不登校児は、超登校児。学校に戻す必要はない。

これから、不登校児は、幕末における「脱藩者」のような位置づけになるのではないか。
当時、武士は藩を抜けること、すなわち脱藩はこれ以上ない罪であった。当人の切腹のみならずお家断絶という苛烈な処置を受けた。
だが、坂本龍馬をはじめ、時代をさきがけ、切り開いた志士たちは藩という絶対的な存在から離脱し飛翔した。
その後、彼らの多くは罪に問われるどころか、次の時代の担い手となったが、その初期においては、犠牲となった者も少なくない。
私には、彼らの姿が、不登校児として肩身の狭い思いを強いられている子供たちと重なってみえる。
「学校」から脱した彼らは、「藩」に馴染めなかった志士たち同様、常人にはない才能と気概をもって、これからの社会を創出していくことだろうが、彼らが活躍する新天地はまだ完全に到来していない。まだ世間の認識のおおかたは「幕藩体制」だからである。
以前、お節介おじさんが「不登校児を学校に戻すボランティアをしている」と得意げに言ったので、ちょっと腹が立ち、「彼らは起業家や芸術家の卵。よけいなことをしなさんな」とたしなめてしまった。
不登校児は学校で期待される要件を満たしにくいだけのことである。むしろ、彼らが凡百を超越した能力を持っている可能性のほうに期待すべきだ。
司馬遼太郎も村上春樹も水木しげるも、学校はつらかったと告白している。独創家にとって学校活動は苦役でしかない。
学校では、「突出」や「偏り」は評価されず、バランスと調和が至上価値だ。「学校はサラリーマン(昔は兵士)養成所」という著名ブロガーの言葉は正鵠を射ているといえよう。
そもそも才能というものは「突出」と「偏り」によって形づくられる。それをつぶして平坦にしようというシステムは、江戸時代の身分制度となんら変わらない。
福沢諭吉は「門閥は親の仇」と言い放った。才能や気概があっても、活躍の場が身分によって制限されている社会が彼の憎悪の対象となるのも無理もない。
才能を発揮できないほどつらいことはない。明治維新の原動力は、彼らのルサンチマンによってもたらされたといっていい。
江戸時代の身分制度はこんにちの学校制度。我々は滅びゆく体制とどう向き合えばいいのだろうか。(つづく)

学校に通う生徒より、ホームスクール生のほうが成績も社会性も優れている。
相次ぐ教職員の不祥事から、森友学園や加計学園の問題まで、滅びゆく構造には、じつにさまざまなほころびが現れるものだ。
日々「学校」にまつわる不祥事が取りざたされるなか、ひっそりと「多様な学習機会確保法」なる法律が成立した。昨年暮れのことである。
フリースクールなどの非学校教育機関を学校と同等に扱っていこうという内容で、今後「学校」の自由化が本格化することを予見させる。

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