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プロジェクト短編小説┃『東京の生活』

 ヘンリーデビッドソローの著作に『森の生活』という本がある。都会を離れて自給自足の生活を送った二年間の記録だ。生前こそ評価されなかったようだが、記録文学という点においてアメリカ文学でも高く評価されている。これは生活を記録するという文学ジャンルであるが、ただの生活の記録が読み物として価値を持っている理由は、文学的価値が、どれだけ事実に基づいた正確な描写をするかということや、自分の気持ちを素直に表現出来ているかどうかというところにあるからではないだろうか。簡単なようで、これがとても難しい。我々はどうしても、事物を大げさに語って人から興味を惹こうとしてしまう傾向を持っているし、自分の気持ちなんて言っても、文字にして誰かに読んでもらうことを考慮すると、少し気取ったポーズを取って自分の気持ちを表現してしまうものだ。何を隠そう、男という人種はカッコイイことが大好きだからだ。我々には見栄があって、自慢したい気持ちがあって、誰かに評価されたいという承認欲求がある。そもそも活字に何かを起こそうと思っていること自体、誰かに認められたいという、我々のどうしようもない性質なのだ。

 しかし、芸術的価値とは、こういった見栄や体裁やポーズといったものを出来るだけ取り去った上で、より正確に、より素直に、より伸び伸びと、より自然であることを目指して表現していく過程そのものではないだろうか。そしてその文学修行の中には、読み、書き、考えるということを生活の中心に据えて生きていく覚悟が必要だろうし、そうすることが出来るだけの環境を整える必要があるのではないだろうか。つまり、自分が読んで考えたことを表現することや、見たものを再現し、そのことで記憶を定着させ、誰かに読んでもらい感想を得て、そこから自分の考えを練り上げていくという、極めて知的で楽しい営みを継続させる必要があるのではないか。あるいは、継続させるに足りる環境を整える必要があるのではないか。私はそう考えた時に、それを実現しうる最も適した形態は「日記」というジャンルを「電子書籍」という形態で発表し続けることではないかと結論にいたった。

 しかし、サラリーマン生活を送っているので、書く時間の確保が難しい。おそらく物を書こうと思い立った者が最初にぶち当たる壁かもしれない。しかし、その課題については、文明の利器を利用することにした。iPhoneのメモ帳を利用しながら、フリック入力で親指を動かしながら、通勤時間や移動時間に書くのだ。原稿の升目を埋めたり、タイプライターを叩いたりという動きとは違う。これも時代の変化だ。そうすれば、書く時間だって確保できる。

 もうひとつの課題は自分の思想といっても毎日のように書くのは難しいし、何かを読まなければ、あるいは何らかのインプットがなければ、考えることも書くことも出来ないという課題である。もっと簡単に言えば、話題がなければ書くこともないという課題である。継続は力なりと言うが、継続するためのネタはどこから得る。どこから話題を得ることにしようか。そう考えた時に思いついたのが、私は元々英文学科を卒業しているし、これからのビジネスには英語も必要になるという話もあるので、ニューヨークタイムズ紙やワシントンポスト紙といった英字新聞アプリを定期購読して、電車で読んでネタを収集するというアイデアである。これは世間の動きを捉えるという意味でも有益であり、会社員生活での何気ない会話のネタにもなるので最適であると考えるに至った。

 私はこうやって、自分の文学修行の過程そのものを日記という形式でまとめあげて、創作活動をするのが自分にとって楽しみながら続けられることだと思うに至った。この本は、そんな私の具体的な生活の記録であり、読んだ記事に対しての所感であり、見たものや聞いたことの表現であり、文学修行の一環である。誰かの普通の日常は、それだけで十分に芸術になりえるものだと思う。だからこそドキュメンタリーや事実に基づいた映画というものが素晴らしいのだ。都市生活を送る筆者の普通の日常は、どこかの誰かにとっては奇妙で奇怪なものかもしれない。交際や社交といった都市生活に必須の技術というものが、いかに何も生み出していないかということに、その空虚に気がつくかもしれない、あるいは、その非生産的で空虚な動きこそ経済を躍動させるエネルギーだという風な意見もあるかもしれない。筆者としては、より素直に、より自然に、より軽妙に、よりわかりやすく、より正確に、見たものや感じたことや考えたことを表現しようと努めることにする。そして、おそらくそんな素直な現場の現実が、より興味深く、より面白く、私とは違う生活を送っている読者に、心地良く届くことを願っている。

