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古謝美佐子さんインタビュー:平和への祈り。「柔らかく、強く。想いぶつけたい」/最新アルバム『平和星☆願い歌』と唄会「ウムイうた」

沖縄を代表する民謡歌手、古謝こじゃ美佐子みさこさんは2023年初レコーディングから60周年を迎えました。11月に待望のニュー・アルバム発売と沖縄、東京をはじめ全国5カ所でのツアーを控える古謝さん、そしてプロデューサーの佐原一哉さんの近況を速報でお届けします。
聞き手/藤田正(音楽評論家) まとめ・文/森聖加

最新アルバム『平和星☆願い歌』2023年11月26日(日)一般発売
(11月開催の沖福東名阪ライブで先行発売)

――前回から新作アルバムまで15年、間があきました。この間、坂本龍一さんとのコラボレーションなどありましたけど、どうして?

古謝 何でもないです。気にしてない。元々、レコーディングはあまり好きじゃないから。佐原が作らんといけないって言うから、うんっていう感じです(笑)。

佐原 言わないと、ずっと出さないですよ(笑)。

古謝 今年が60代最後で69歳。数え70だから、急かされてようやくつくりました。

――前にも聞きましたけどやっぱりライブの人なんですね。

古謝 人の前で歌うのが好きです。スタジオでマイクだけ前にして歌っても……。だから、私、自分のアルバムを聞いて「あ、機械と歌ってる」って分かるよ。生の方がいい。初レコーディングが9歳となってるけど、それも自分からじゃないからさ。やろうね、も言われてない。RBC(琉球放送)に連れて行かれて、録音。何するかもわからない、子供だったから。

――連れて行った人は?

古謝 津波つは恒徳こうとく先生、師匠です。そこに上原直彦さんもいて。『民謡で今日拝ちゅううがなびら』※ をはじめられた年で。番組も放送開始から60年になるから、私のレコーディングと一緒なんだねって。

※RBCラジオの長寿、琉球民謡リクエスト番組。上原さんはプロデューサー兼パーソナリティ。2023年9月29日で同番組を卒業した。

――上原さんは勇退されて、パーソナリティもよなは徹さんらに変わりました。1960年代の放送も聞いて僕も知ってますけど、上原さんは不思議な経歴の方ですね。

古謝 直さんは「沖縄の歩く百科事典」と思っている。沖縄のことは直さんと(同じくパーソナリティだった俳優の)八木政男はちきまさおさんに聞いたりしています。

――上原さんはうちなーぐち(沖縄方言)が若い時は分からなかったから、一生懸命勉強したそう。古謝さんはそんなことなかったですよね。

古謝 全然。だって日常会話が方言だもん。標準語励行だったから、学校では標準語。だけど、学校の門から出たらどこに行ったって方言だけ。

――沖縄も世代によって方言が使える、使えないが変わりますね。

古謝 私はまだ民謡をしてるから、分かるわけ。同級生の男性とは方言でしゃべるけど、女性は日常から標準語。日本へ返された世代だから。

キーボード兼プロデューサーの佐原一哉さん(左)と古謝美佐子さん

柔らかく、強く。うむいをぶつけたい。

――ふっと思い出しましたけど、14曲目「屋嘉節やかぶし」の最後に、「ちむしみてぃ、わしてぃならんど~(訳:心にしっかりと、忘れてはならないぞ)」と小さな声で入ってないですか? あれ、沁みますね。

古謝 情勢が変わらないでしょ、復帰前と復帰後も。本土並みといって復帰したけど、全然そうじゃない。復帰やってよかったのかな? 復帰しないまま(米国民政府下の)琉球政府のままがよかったかなと思うこともある。そう言う人はいます。千ドル(約36万円)で家が一軒建った時代だったのに、今では何千万円でしょう。本土並みに給料はないさね。矛盾してるよ。

――基地はどんどん増えていく。

古謝 増えていくし、離島にまで作るかって。

――その怒りが…。

古謝 怒りしかないよ。辺野古なんて粘土状の土地に国民の税金をどれだけ使えばいいのって思う。皆さんの税金ですよ。これが腹立つわけ。しかも知事が承認しなかったら、国が代執行をするっていう。うちなーんちゅ、なんだと思っているのか。

