夫婦円満家庭の子供たちは、どうして不幸になるのか

夫婦仲がいいのはたいへんけっこうなことだ。だが、価値観があまりにも近いことは、子供(とくに男児)にとって不幸なことかもしれない。
理想的なのは、父母がそれぞれ異なる価値観を持っていながらも、おたがいを尊重して併立している状態であろう。
加えて、祖父母や叔父叔母、近隣の人びとといった人びとがそれぞれの価値観を持ちながら近くにいれば最高だ。
「逃げ場」といえばネガテイブだが、その時の気分によって渡り歩ける環境こそが、子供にとって「のびのびできる環境」であるといいたい。その点、我が家は、子供にとって(私にとっては微妙だがw)とてもいい環境であると自負している。
ここで思い起こすのが、私の生育した家庭である。
我が両親は学歴尊重という点で、鉄壁の価値観共有夫婦であった。それを受けて、幼少期の私は勉強に精を出した。親の喜ぶ顔を見たいと思ったのである。
かくも子供は生来的に親の期待を忖度するようにできている。学歴家庭であろうと、ロハス家庭であろうと、宗教家庭であろうと、子供たちはけなげに親の期待する役割を演じようとする。
親が目にしたい役割を演じながら、一方で彼らは日々疲労を蓄積していく。そうとは知らぬのは親ばかりというのが現実だ。
だが、そんな虚構が永続するはずがない。精算の時期を迎えるのは時間の問題だ。
いわゆる思春期を迎えたころ、私はしだいに苦痛に感じられるようになってきた。親の欺瞞にも気づきはじめた。
そんな異変に気づいた親は動転して弾圧してきた。そこで私は反発し、その後離脱した。価値観の異なる祖母の元に身を寄せたのである。
もっとも、あのとき離脱しなかったら自殺していたか、親を殺すなどというさらなる修羅場を演じたことだろう。
かくも価値観縛りは子供にとって人生の一大危機なのである。生存をかけて逃走したり徹底抗戦したりするのも当然だ。
「幸せ家族」が瓦解するのはこのパターンである。夫婦仲がよいのはいいが、価値観スクラムで子供を追い込んではならない。

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