2019年9月7日/兵庫/神戸Director of M.I.T.’s Media Lab Resigns After Taking Money From Jeffrey Epstein

 神戸と聞いて何を思い浮かべるかな?南京中華街?関西弁?外国人居住地区?僕は神戸と聞いて、港を思い浮かべるね。夜の港だ。ありふれているだろうか?まだ神戸に行ったことがないというのならば、一度は行っておくと良いよ。なかなか良い街だからね。色々なところを見て回る、僕は旅行が好きなんだ。そうやって旅をしながら自由に生きていくなんて素敵なことじゃないかな?
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 「神戸駅近くのホテルを予約しておいてくれ、迎えに行ったルで」

 2019年9月上旬の頃だった。夏は終わりかけていたが、まだ暑い日だった。ジャケットは必要なかったことを覚えている。私は盛りを過ぎた32歳で、就職した会社の仕事にも順調になれて7年が経過していた。転勤の影響で、妻と東京に引っ越してからは3年が経った。

 私が勤めている会社では人事部門が地域の店舗を巡回して経営層に報告する仕事がある。育休を取った大阪の同僚のピンチヒッターとして、大阪、兵庫、和歌山の店舗を巡回することとなった。育休中の彼のお陰で、私は大阪へと向かうことになったのだ。

 私を会社の車で和歌山に連れて行ってくれるらしい。55歳の先輩社員の自宅は神戸付近にあるようで、阪神高速の海岸線に乗って和歌山へと向かう段取りとなった。その日の前日、私は神戸にいた。神戸に行ったのは学生の時以来、十年ぶりかもしれない。神戸から和歌山、誰がそんな旅程を組むだろうか?仕事じゃなけりゃ、こんなコースは選ばない。

 私が東京から新大阪に到着した時は、辺りはすっかり夜になっていた。神戸へ向かうJR兵庫線に乗って、神戸駅へと向かった。新大阪駅は分かりやすい。少なくとも東京駅や大宮駅よりもシンプルで空間も広々としている。それでも、一度間違ってJR京都線のホームにうっかり降りてしまった。大阪から兵庫までには三ノ宮灘、六甲といった有名な駅名が並んでいて、神戸駅へと到着した。

 JR神戸駅で降りてからホテルにチェックインして、神戸ハーバーランドへ、一人でテクテク歩いて向かった。夜の街に静かに海が揺れていた。港の規模としては横浜の方が大きいように感じる。

 どことなく品川を思わせる風情もある。しかし、聞こえてくる女性の声は穏やかな関西弁だ。冗談を言い合っていて心地良い。しかし、癒されるからといって、彼女達がか弱いわけじゃない。美容クリニックの看板が見えた。「女は態度はでかく、顔は小さく」なるほど、そうか、関西に来たのだね。

 私は白いワイシャツにノーネクタイ、スーツパンツを履いたスタイルで、スターバックスに入ってアイスティーのトールサイズとバナナチップマフィンを頼んだ。美人ではないが、愛嬌のある可愛らしい女性店員が、私のカップに、「おつかれさまです。ごゆっくり。」と書いてアイスティーのカップを渡してくれた。なんだか気分が良くなった。女に優しくされたら、男はみんな嬉しいのだ。そんな単純なことが、結局、人生のすべてかもしれない。

 神戸港をみながらアイスティーを飲むなら、Umie Mosaicという複合レストラン施設を利用するといい。神戸港を見渡せるテラス席では、顔つきは精悍だが、おなかはタップリと肥満体の外国人が、ゆったりとしている。