佐原 いまだに明治の中央集権と一緒ですよ。

――それが今回のアルバム作りに当然、生かされている。

古謝 そうね。沖縄へ帰っても、ふざけてるってみんなが怒っています。だけど、このアルバムには柔らかく、強くぶつけたい。「お前たち、こんなやさしい問題じゃないんだよ」って。この想いを聴く人がとらえてくれたら。

――「生易しくはない」というメッセージは、一曲目から形を変えながら出てきますね。

古謝 唐のゆーからヤマトの世ってあるでしょ※。中国のになったり、日本の世、アメリカ世になったり……世界の地図ではほんの針先、点でしかない島がこんなにも時代に翻弄されるって沖縄ぐらいかなって思うんです。一番腹立ったのが20年以上前にヤマトの人に「古謝さんたちは基地のおかげで電気料かからんですよね」って言われて。 電気料タダ? そんな恩恵は受けてない。夏は3、4万円払うって答えたわけ。それぐらい無知。いまは無知どころじゃなく無視ですよ。

嘉手苅かでかる林昌りんしょう(1920~1999)作詞の「時代の流れ」で歌われる。朝貢貿易で独立を保った琉球王国時代から、琉球処分を経て日本に編入され、沖縄戦後はアメリカ統治へと翻弄される沖縄の姿を風刺した名文句。

――僕が沖縄音楽を好きになってから考えても、今の方が深刻です。

古謝 大変よ。これからはもう孫たちの時代だから、私からすれば孫たちにどうやって理解させるのかが一番大きいのね。彼らは毎日部活で忙しい。そんなかでも自分の祖母が歌に想いを込めて、誰にでも分かるように日本語にもして。孫たちが社会に出て内地ないち(日本本土)で就職したり、大学へ行った時に「古謝美佐子、僕のおばあちゃんの歌をこの人たちが聞いて、こんなふうに思ってるんだ」と分かる時が来る。その時に孫たちも興味を持ってくれればいいかなと思う。

古謝美佐子 Feat. キヨサク(MONGOL800) ウチナーUchina〜千と三百の核(たま)隠し〜(video short ver)

――(ライブ会場のみで発売している)シングルCD「童神わらびがみ」ジャケットのお孫さんは今、いくつになりました?

佐原 26です。

――当時の制作、歌をつくる気持ちと、現在は変わりました? それとも一貫してます?

佐原 変わらないですよ。(シングルの)「童神」の時は彼女に歌えというでしょ。すると、孫がいないのにどうして歌えるのって夫婦喧嘩ですよ。オケのバージョンは先に三線を録って歌うから仕方なく歌ったけど、特にアカペラバージョンはいきなり子守唄。ここに赤ちゃんがいないのに、どうしてアカペラで歌えるわけって言う。

――気持ちが入らない。それでどうしたんです?

古謝 小さな猿のぬいぐるみを渡されて、これ持って歌えって(笑)。

――えぇ⁉ (苦笑)

佐原 仲間(石田雄一※)の家で録音したんですけど、元のテープには家の前を走る大阪の電車の音が入っています。最終電車が終わってからとスタンバイして歌い始めたら回送列車が通って。今みたいにそこだけ録り直せないから、初めから録り直し。

