、いつも通りに昼過ぎに起床、いつも通りに日没と共に外食に出掛けるといった生活を続けております。
生活様式を何ら新しくすることもなく、普段通りの生活様式で過ごしています。
そんな私ではありますが、昨年度に業務で担当した「GIGAスクール構想」なるものには、色々と振り回された記憶が鮮明に残っています。

文科省が進めている「GIGAスクール構想」とは、「Society5.0時代を生きる子供たちに相応しい、誰一人取り残すことのない公正に個別最適化され、創造性を育む学びを実現するため、「1人1台端末」と学校における高速通信ネットワークを整備する。」といった途方もない(掴みどころがない)構想で、背景には3年毎に行われているOECD生徒の学習到達度調査「PISA」において、
・学校外でのICT利用は、学習面ではOECD平均以下、学習外ではOECD平均以上
・学校におけるデジタル機器の使用時間はOECD加盟国で最下位
という結果報告が大きく影響しています。
この調査結果であまりにも衝撃を受けたのか、2019年11月13日に開かれた経済財政諮問会議において、当時の安倍首相は「パソコンが1人当たり1台となることが当然だということを、やはり国家意思として明確に示すことが重要」とまで発言しました。
その当時文科省は、今後数年をかけて「児童・生徒3人に1台」のパソコンを配備するという目標を掲げていました。
しかし、この発言を受けて文科省は否応なく配備計画を変更、2024年度中に全国の児童生徒に1人1台のパソコン配備完了へと一気に舵を切ることになったのです。(その後「コロナ禍」のため、前倒しで2021年度中配備完了に変更)
改めて考えてみても、色々とツッコミどころが多い構想です。
そこで、昨年度に私が色々と振り回された内容(疑問に感じた内容)について、段階毎に少し整理をしたいと思います。

配備目的について

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最初に違和感を感じるのは、凄まじい論理の飛躍です。
PISAの調査で指摘されているのは、あくまで「ICT機器の使い方」の問題であって、「機器が少ない」ことではありません。「学校にICT機器が配備されていない」のではなく「授業にデジタル機器を使わない」こと、「家庭にICT機器がない」のではなく、「コンピュータを使って宿題をする」割合が低いことが問題なのです。
現在の日本(少なくとも東京都内の自治体)においては、学校内には相応のICT機器が配備されています。パソコン室には数十台、教室には電子黒板用のパソコンがそれなりに存在しています。
家庭においては、パソコンの所有率はそれほど高くないかもしれませんが、タブレットやスマートフォンを含めれば、ICT機器はほぼ全家庭で所有しているといってもいいでしょう。(確かにICT機器を所有していない家庭への支援は必要ですが、このことをもって数千億円の予算を使って一人一台の配備を行う必要はないと思います)
ハードウェアが行き渡っているにも関わらず学習面での利用が少ないということは、学習用コンテツの貧弱さや、教員の授業の進め方等のソフト面に問題があるということです。

話は逸れますが、日本全国の児童生徒に1人1台の端末を配るには、途方もない初期コストがかかります。また、巨額のランニングコストもかかりますし、端末は数年で陳腐化するので機器入替の経費も莫大なものとなります。
安倍氏は、何故このようなとんでもないことを言い出したのでしょうか?
氏がパソコンを全く触ったことすらなく、パソコンについて一度買えば10年位使い続けられる他の生活家電程度の認識しか持っていなかったのでしょうか?
それとも、業界の噂で聞くように、GAFAに名前を連ねる某G社による政治圧力が原因だったのでしょうか。
まぁ、今となってはどうでもいいことではありますが。

日本と海外の環境の違い

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授業や学習におけるICT機器の利用について、一体、何故これ程までに諸外国と日本では差が出るのでしょうか。

諸外国(といっても情報が検索し易く、Google、Apple、Microsoftを産み出したアメリカだけですが…)の例をその当時に少し調べてみましたが、あまりにも日本と違うので非常に驚いたことを覚えています。

先ずは教科書の違いです。
スティーブ・ジョブズが亡くなった数ヶ月後、Appleは教育関連のイベントを開き「教科書を再発明する」「新しいiBooksを使えば、デジタル教科書がiPadで読めます」と大々的に発表しました。そこでは「今までの教科書はポータブルではない」との発言もありました。
アメリカの教科書は巨大で、鞄に入れて気軽に持ち帰るようなサイズではありません。
しかもアメリカでは、教科書は共有財産として学校からレンタルで借り受けるものであり、破損等した際には高額な弁償をしなければならないのです。日本の教科書のように、書き込みするなどもってのほかと言うわけです。
そこで、生徒は教科書に頑丈なカバーをかけ、学校のロッカー等に置いたままにしているそうです。
つまりアメリカでは、学校外で紙の教科書を使って宿題ができないのです。
調べたところ、アメリカほど極端でなくとも、ヨーロッパ等でも教科書を持ち帰れない国は珍しくありませんでした。