 私はiPhoneを取り出して、ニューヨークタイムズのアプリを開いて、何か面白い記事がないか探した。暇な時間の過ごし方は人それぞれあるだろうが、実際、人生において大して意味のないヒマな時間というのは実に多い。そんな時に、英字新聞をアプリで読むのは私の趣味のひとつだ。ふと気になる記事が目についた。日本人の名前がニューヨークタイムズに出ることはめずらしい。Joichi Ito、マサチューセッツ工科大のメディアラボ所長らしい。マサチューセッツ工科大学で所長を務める日本人がいるのも驚きだ。その伊藤穰一氏が辞意を表明した記事が出ていた。私は中目黒にあるデザイナーが集まるオシャレなTSUTAYAで彼の本を読んだことがあるのだ。確か新書で本を出版していた。彼の顔にはどこか見覚えがあったのだ。記事の写真を見て、もしかしてあの著者ではないかと思って、検索をすると、やはり同一人物であった。IT業界で活躍する国際的な日本人だ。著作で見覚えのあった彼が、マサチューセッツ工科大学のメディアラボ所長を辞任した。ジェフリー・エプスタインという少女に性的暴行を働いて逮捕された実業家から、匿名での資金提供を受けていたことが明らかになったらしい。

 悪名高い富裕層、ジェフリー・エプスタインはアメリカで成功した実業家だが、連日アメリカのニュースを騒がせていた。彼には少女買春の容疑がかけられていた。一説によると、国際的な少女買春組織を運営していたらしい。彼は金と人脈にモノを言わせて、裁判官を操作して自分の刑期を短くし、逮捕されても自由な生活を謳歌していたらしい。

 ちなみに彼の罪は英語で、Sex Traffickingという。これはHuman traffickingとほぼ同じ意味らしい。つまり、強制労働、望まない結婚、売春、臓器売買といったような、個人が自らの意志で選択するという人間の権利を、金に物を言わせるなり、暴力で脅すなりして、考える能力を奪い去った上で、強制的に実行させる種類の悪事である。地下経済と呼ぶにふさわしいこれらのビジネスについては、2000万人から4000万人の人が関わっており、その利益は1500億ドル規模らしい。日本円にすると15兆円というデータも見つけることが出来た。自分の知らない世の中が、確かにこの世にはあるらしい。

 このtrafficという単語だが、さらに調べてみると名詞と動詞があり、行ったり来たり、買ったり売ったりといったような意味合いを持っている。bargain, barter, business, commerce, deal, exchange, sell, patronage, swapといったような単語が同義語になるらしい。Sex traffickingといったら人身売買を意味するようだ。

 そんなビジネスを国際的に取り仕切っていた、憎き億万長者が刑務所の中で自殺したニュースが流れた。いや、ちょっと待て。刑務所の中で自殺?そんなことが可能なのだろうか。この大金持ちには交友関係として、現在のアメリカ大統領のドナルド・トランプやイギリス王室の王子の名前もあがっている。彼らが少女買春をしていたとしたら大スキャンダルだ。ひょっとして、口封じで殺されたのではないか。そんな憶測が飛び交ったが、自殺で片付けられている。

 その余波が、マサチューセッツ工科大のメディアラボ所長にまで届い。この国際的日本人も予想だにしなかったことだろう。ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで台風を巻き起こすような、バタフライエフェクトとはこのことだ。一体どこの誰がこんな結末を予想できたのだろうか。
研究や開発に資金が必要だったのだろう。受け取った相手が悪かった。知らなかったでは済まされないのが、金の世界だ。エプスタインから金を受け取っていたことを隠そうとしたかどうかなど、様々な追求が予想されるなか、さっと責任を取って辞めたというわけだ。まさかそんな余波があるとは。どこで何がつながっているかわからない。

 マサチューセッツ工科大学はMITと略される。後日、YOUTUBEで動画を検索してみると、ソフトウェアに関しての一時間程度の講義を聴くことも出来た。英語がわかるなら、聞いてみるのはとても良い機会になると思う。彼の英語はネイティブスピーカーを凌駕している。素晴らしいの一言に尽きる。有能な人間がひょんなことがきっかけで、自分の道を閉ざされてしまうのは、とても残念なことだ。