※石田雄一:ギタリストほかマルチに活躍するミュージシャン。古謝・佐原のレコーディングに欠かせない存在

古謝 腹立ってさ。「なんね、回送って」。(沖縄には長く電車がなかったから)知らないさ。

――1970年代のジャマイカ・レコーディングみたいですね。犬の鳴き声や物売りの人の声が入ってる(笑)。

佐原 そこまでは酷くないけど、「童神」がそんなふうに完成したから、あんまり聞きたくないって言う。本物は、孫が病院で生まれて初めて歌ったときだって。

古謝 病院の新生児室にいて、孫には聞こえてないけど歌いました。

佐原 CDを録音した後にね。それが本当の歌じゃないですか。

――それこそ百点満点ですね。「童神」の琉歌っぽい詞は古謝さんがつくられた。

古謝 琉歌はね、ずっと書いていました。

佐原 けど今回は、ほとんど彼女は作詞してないです。彼女が自ら作詞したのは、「黄金ん子くがにんぐわ」という「童神」の次の子守唄のときだけです。この時は次女に子供が生まれたので自分から詞を書いてきて、これに曲を作ってくれないかなって。「童神」は半分ぐらい僕が子守唄としてつくっていた。それ以外は夢うつつで詠んだ琉歌が「天架あまかきる橋」になりました。(古謝の)母が亡くなった通夜の日に、夜中2時ぐらいに「ちょっとペン、ペン」と。本人は覚えてないけど。だから、彼女がペンと紙って言ったときは怖いんです。

――なるほど。何かが降りてくる。

古謝 書こうと思って書いたことない。頭の中で琉歌が出てきたら、電話して「メモして」って。

佐原 突然電話がかかってくる。人の都合はまったく関係ない(笑)。

古謝 ウォーキングしてたからさ、忘れてしまうさねぇ。今は、携帯を持ってるからすぐ電話ができて便利よ。

佐原 母親が亡くなったり、孫ができたり、内地に行ったり来たりする。そんな体験があった時に琉歌が生まれました。最近は落ち着いているから、歌詞が降りてくることがほとんどない。だから、彼女が言いたいことを僕は代弁するしかありません。ステージでの話を聞きながら、多分こんなことを今は歌いたいんだろうってことを、僕は表現してるんです。

――いいコミュニケーションですね(笑)。後半の〈昔うたメドレー:Once Upon A Time In Uchina〉 は佐原さんのアイデア?

佐原 これはもう15年以上ライブの定番曲で、うち7曲をメドレーにしました。

古謝 彼がそれぞれの歌が出来た時代背景などをステージでしゃべって、そのあとに私が歌っていたから、形として残そう、と。

三線も太鼓も、先輩たちの盗みどりさ

――メドレーでは「時代の流れ」や「廃藩はいばん武士さむれー」など、嘉手苅林昌先生の曲から入る。古謝さんとしてもこの流れを外せない感じなんですね。

古謝 いや、師匠が津波恒徳で、そのつながりで小学生の頃から同世代よりも大家と呼ばれる人たちと一緒にいたわけよね。みんな、幼い私をかわいがってくれた。前川朝昭まえかわちょうしょうさん、喜屋武繁雄きゃんしげおさん、セイグヮー(登川誠仁のぼりかわせいじん)さん、小浜こはま守栄しゅえいさん、喜納きな昌永しょうえいさん。(喜納)昌吉さんよりもお父さんとの付き合いが長い。こうした方たちと一緒にステージが立てた。私にしたら、全部ドロボウ・・・・ですよ(笑)。

――最高ですね。

古謝 全部、目コピー、耳コピー。それに慣れているからさ、2、3歳の頃から沖縄芝居を見て培った集中力で。三線は独学で、誰からも教えられたことはない。太鼓も先生たちの盗みどりさ。私、工工四くんくんしー※ が読めないの。面倒臭い。新しい歌でも耳で聞いて、音も合わせます。
※三線の記譜法(楽譜)の名前。漢字で表記する

――かつての伝説の落語家が若い頃、その師匠から「今やるから、ちゃんと聞いとけ」って言うのと同じように真剣勝負ですね。そして、そういう人だけが後世に残る。

佐原 そうした最後の世代です。

古謝 今はみんな型にハマりすぎて、つまらない。特に国立劇場おきなわができてから面白みがない。ちゃんと演奏はできるかもれないけれど、遊びができない。味わいを、味わわせるやり方で弾かないと。徹やゲンちゃん(前川守賢まえかわしゅけん)ぐらいじゃない?(新良あら幸人ゆきとも遊びができて、八重山の古典もできるね。

