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『残照霧散』

また、逃げられた。
女にではない。お金でもない(それはもともとない)。言葉だ。その、『きっかけ』だ。ゆめの中で私の目の前にあった。私はそれを、両の手で柔らかく包んで、片目を近づけて季節外れの蛍のように明滅する、ひかるきっかけの文を手ににいれた。
朝、くしゃみひとつして起きた。「さむい、さむい、さむい」と三度呟いた瞬間に、きっかけが霧散した。あのゆめで頂戴した、きっかけの言葉が「さむい×3」になっていた。また、逃げられた。

『ゆめのおくりもの』、十年ぶりに文章を書いてる私にとっては、大変ありがたいおくりものなのだ。それが「さむい×3」に変じてしまった。この文章を書きながらも、頭の片隅にある霧散した言葉の微かなひかりの、きっかけの残照をさがしている。
布団のなかでスマホでポチポチ書いていたら、『残照霧散ざんしょうむさん』という四字熟語を見つけた。『霧散』も『残照』も馴染み深い言葉だ。けれど『残照霧散』という、四字熟語は学のない私との、はじめての邂逅だ。「やあ、おはよう」と、私は挨拶をした。その隙に調べたところによると、そんな四字熟語はないらしい。なんでなのだ私のスマホよ。どうしたんだ私よ。

どうやら、雲散霧消うんさんむしょう雲集霧散うんしゅうむさん、の勘違いだった。私は朝からなにをぼんやりしているのだ。目がぼやけていただけだったようだ。老眼のつらいところだ。仕方ないから『残照霧散ざんしょうむさん』という四字熟語に意味を与えてあげよう。意味を与えるということは、『残照霧散』にいのちを吹き込むということになる。大それたことだ。
私は矢野顕子さんのファンでもある。曲名を拝借しよう。
それは、こんな意味だ。


『ごはんができたよう』

「ごはんができたよう」
公園からいっせいに
子らが駆け出した
きょうの、日のいのちは
もう、わずかの夕
ずっとながくのびた子らの陰は
駆けながら地面からいっぱいに染みだした
もう、暗がりとちがわない
「じゃね、ばいばい」
きょうの、日のいのちは
雲がくれしながら西に沈みゆく
日は、きょうからきょうへ
まだ、きょうのある西の子らのもとにゆく

「パンが焼けたよう」
凸凹の町からいっせいに
子らが凸凹を乗り越えてゆく
四つん這いの子らもいる
ずっと、西のくにの日はまだ高い
子らの、ま下の陰は凸凹のパズルだ
西のくにの日は盛りの刻で
あと七時間の日のいのちがあった
「昼飯たべたらね」

あれ、陰が凸凹から剥がれた
日のいのちはまだ高いのに
また、陰が凸凹から剥がれた
巨人の手が空から下り
ひとつまみづづ
めり、めり、めり、めり
一つ、二つ、三つ、四つ
陰が剥がされてゆく
片手じゃ足りない
私の指では足りない
まだ、高い日のいのちのまえに
陰が凸凹からゆらめきなが剥がれてゆく
熱いかげろうのなか
陰が凸凹の地面から剥がれてゆく
巨人の手の乱暴な一つかみの轟音がした
陰が凸凹の地面ごとひっぺがされてゆく
巨人の手はだんだん機械的で無機質になる
めくり、めくり、ひっぺがされてゆく
巨人の手は肘まで凸凹の穴に埋まっていた
ざくり、ざくり、ねじり込んでゆく
巨人の手は、陰を探して穴ほりをしている
西のくにのきょうの、日のいのちは沈んだ
日は、そのまた西の子らのもとへゆく

日は、東のくにの明日へついた
「ごはんができたよう」

『残照霧散』とは、こんな意味だ。


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