マガジンのカバー画像

英雄児育成の盛池塾

12
「よばあたれ」といじめられた坂本竜馬、 「うつけ者」とバカにされた織田信長、 「姫若子」とよばれるほど内気だった長宗我部元親、 超KY大村益次郎、超どん臭い吉田松陰。 超発達児・… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

一生懸命な母親がやっていたのは「子育て」ではなく「子守り」だった。

たとえば、加熱したヤカンがあったとする。それに触らないようとするのが「子守り」だ。一方、あえて触らせて学習させようとするのが「子育て」だ。もし大火傷するようであれば、むろんそんなことはさせないが、そうでない限り、学びの機会は摘むべきではない。子供を生涯護りつづけられるわけではない。人生体験から得た叡智を、どれだけ子供に授けられるかが、子育ての本質なのだ。夫婦喧嘩の多くは、子供への向き合い方が発端となる。その多くは、母親の「子守り」対父親の「子育て」という図式ではないか。すくな

「教育費」の呪縛は、もはや時間の問題だ。

学歴=家の財力という時代があった。 子供の教育費が不安だ。それは、金銭的に困るというより、イメージとして捉えられないからだ。 教育費は親という立場の者にすれば、あらがうことのできない、いわば聖域である。 「子供の教育だけは」というのが、世の親の赤心であるし、私もそんな気持ちでいる。 話はそれるが、ひと昔前まで、学歴はなかばカネで買えた。露悪的な言い方であるが、要はカネがなければ大学には行けなかったのである。 昭和15年生まれの我が親父殿は大学卒だ。一橋大学に入るのに、あの時代

「男の子はむずかしい」という母親へ

母親は女性たるおのれの感性を頼りに、息子に向き合ってはならない。 男は共感されるとみじめな気持ちになる。共感というより「同情」といったほうが的確かもしれない。ともかく男というものは、へんに寄り添われると心萎えるものなのだ。 「そんなの悩みのうちに入らないわよ」と背中をバンと張られたほうが気持ちが晴れる。男が欲しているのは「共感」ではなく「激励」なのだ。 だが、そんな男心をわきまえた女性はきわめて少ない。 むろん、これは逆もまた真なりだ。「そんなの悩みのうちに入らないよ」などと

有料
100

働かせれば、子供は懸命に勉強する。

学校の「社会体験」が、子供の社会性を損ねている。 無着成恭の『やまびこ学校』は胸を打つ。学校に行きたい、存分に勉強したい、父ちゃん母ちゃんに楽をさせたい。そんな子供の赤心が胸にしみる。 あの時代、農村の小学生の日常は勉学ではなく、労働が主体であった。 農作業や家事、そして子守に明け暮れる。学校はそんな日常から離脱できる、つかの間のパラダイスだったのである。 私の恩師は鳥取県の片田舎出身だ。彼は親から「東大に行くのなら、進学させてやる」と言われて無我夢中で勉強した。そしてみごと

母権膨張で、家族は消耗する。

サラリーマンたちは「仕事」と称して遊んでいるうちに下克上されていた。 「男はバカ」と言い放つ女は喝采を浴び、「女はバカ」と言った男は吊し上げられる。これが時勢というものだ。 安倍首相やトランプ大統領を批判するのはたやすいが、膨張する女権を批判するのは命がけだ。 時の権力者は、いまや政治家ではなく女なのである。 時勢というやつには敵わない。司馬作品ではよく用いられる言葉だ。 家康を勝たせたのも時勢、明治維新を成功させたのも時勢。兵の多寡や将の能力以上に時勢がものをいう。 バブル

有料
100

子供の将来を決定づけるのは、学校ではなく家庭文化だ。

行動力は、おっちょこちょい者への神様からの贈り物。 ・テーマを追求する。没入最高。 ・行動力がある。跳躍最高。 ・粘り強く取り組む。めげない精神力最高。 このところ、坊やの進学に向けて学校説明会にいくつか参加したのだが、いずこも育成したい人物像は通底していた。私なりに煎じ詰めれば、上記の3点となる。 不遜を承知でいうが、この理想の人物像は私そのものである。 私の人生のテーマは「家族文化と自己教育」である。これを、仕事とはとくに関係なく、30年近く探求し、文章や語りで発表してき