 大富豪による少女買春と、彼の自殺、気分の悪くなるような話題だ。私は忌々しい気持ちになりながら、ニューヨークタイムズ紙のアプリを親指でサッと上に動かして消した。外を眺めると、目の前には神戸港が広がっていた。世界の裏側で一人の国際的日本人が、罪のある億万長者から資金提供を受けたことが原因で、自らの研究が出来なくなる。悲しいじゃないか。まったく、人生何が起きるかわからない。一寸先は闇、塞翁が馬とはこのことだ。学問を探求したいという純粋な思いも、こうやって邪魔されるのか。私は穏やかな神戸港に目をやった。

 しかし、夜の神戸港が美しいことに変わりはない。穏やかな夜の波を見ていると心が癒される。ゆっくりと近づいてくるクルーズ船だって風情がある。夜の神戸港が見渡せる場所、Umie Mosaicは一人の時間を過ごすのにも適しているように感じる。この複合施設には、その他にも様々なレストランが入っているらしい。ハンバーガー、牛タン、寿司、ステーキ、一日で廻ることは出来ないだろう。神戸、関西弁の街、次回はもう一度南京中華街を訪れてみることにしよう。神戸、この街はまだまだ奥が深そうだ。

「部長からお前に話があるらしい・・」

 ふと翌週に人事部長からの呼び出しを受けていたのを思い出した。私は自分の脳裏に訪れた、悪い知らせだろうか?嫌な予感を消せなかった。まったく、もう少しゆっくりしていたいというのに。とりあえず、今は目の前の仕事に集中することにしよう。私は歩いてテクテクとホテルまで戻って行った。

2019年9月26日/大阪/心斎橋/ Amateur pro-Trump ‘sleuths’ scramble to unmask whistleblower: ‘Your president has asked for your help’

 大阪に住むっていうのはどんな気分なんだろう?関西弁を話すっていうのはどんな人生なんだろう?大阪の女性と交際するってのは、どんなことなんだろう?僕にはさっぱり理解できない、だって経験がないからさ。何年間住み続ければ、関西人として認めてもらえるのだろうか?流暢な関西弁を話してみたいものだね。僕は色々なものの違いに敏感な方なんだよ。

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「ほなな!」

 そう言って会社の携帯電話を切るのが常の上司の声のトーンを思い出すと、どこか穏やかな気持ちになる。

 二日目、大阪、心斎橋。心斎橋を好きになった。二泊したが、東京に戻るのが寂しくなってしまった。大阪メトロに心斎橋駅から、千里中央方面に乗って、新大阪に向かう。今回は梅田には行けなかった。次回は梅田を訪れたいものだ。心斎橋はどことなく新宿に似ている。表参道、渋谷、池袋とは違う。東京で似ている場所と言われれば、心斎橋は新宿に似ている。しかし、そんな比較は馬鹿馬鹿しい。大阪は大阪だ。

 道頓堀のグリコ、かに道楽、びっくりドンキーの赤々としたネオンの看板は、新宿の歌舞伎町一番街アーチを潜り抜けた場所と似ていて、猥雑で勢いと力がある。赤と黄色の看板が下品に踊って、人混みがそれに活気を与える。ラーメン、たこ焼き、お好み焼き、大阪を代表する食べ物が並ぶ。この看板を小ぶりにして、もう少し街の雰囲気を九州流に強面にして、歩いている女が美人になれば中洲川端だ。しかし人の人数は道頓堀に遠く及ばない。心斎橋付近の外国人観光客、そして横断歩道を渡る人の数は、東京に匹敵すると言っていいだろう。

 道頓堀は今回が初めてだった。30歳を過ぎてから始めて道頓堀を訪れるなんて、珍しい方なのだろうか。阪神タイガースが優勝した時に道頓堀ダイブで飛び込む人間がいるというのはテレビで知っていたが、意外と本物の道頓堀は小ぶりだった。我々はテレビの中に映るものを巨大化する傾向があるようだ。グリコの看板も思ったよりも赤々としていなかった。しかし、それでもこの橋に来れば、ああ、大阪にいるのだなあと思う。誰もがこの橋の上でピースサインをして、記念撮影をしている。外国人も多い、誰かのカメラの前を横切らないように気を遣って歩く。道頓堀から見下ろす川はネオンを写していた。意外と幅は狭かったが、周辺には観光地らしい賑わいがあって良かった。