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次に学校の授業内容等についての違いです。
日本では文科省が定めた学習指導要領に沿って授業が行われ、日本全国どこでも学習内容にそれほど大きな違いは見られません。
ところがアメリカにおいては、コモン・コアと呼ばれる学習指導要領的なものが2014年に策定されましたが、教科が数学と国語限定で法的拘束力もないとのことです。
学校は、学区の教科書リストの中からの選択も自由にできるし、選択した教科書に基づくカリキュラム作成も教員に寛大な裁量が認められています。
つまりは隣同士の学校で、同じ学年・同じ教科であっても、教えている教科書も違うし、内容も全く違うのです。

このような背景があって、凄まじく多岐にわたる内容に応えるために教科書が巨大化したらしいのです。

この2点の違いをまとめると以下のとおりでしょうか。
・日本では自宅で紙教科書を使って宿題ができる。
・アメリカでは自宅で紙教科書を使っての宿題はできない。
・日本では学習指導要領に沿って授業を行わなければならず、学校による授業内容はほぼ同じ。
・アメリカでは拘束力のある学習指導要領がなく、カリキュラム作成に関しても個の教員による裁量が認められているため、学校により教える内容がバラバラである。

もちろん、このことは日本とアメリカの教育環境・内容について優劣をつけるものではありません。
また「GIGAスクール構想」においても、1人1台配備の目的は多岐にわたっています。
しかし、上記のように日本と諸外国において教育を取り巻く環境は全く違っていて、この違う土台を基にしたPISAの結果について比較することに何の意味もありません。更に、このことをもって構想の発端の一つにすることは、構想の進むべき方向を大きく誤らせるものだと思います。

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最後に、文化・学術資源のデジタル化についての違いです。
日本のMLA(博物館(含、美術館などMuseum)、図書館(Library)、文書館(Archives))における文化・学術資源のデジタル化の取組は、諸外国と比べてかなりの遅れを取っていると言われています。
2001年に、日本はIT戦略本部を内閣に設置し「e-Japan戦略」を推進しました。ところが、日本でようやくネットワーク・インフラの整備等に重点が置かれはじめた頃、諸外国では、すでにコンテンツのデジタル化に焦点を当てた動きが強力に進められていたのです。
日本では、資料購入予算のない博物館が全体の半数以上ともいわれ、文化・学術資源のデジタル化は進んでいません。
図書館も予算の削減のため、デジタル化を進める余裕のある自治体は殆どないといっていいでしょう。(このことは、既得権益を持つ書籍販売業者の組合の働きかけもあるのですが)
2017年の段階で、1300以上あるといわれる日本の図書館で、電子図書館と呼べるものは僅か30館。一方、アメリカでは、図書館のうち95%以上が電子図書館化していると言われており、世界でも電子図書館がスタンダードとなりつつあります。
公文書館も、諸外国と比較して圧倒的に数が少ないといわれていますし、そもそもデジタル化すべきコンテンツが収集・整理されていないという現状もあります。

そして、日本が足踏みしている間にも、諸外国の文化・学術資源のデジタル化は一層加速し続けています。
ニューヨーク公共図書館では、2016年の段階で著作権保護期間が満了した資料18万点以上をパブリックドメインで公開しました。
スミソニアン博物館では、所蔵品280万点を2D-3Dモデルでオンライン公開し、それらは自由に再利用可能となっています。

つまり、日本において多くの文化・学術資源に触れるためには、それらがデジタル化されていないがために、実際に図書館や博物館に足を運ぶしか方法がないのです。自宅にいながら図書館や博物館を巡り、デジタル化された資源に触れることが著しく困難なのです。

法律で定められた教科書の一律の学習内容(無償配布)で、その他の学術資源はデジタル化の遅れによりアクセスが困難な状況では、PISAの調査項目にある「学校の勉強のために、インターネット上のサイトを見る(例:作文や発表の準備)」数値が低い(日本6%、OECD平均23%)のは当然の結果だと思います。

【参考】
「我が国における文化・学術資源のデジタル・アーカイブ事業推進のために-海外の事例 を参考に-」について
「海外の文化機関における デジタル情報資源に関する基礎的調査 報告書」
「世界では当たり前の「電子図書館」なぜ日本では見かけないのか?」

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ここで、日本の小中学生の環境を冷静に想像したいと思います。
ある小学生の1日を例とします。

・Aくんは朝起きて学校に向かいます。
・学校では、クラスの友達と一緒に教科書を広げて授業を受けます。
・先生の授業は学習指導要領に沿って、検定を受けた教科書と準拠した教材を使って行います。
・授業の内容は隣町の学校でも、遠く離れた学校でも原則同じです。
・転校してきたBさんも安心して授業を受けています。
・帰宅したAくんは晩ご飯前に宿題に取りかかります。
・教科書を広げて宿題を進めていましたが、興味を惹かれる事柄がありました。
・Aくんは図書館にでかけて、関係のある本を調べて宿題を終わらせました。
・図書館で調べた結果が面白かったので、今度の土日に両親と博物館に見学に行きたいと思いました。
・そして、図書館から借りた本を読んでから布団に入りました。
学校から配られたiPadは、使う機会がありませんでした。

このような状況にならないことを祈るばかりです。

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