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ポジティブじゃなくていい

2021年1月

人づきあいや子育てのことで考え込んだりふさぎ込んだり。そんなときは、そこにわざわざ立ち向かうことも選択肢の一つ。

心がザワザワと落ち着かないとき、その場から逃げることばかり考えてしまいます。感情の浮き沈みが激しくなって自分を見失います。

HSPという言葉をよく耳にするようになり、わたし自身そういうタイプなんだなぁと知れば知るほどなぜかホッとしている今日この頃です。周りの強い感情を自分ごとのように感じてしまう能力。それをコントロールできるようなったらすごいだろうな。まだまだ45歳ごときのわたしには難しいか。


両親は昔、毎年のように夏になると伊豆の下田にある綺麗な海水浴場に連れて行ってくれました。

そこは波が高いことで有名で、小学生の私には恐怖でしかない。でも泳ぐことは大好き。日焼けでヒリヒリ眠れない夏を何度も過ごしました。

父は佐世保出身の九州男児。ヤリ1本で海底にもぐり魚を捕まえるのが得意。当時から体格がよく、しかもスキンヘッドだった父は海坊主そのもの。

そんな父に教えてもらったこと。

波が高くて怖いなら、その波に向かってモグればいい。逃げようとするから襲われるんだ。

海で泳いだことがある人は分かると思いますが、波にのまれると物凄い勢いで全身をグルグルめちゃくちゃにされ、浜辺に打たれます。

ある夏、何度も挑戦した後、突然出来るようになりました。

水面がゆっくりと盛り上がり高く高く空が見えなくなったときにはもう遅い。その直前を見極めるのが大事。波の下へ下へ。砂場に背を向け、波の真正面から思い切りその壁に向かって飛び込み、無我夢中で泳ぐ。

ハッと気づくと、波は遥かかなた、白い砂浜で小さな子どもたちを喜ばせる小さなアワアワに。

隣にはぷかぷかと浮かぶ海坊主の、あ、違った。父の笑顔。

私にもできた。あんなに高い波を超えられた。父は覚えていないだろうな。

波にのまれグルグルめちゃくちゃにされた苦い塩味の記憶、波にもぐりこみ、うまくかわせた爽快感。35年前のあの夏を今頃になってよく思い出します。


人付き合いがうまく行かないとき、逃げるよりぶつかって行くと、すんなり解決出来ることも多い。「ぶつかる」って、反抗とかいきり立つという意味ではなく、その懐に誠意を持ってそっと入るイメージ。

「どう思われたかな。」「変なことしちゃったかな。」不安に押しつぶされそうなときは、そのままどんどん自信を無くし離れていってしまいがち。

だけど、直接聞く、または、何も無かったように明るく挨拶をするだけで、あっけなく解決することもある。ほとんどは自分の妄想だった、ということに気づければいい。

だけど、こうして悩みそのものにぶつかって行くことは、誰にでも出来ることではない。言うだけは簡単。


中学生の娘は、昔から感受性が強すぎる面がありました。まだまだ精神的にも不安定な時期。友達のたった一言で大きくキズつくこともしばしば。

もう少しだよ。もう少し大きくなれば楽になれるよ。自分にとって居心地の良い場所が見つかるよ。

心の中でいつもそうやって応援しています。そして、自分も周りに溶け込めず同じだったなと思うたびに、なぜだか「もうちょっと頑張れるんじゃない?」と思ってしまうのです。

「こうすればいいよ」「こうしたらきっと楽になるよ」とアドバイスをしているつもりで、本人の心の根っことは違う方向へ無理に向けさせようとしていたのです。

誰もが波を越えられるはず、なんておかしい。越えられなくてもいいのに。自分ができたのだから相手にもできるはず、と信じるのは素敵なことだけど、押し付けてはいけない。

どんなに話しても話しても、学校を休んでカフェでのんびりゆっくり癒やされても、変えられないものは変えられない。


2021年12月

上の文章はずいぶん前に書きました。内容が繊細な上、読む人に「強さも必要」と押し付けがましくないか、「ポジティブであること」が絶対的な善であるような印象を与えないか、余計に辛さを与えてしまわないか、、、、、読み返すと悩んでしまう自分がいました。娘も娘なら、わたしもかなり感情に神経質な人間です。