――アルバムで、よなは徹さんが三線、笛、琉琴りゅうきん、太鼓を弾いていますね。

古謝 徹は私のファースト・アルバムからずっと。うまいからさ。私と彼の父親が弟子兄弟なわけ。子供の頃からよく知っていて、徹がおとうに習って民謡をはじめるとき「笛も太鼓も何もかもやったほういいよ」って言ったら、何でも弾くようになりました。ギターも弾く。だから、必ず徹に三線をお願いして。安心して任せられます。

――次の世代という意味では、この人も、あの人もいるってわけじゃないんですね。

佐原 少ないなぁ。

古謝 徹はオールマイティだからね。

佐原 古典から民謡、洋楽まで全部できる。

テーゲー、ナンクルは好きじゃない

――話は戻りますけど、今回のアルバムでは戦争をはじめ、私たちが何を忘れてはいけないかが歌に隠されている。

古謝 戦争を体験した方がどんどん天に召されているでしょう。私は先代の皆さんが戦争のために失ったこと、いろんな悲しみがあったこと、歌を通して分かっているから。実際に自分では体験していないけど、歌を通しての分かり具合は違います。自分のおばあ、おじい、母の話を聞いて、「この歌の時代はこういうことだったんだ」と年を重ねるにつれ、理解が深くなっています。

基地関係もやりたい放題でPFASピーファスはたれ流す。出来上がるか分からない場所に税金を投入する。それで「もう仕方がない」って思ってる人がいるけれど、私、テーゲーとナンクルという言葉が好きじゃない。きちっとしていたい。沖縄自体も、ナンクルないさ(なんとかなるさ)ではいけないと思う。だから、次のアルバムはない覚悟で、タイトルの『平和星☆願い歌』は一番大きな想いで歌に出したいと思っているんです。

――最初と話が違うじゃないですか(苦笑)。 全部、佐原さんに任せっきりだったって。

古謝 任せたよ。全部、汲み取ってくれてます。普段ライブで話していることを調整してくれているわけ。

――沖縄民謡をバッチリ修練されてきて、それ以外の広い世界の音楽もやってきて。そうした人は珍しくなりました。

古謝 それも佐原の影響です。私が歌いそうなものを選んでくるから。 英語で絶対歌えないさ。方言に直したら歌えるわけ。日本語ではうまく歌えないわけよ。

国際的チェリストとゲリラ・ライブ!

――6曲目に「雨夜花うーやんふぇ~アリラン」があります。沖縄はかつて交易の中心地でした。だからアジアとの関係も重視されている?

古謝 歌を通して中国との関わり、フィリピンをはじめとする東南アジアでの山原船やんばるせんの貿易とか、少しは分かります。沖縄は琉球王朝時代からいろんな所に行って、いろんなものを吸収してきました。そういう先祖を持って嬉しいと思う。戦いはあまりしてないでしょ?

佐原 もともと古謝の姓は久米くめ三十六姓さんじゅうろくせい※に由来します。琉球王朝時代の冊封使さっぽうしで、先祖が中国から来た人と沖縄の人。(彼女は)いわば混血ですよ(笑)。

※14世紀末頃から中国福建省から琉球に移住し、重要な役割を担った中国系の人々とその子孫のこと

――三線も中国からですもんね。

古謝 そう。ほとんどそうよ。沖縄ではかぼちゃはチンクヮーで、中国ではチンクァンっていう。三線もサンシェン。だから日本と同じように、中国の流れも大きいんです。

佐原 今日彼女が着ているTシャツを今度のツアーで販売しますが、写真は守礼門しゅれいもんの前で撮ったもの。で、ここに少し弓が見えてるでしょ。実はこれ、ヨーヨー・マの(チェロの)弓なんです。左にマさんがいるわけ。

「下に小さく、『Koja Misako』ってサインがあるのよ」(古謝さん)
「手の形は『家路』を歌っているから」(佐原さん)

――うそ!?