有料
100

親と同じ仕事に就くのが賢明だ。

「学校スター」は、社会に出てから転落する。 学校には20年通ったが、社会性は身につかなかった。学校に対する反発心から、むしろ反社会性が身についてしまったかもしれない。 まがりなりにも社会性らしきものが身についたのは、仕事を通じてである。 私は大学2年で起業した。途中4年ほど会社に勤めたが、前後20年もの間、自営業者として生きてきた。 名刺や肩書きに頼れない身の上、そのなかで切った張ったするためには、その世界でのしきたりやつきあい方に習熟しなければならない。それが私の社会性の

有料
100

不登校児は、超登校児。学校に戻す必要はない。

これから、不登校児は、幕末における「脱藩者」のような位置づけになるのではないか。 当時、武士は藩を抜けること、すなわち脱藩はこれ以上ない罪であった。当人の切腹のみならずお家断絶という苛烈な処置を受けた。 だが、坂本龍馬をはじめ、時代をさきがけ、切り開いた志士たちは藩という絶対的な存在から離脱し飛翔した。 その後、彼らの多くは罪に問われるどころか、次の時代の担い手となったが、その初期においては、犠牲となった者も少なくない。 私には、彼らの姿が、不登校児として肩身の狭い思いを強い

有料
100

「学校、べつに行かなくてもいいよ」で、子供は救われる。

「教育とは、そもそも取り越し苦労からはじまる」とは司馬遼太郎の言葉。来年に迫った坊やの小学校入学を前に、日々取り越し苦労をしている。 昨日はいじめ自殺について、あれこれ調べてみた。 この問題について以前から不可解だったのは、親の観察と注意のありようである。どうして、子供の危機的状況に気づかなかったのかという疑問だ。 当然なかには、目に見える傷を負っているのに放置したという親もいる。荒れている家庭ではよくあるケースだ。 だが調べてみると、おおかたは、子供自身がいじめられているこ

有料
200

「メディア全面禁止」の子供は、メディアの餌食になる。

子育ての大問題のひとつにメディアとの向き合い方がある。過日、こんなやりとりがあった。 その友人の家にはテレビはなく、ネットも親がスマホを保有するにとどまる。当然、ゲームなんてもってのほか。 一方我が家は、家内は日がな一日テレビを見て過ごし、私も子供を前にしてタブレットを手にして語りかける。 そんな我が家のメディア環境に対し、友人はその害悪を唱えてやんわり批判してきた。 私にしたって、ゲームをはじめとしたメディアが害が生じうることは百も承知だ。岡田尊司氏の『脳内汚染』の衝撃は生

良妻は、なぜ愚母に陥るのか

「いい人ね」と言われる男より「ワルい人ね」と言われる男のがモテるのが現実。 良いことをしても成功できない。成功するには、実効性のある方策を実行するほかないのも現実。 世の母親はワルい男に惹かれても、息子にはワルい男になってもらいたくない。 世の母親は現実的な戦略家だが、息子には賢しらな戦略家になってもらいたくない。 息子にはいつまでも純な存在でいてもらいたいーーそんな御都合主義を克服できれば、たぐいまれなる賢母よと賞賛されるのであろうが、その域に達するのは並大抵なことではない

夫婦円満家庭の子供たちは、どうして不幸になるのか

夫婦仲がいいのはたいへんけっこうなことだ。だが、価値観があまりにも近いことは、子供(とくに男児)にとって不幸なことかもしれない。 理想的なのは、父母がそれぞれ異なる価値観を持っていながらも、おたがいを尊重して併立している状態であろう。 加えて、祖父母や叔父叔母、近隣の人びとといった人びとがそれぞれの価値観を持ちながら近くにいれば最高だ。 「逃げ場」といえばネガテイブだが、その時の気分によって渡り歩ける環境こそが、子供にとって「のびのびできる環境」であるといいたい。その点、我が