夕方になると感情にまかせて大泣きする娘を見て、弱いこと、逃げることもOK。という言葉を娘に繰り返し言う自分がいます。ネガティブな感情を無理にポジティブに向かわせることは難しい。無理しなくていい。

昔、波を越えられたように、「自分ならこうする」という強い思いを押し付けていないか、この頃は言葉を慎重に選ぶようにしています。

そんな時、同じようにHSC(生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質もった人)だとおっしゃるお子さんに出会いました。娘にとって数少ない友達のひとりです。彼女のお母さんの言葉にハッとしました。

「いつもポジティブでいなくちゃ」

お子さんは確かに感受性豊かであるがゆえに苦しい日常を、そのポジティブさで乗り越えているお子さんです。まさに、私自身がそちら側でした。

でも、娘はちがう。

ポジティブであることが逆に苦しい。どうしたらいいのかわからない。自分にとって心地の良い環境にいること。それが今は唯一の逃げ場所。

友達のお母さんが娘を励ます姿を見て、ありがたいと思うのと同時に、娘が感じている違和感に気づきました。

私たち母娘はとても仲が良い(はず)。娘の気持ちにいつでも寄り添い、一緒に泣き、励まし、乗り越えてきたと思っています。それでも、私は知らなかった。

娘は学校での辛い環境でひとり苦しみ、友人にさえ相談していなかったこと。学校では周りを気にし過ぎて、深い話ができるような環境でないこと。

授業やスクールバスの定刻に合わせた行動の中で、そんな時間が全くなかったのも問題だけど、家でどれだけ心の充電ができても、一歩外に出たら、その間ずっとひとりで抑えられない気持ちを抱え込んで過ごしていたという事実を知り、私なりに精一杯寄り添っていたことは、不十分だったんだと反省しています。

型にハマった考え方をしていたことに気づくことができました。HSCやHSPという言葉でひとくくりにしてしまうのではなく、その中でも、一人一人は違う人間であり、ポジティブに考えなくちゃ、という感情が自分を盛り上げていくタイプと、じっくり自分と向き合う時間をもつことでエネルギーを蓄えていくタイプと、もちろんそれ以外にも100人いたら100通り。

娘とわたしは違う人間。

環境を変えよう、学校なんて辞めればいい、無理に自分を変える必要なんてない。というわたしの言葉に、娘は泣きながら何度も何度もうなずいていました。


2022年10月

中高一貫で規則厳しめの女子校を辞め、自由と生きる希望を手にしたのは今話題のN高校を選んだから。と言っても過言ではないかも。土日になると「早く学校に行きたい!」というほど、人生を楽しむ今日この頃。

娘の気持ちと夢と希望、それから社会の動きとたまたま近くに開校したキャンパス。すべてがタイミング良くピタッとハマりました。


悩んだり不安になったりはもちろん日常茶飯事だけど、何事にも積極的で、明らかに変わりました。この日のために苦労してきたんだね。

ずいぶん温めてしまった上の文章ですが、せっかくなので書き上げておかないと、と思い続きを書いています。支離滅裂ですが、思春期の子どもと更年期に差し掛かる母の迷いとか反省の気持ちを記しておいて損はないはず。

高波くぐりの遊びは決してマネしないでください。そういう時代でした。真っ黒に焼けても「子どもは平気だ」という時代。今じゃそのおかげで?シミに悩む中年おばさん。

いつか子どもが出来たら、一緒に海に行き、「高い波なんて怖くないよ」と教えてあげようと思っていたけど、とんでもない。まず日に当たりたくない、水着なんて着られない、きっともう泳げない。そして、今は海のない県在住でした。

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