「ほんまやー」

 大阪の人間を面白がるタイプと、苦手に思うタイプがいるようだが、私は前者だ。男性でもユーモアのわかる奴だと認められると話が早い。ずっとボケられることもあるが、要するに彼らはベタが好きである。彼らにシュールはダメだ。直接的に好きやねん、嫌いやねん、男前や、オモロイねん、なんて言っている人達だ。彼らと話すのには、本音と建前について両方一通り話した後で、正直な気持ちを吐露するのが良い。嘘はダメだ。関西人には常識的な話の後で、気持ちの直球勝負がいいだろう。聞き上手の人が多いのも良い。話が長くて、飲み会の締めの挨拶がなかなか終わらないのは、あれは何故なのだろうか?とにかく、ユーモアを混ぜながら本音を話すと、あんたも大変やなあという話になって、なんとなく打ち解けた感じになる。それから、ほな、こーしとこかといって、ポンとさりげなく手を差し伸べてくれる。もちろん、これは人によるが。

 また、あくまで個人的な見解だが、関西の女性の目線の低さが好きだ。いつでも生活感があって、本当に自然な気持ちを、自然に見せている印象だ。そこには九州の女性のようなやせ我慢や、関東の女性のような批判精神あるいはハッタリはない。他人を気にせずに、伸び伸びと自分の気持ちを表明するのだ。あの嫌味のなさはどこからくるのだろうか。見ていて不思議な気持ちになる。私は関西という場所に好意的な男の一人である。もちろん、九州だろうと関東だろうと、我々を生み育てた、すべての女性を尊敬すべきであることに変わりはない。

 関西に比べたら東京の文明は、アメリカナイズされているのかもしれない。忙しなくて、まるで常に誰かを批判していないと気が済まないようだ。権力の横暴を許さない文明は、それだけ様々なものに対して批判的になるものなのだろうか。

「ほんまでっか??南部は結構、我が強いんですよねぇ・・」

 私はふと大阪南部出身の同僚の言葉を思い出した。そうか、この辺りは北部になるのか。

 The Washington Postでは、トランプのウクライナゲートを連日取り上げている。トランプ支持者はインターネット上で、内部告発した人間を探し出そうと、犯人探しに躍起になっている。つまり、トランプとウクライナ大統領との会話内容に問題があるとリークしたことそのものに問題があるとする立場である。収拾のつかない言い争いが始まったという印象だ。これがアメリカの民主主義らしい。一方が、内部告発でトランプの行動をやり玉にあげれば、トランプ陣営は、汚職は調べる必要があると開き直る。

 そもそもトランプに罪の意識はないかもしれない、よって反省の気持ちもない。あるのは、徹底的に疑惑を否定して、論点をずらし、相手を攻撃して、相手が疲弊するのを待つという戦略的なビジネスマンの思考だろう。きっとそうやって様々なビジネス上のトラブルをやり過ごしてきたのだ。実際、ビジネスにおいてこの戦略は非常に有効だ。言い争いが長期化して怒りが収まってくると、人間は不思議なもので何が問題かわからなくなるのだ。下手に自分の非を認めると、あれもこれもという話になり徹底的にいじめ抜かれる。最初の一手で、真実だろうが嘘だろうが徹底的に否定する。そうすることで被害を最小限にしようとしているのだ。その間で時間を稼いで、他のもっと大きな悪事を隠蔽することも出来る。小さな悪事で大きな悪事を隠す。強く否定すればするほど、相手は怪しいと思う。しかし、本当に隠そうとしているのは、まったく別のもの。そんなことだってあるかもしれない。

 ちなみにこの内部告発者という英単語について調べてみた。Whistleblowerという。ホイッスルを吹く者、つまりピーッと音を出して、法律的にまずいことや、ルール違反を指摘する者のことである。このWhistleblowerにはinternalとexternalがある。内部告発と外部告発とでも言うのかもしれない。内部告発というのは日本で言えば、人事部門や内部監査室や法務部なんかが取り仕切っていることだろう。組織内で行われている不正な取引を告発することである。Externalと言えば、メディアや警察などといったような外部の機関が指摘するものである。ここでは、ドナルド・トランプがウクライナの大統領と話した電話の内容に問題があると指摘した者が、Whistleblowerである。