古謝 2人でゲリラ・ライブをしたんです。2021年に。

佐原 彼の事務所から沖縄でコンサートをするので、古謝美佐子と共演したいと連絡があって。「なんでですか?」と聞いたら、「童神」が好きだから歌って欲しいと。

――連絡の仕方も、イカしてるねぇ。

佐原 いきなりのメールで、そしたらコロナ禍になり2020年の公演は中止になったんですが、21年11月に改めて沖縄にいらした。ステージでは共演できないけど、その時に守礼門の前で。2020年は首里城が火災にあった翌年だったから。

古謝 ゲリラ・ライブだから、その時たまたま首里城に来ていた人たちが集まってきました。

佐原 マさんは中国がルーツの首里城が焼けたのは、本当に悲しいことだと言って、「童神」を歌う沖縄の古謝と自分たちだけで守礼門の前でライブをしたいと。メディアは全く呼ばないでね。Tシャツの文は県知事会見の背景の屏風にもある「琉球は南海の恵まれた場所にあり、朝鮮や中国、日本とも平和な貿易をやってきた」という、万国津梁の鐘※の言葉です。今おっしゃられたように地理的なことも含め、アジアの中心だったことを伝えたかった。
※万国津梁は「世界の国々をつなぐ架け橋」という意味

――何かがあると思わせる写真ですね。はだしもいい。

佐原 「童神」のほかに「家路」と「アメイジング・グレイス」、この3曲を三線とチェロ、2人だけで演奏しました。

古謝 とても楽しかった。マさんはとっても素敵な人。優しくて。

佐原 今、なんでもSNSに乗っけて自分のしたことをPRすることが全世界で流行っているけど、古謝も、ヨーヨー・マさんも、2人にとってはこの場所で歌うこと、ここに来たことに意味がある。だから、人がいようがいまいが演奏するんです。彼女に気付いた人はいたけど、マスクをしてたから誰もヨーヨー・マとは気付かない。翌日、沖縄アリーナで何千人かを前にバッハの『無伴奏チェロ組曲』を一人で2時間近く演奏して帰っていきました。

坂本龍一との思い出のステージ

――国際的なアーティスト同士が、こんなコミュニケーションで結ばれているなんて、すごい。

古謝 坂本龍一さんも3.11の東北大震災の2カ月後には避難所に慰問に行き、東北三県の子供たちを集めて東北ユースオーケストラを立ち上げられた。その中に私も呼ばれて、一緒に「てぃんさぐの花」などを歌いました。そして東京、福島・郡山で吉永小百合さんと出会って「沖縄にもこのまま持って行きたいですね」って言われて。実現したのが2020年1月5日。坂本さんとはそれが最後の仕事でした。

2020年1月5日 沖縄コンベンションホールにて(写真提供/佐原古謝事務所)

古謝 当日のステージでは坂本さん、すごく笑っていたんですよ。沖縄の子供たちと出会ったことが嬉しかったんでしょうね。

佐原 彼女が何か言うから、仕方なしに笑ってるんでしょうけど、ステージで笑うのは本当に珍しい。亡くなる二日前ぐらいに東北ユースオーケストラの公演をオンラインで見て素晴らしかったって、自分の病気は大変なのに人の公演を見てメッセージを送る。それって凄いなと思います。坂本さんにしても、ヨーヨー・マさんにしても、彼女が孫に今回のアルバムを届けたいのと同じように、自分のルーツを大切にする。それが人間の本当の感情じゃないでしょうか。

――ありがとうございます。ライブ「ウムイうた」も期待しています。
(インタビュー/2023年10月20日 @東京)

沖福東名阪ツアー「古謝美佐子の唄会 ウムイうた」

東京公演:草月ホール(港区赤坂7-2-21)
■2023年11月18日(土) 開場15:30 開演16:00
■全席指定(未就学児膝乗せ無料)
■料金 前売5,500円 当日6,000円(税込)
<チケットぴあ> https://w.pia.jp/t/kojamisako-umuiuta-t/ セブン-イレブン店舗
<イープラス>https://eplus.jp/koja-misako/
<ローソンチケット>https://l-tike.com/kojamisako/ (Lコード 73402)ローソン店舗/ミニストップ店舗
■お問い合わせ バッドニュース:TEL: 03-6416-1515 (平日11時〜16時)

※その他エリアでの、公演については公式サイトをご確認ください。
https://kojamisako.com/schedule_information/

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