 このWhistleblowerという単語だが、調べるとbetrayer, canary, double-crosser, sneak, tattler, deep throatといった同義語が並ぶ。これは裏切り者、カナリア、言動不一致、こっそりくすねる、密告者、スパイなどを意味する単語と同義らしい。つまり、内部告発者というのは常に裏切り者というレッテルを貼られる危険も秘めているのだ。なぜなら内部告発を行うことによって、どこかの誰かが不正とはいえ、不利益を被ることになるからだ。よって、内部告発者というのは匿名性を保つ必要がある。あくまで公益や正義のために告発した者が、報復人事を受けることだって十分にあり得るわけだ。正義のための行動が、自分にとって最終的に不利益なことになるというのは、悲しい現実だが、実際に起こっているかもしれない。

 この記事も内部告発が誘発する、犯人探しというものを描いている。密告したのは誰だ?裏切り者はさらし首にしてしまえ。誰だ?誰だ?

「ねえ、やったのは誰っ?言いなさい!!」

 小学校の頃の教師の金切り声を思い出して気分が悪くなった。所詮、民主主義なんてそんなものかもしれない。文明が発達するなるなんて、そんなものかもしれない。何をありがたがる必要があろうか。とにかく、自分の非を認めないで、徹底抗戦するトランプの姿勢は、彼らの文化をよく表している。ロジックの欠点や他人の粗探しをして、自分の優位性を保つ。それが賢いということらしい。それはそんなに立派な文明なのだろうか。時々、疑問に思う。

「ああ、しまったあ、あかん、やってもうた!!」

 失敗した時の関西の上司の、こんな正直な一言を思い出すと、私はクスリと笑ってしまう。東京の人間にはこんなセリフは吐けないだろう。可哀想だと思った、情が移った、悲しい気持ちになった。そんな言葉で会話が成立するのは東京ではなくて、大阪だろう。東京じゃ、みんながお互いを比べあって、批評しあっている。悲しき都会人の性である。彼らに欠けているのは、人間なんてただ、食って寝てヤルだけのズタ袋に過ぎないという、真っ当な感覚なんじゃないだろうか。

 いや、関西も弁護士や会計士連中は違うかもしれない。そうだとしたら寂しい。人間、頭が良くなると、言い訳ばかりがうまくなるものだ。私は感傷的な気分になりながら、道頓堀、大阪、心斎橋の夜を一人で歩いた。

 翌日からは明石と姫路へ向かうことになっていた。大阪を離れて、仕事に戻るのが、なんともつまらない気分であった。もう少しプラプラとこの街を歩いて、飽きるまで過ごせたら、どんなにいいだろうか。

「あちゃー、やってもうた!!堪忍してやー」

何事もそれで許されるなら、それでいいじゃないか。
私はテクテクと歩きながら、街に溶け込んでいった。

2019年9月28日/兵庫/明石/Justin Trudeau, the Instagram Prime Minister, Struggles to Resonate with Young Voters

 明石を知っている人間が、日本にどれぐらいいるのだろうか?明石と聞いて、ピンとくる人間がどれぐらいいるのだろうね?明石を頭に思い浮かべてみて欲しい、君は何が思い浮かぶだろうか?僕は山陽電鉄のガタガタ揺れる音と、人の少ない駅の長閑な雰囲気が思い浮かぶ。君はどうかな?

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 店舗のマネージャーと会社方針について議論を交わした後、私は西へと向かっていた。昨晩は店舗のマネージャーがOsakaMetro御堂筋線のなかもず駅まで社用車で送迎してくれた。車内での会話はもちろんビジネスについてだ。顧客が高齢化していること、テレアポがなかなかうまくいかないこと、残業が多くなることが課題のようだ。集客の苦労はどこも一緒だ。しかし、集客が出来なければ、次のステップにも進めない。やはり商売は集客が命なのだ。

「いやあ、もうあきまへん。つかまらんとですわ」

 ビジネスはアポイントが命だ。それがすべてかもしれない。

 翌日、私は電車に揺られながら、iPhoneのメモ帳にフリック入力をしながら、電車に立ったまま揺られていた。兵庫、明石は海が綺麗だ。電車から見る瀬戸内海は悪くない。西二見駅を降りると海辺の街のような雰囲気があって心地が良かった。雰囲気がさっと軽くなって、どことなく海の香りがするような気がするのだ。大阪の喧騒から離れることが出来たのも良い。東京と神奈川の関係にも似ている。大阪と明石、東京と鎌倉、熱海といった感じだろうか。都会の喧騒と汚れた空気が一掃される、海辺の街のリラックスした、穏やかな雰囲気がある。子供たちの笑顔もどこか自然で、のんびりとしている。

 JRから山陽電鉄に乗り換える。山陽電鉄は三両か四両程度の小さな電車だ。小中学生がよく乗っている電車だ。純朴そうで、横浜線辺りで見かける、神奈川あたりの学生のように不良感がない。港町で都会とくれば、不良感が出てくるような気がする。
ガタンゴトンと山陽電鉄に揺られながら、時間があったのでニューヨークタイムズを覗いてみた。カナダの大統領、ミレニアル世代に人気のあった大統領のジャスティン・トルドーだが、その人気にも陰りが見えてきたようだ。

 カナダの大統領はテレビで見たことがあった。確かボクシングが好きで、イケメンで、愛嬌がある、若いカナダのリーダーという紹介だったと思う。マスコミは彼に概ね好意的であった。あれは一年か二年前だっただろうか、盛者必衰の理か、彼に逆風が吹いているようだ。政治家という職業も毀誉褒貶にさらされる、人気商売なのだろう。人の世の中の移り変わりは早いものだ。

 彼はいわゆるMillennialsに人気のある大統領であった。アメリカやカナダでミレニアル世代と呼ばれているのは(筆者もこの世代に属するわけだが)テクノロジーに強くて、生まれたころからデジタル機器が周りに溢れていて、電話やFAXよりもメールを重視する世代であり、物欲はそれほど強くないといったような特徴を持っている。このMillennialsであるが、年金制度の崩壊が予想され、家賃の高騰や、物価の高騰が予想されるということで、必ず老後に不安を抱えるだろうと(言われている)いう世代でもある。よって、このMillennialsに対しての様々な商品というものが提供されるようになっている。例えば、AirbnbやUberといったような、平たく言えばiPhoneやスマホを通じて、実際に現実の人と出会うことが出来るマッチングアプリになるのだが、電子機器を通じた見知らぬ人同士の出会いや、何らかの取引についても抵抗感がない世代なので、彼らが利用できるような不動産取引や商品流通システムというものを提供することが出来れば、成功者になることが出来るのが、現代の成功法則になっているようだ。
さて、このMillennialsの人気をいかに獲得できるかどうかというのもポイントになっている。そこでジャスティン・トルドーはインスタグラムやツイッターや、フェイスブックを利用して、彼らにアピールしたわけだ。要するに平たく言えば、そういう客寄せ、マーケティング戦略を採用して、政治家としての人気と評判を獲得したというわけでもある。

 しかし、集客にうまくいったからといって、すべてうまくいくのであれば、そんな簡単なことはない。これは通常のビジネスでもそうだろうが、いくら看板や広告が良いからといって、肝心の商品やサービスの品質が悪ければ、顧客は離れていくというわけである。ジャスティン・トルドーの場合は、政治能力を厳しくみられたのだろう。シンプルに言ってしまえば、ね、トルドーさん、あなた色々と耳触りの良いことを言ってましたけど、結局、最初に掲げた目標を達成したのですか?というわけである。

 この一貫性のことを英語では、consistencyという。ちなみに言行不一致のことをdouble crosserという、十字架が二つあるということで、信じるものが二つあるので、一貫性がないという意味である。言行一致の美徳というものは、悲しき占領後の日本ではなくなってしまっていると思われるが、世界は言動が一致している人間というのは尊敬に値するという価値観なのである。ちなみにconsistencyの同義語はsoftness, solidity, firmness, flexibility, harmony, stability, aptness,といった言葉が並んでいる。これはとても面白いことで、一貫性があるということが「柔らかさ」「確かさ」「確固たる」「柔軟さ」「調和」「着実」「適切さ」といったような言葉と同義であるという点である。同義語というには、それぞれ意味が違うように感じる。これまた面白い。きっと、一貫性とは、着実さや適切かどうかということも求められるだけでなく、柔軟に対応することや、最終的に調和させる姿勢が求められるようだ。常に同じことをロボットのように繰り返しておけば、それで一貫性があるというわけではないということなのだろう。
それは変わりやすいビジネスの局面において、いかに「大人な判断」が出来るかどうかということかもしれない。

 ジャスティン・トルドー首相はインスタグラムなどを積極的に活用して、若者から人気を集めていた。俺たちの話をわかってくれる兄貴分という感じだったのだろう。SNSを積極的に活用し、移民の受け入れにも積極的で、地球環境問題にも積極的に関わろうとする姿勢、そんな気前の良い兄貴分のような面がよくウケていたのだが、石油パイプラインの敷設に資金投入し、アラビアンナイトの衣装を着て顔を黒塗りにしたのが黒人差別を助長するとして批判されるようになるなど、人気の陰りが見え始めているらしい。なんでも、以前の女性の司法長官をいじめていたという話もある。女性に優しいイケメン像が一転、意地悪で、男尊女卑の差別主義者のように描かれようとしている。
 自分の作り上げたイメージに苦しめられるなんて、どんな気分なのだろうか。すべてをさらけ出す必要のある政治家や芸能人というのは、本当に辛い職業のひとつである。

 ジャスティン・トルドーも47歳になったらしい。もはや若くはない。若い世代は、さらに若い政治家を選ぼうとしている。移り気なのも、世の中の常ということだろう。政治なんて、お祭りなのだ。美人コンテストとそれほど変わらない。流行り廃りの激しい芸能界みたいなものだろう。持ち上げてみたり、叩いてみたり、その繰り返しらしい。まったく、忙しい業界だ。政治とメディア、カメラのフラッシュ、禿げ上がったスーツ姿のくたびれた大人、説得力のない言葉、ユーモアのない雰囲気、神経質な目つき、みんな政治に疲れ果てている。私は東京の喧騒を思い出して、少しだけ嫌な気分になったので、サッと親指でこの記事を消してしまった。

 東京を離れ、山陽電鉄に揺られながら、穏やかな街並みを眺めた。電車は姫路へと向かっていた。目を閉じて、今朝がたみた、瀬戸内海を思い出した。海はきらめいていて、穏やかに佇んでいた。それから私はウトウトしたので、iPhoneを鞄に放り込んで、電車の中でゆっくり寝ることにした。山陽電鉄はガタゴト音を立てながら、ゆっくりと西へ向かって走っていた。

「次は~、高砂、高砂~・・・・」

車掌の声に目が覚めて、iPhoneでLINEを確認した。
すると、そこには好ましくない来訪者からのメッセージが届いていた。

「来月から会社に復帰したいと思うのだが、どうすればいい?」

私は既読をつけないで、LINEを閉じてから、iPhoneを鞄に放り込んで、次の目的先へと歩いていった。

 私にLINEを送信した相手はいわゆる、周囲と協調して仕事を進めていく上で、問題を抱えた中年の男性社員だった。5人の上司とすべてトラブルを起こした挙句、うつ病を発症してしまった、何かにつけて不平不満を周囲にまき散らす社員から、職場に戻りたいという希望が出た。半分仕事ではあったが、故郷が同じであるという点など、妙な縁から私とは色々と他愛のない話から、飾らない時間を過ごしていたが、周囲の人間からの評判は悪かった。会社の休職制度を利用して、離れることにしたのは、一か月ほど前のことだった。
当人との気が遠くなるような面談は私の仕事になるだろう。
私は考えを巡らせながらスタスタと電車内を歩いて下車し、隣のホームへの電車の乗り換えを行った。

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