![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83152678/rectangle_large_type_2_6fbd2a1fe2990eb514a3a558c66be50d.png?width=1200)
【小説】黒く塗れ(3/13)
数日後、741005が僕に話しかけてきた。741005は982731の取り巻きではあるけれど、中心メンバーではなくていつも端の方にいる1人だ。
「へえ、そんな事もあるの? 驚きね。それでどうしたの?」
彼女はそんな事にとても興味を示す。
741005は僕の塗る速度が急に上がってきた事について聞いてきた。僕は238120に教えてもらった事を言った。そしてその内容もできるだけ細かく言った。741005は聞いている間中、ずっと斜め下を向いたままで、熱心に聞いてくれているのだと僕は思った。でも、この後の彼の言葉でそれが勘違いだったとわかった。
「ふーん、でも、こんな仕事、そんなに一所懸命やっても意味ないよ。」
741005は僕の塗る速度が徐々に上がって来ていて、彼の成績にもう少しで届いてしまうのを心配していたのだった。僕が彼を上回ってしまえば、彼が最下位になるわけで、そうなればグループの中で982731にいじめられるのは僕じゃなくて彼になってしまうかもしれないのだ。
彼は僕にこんな事を言った。この仕事は白い壁に白い塗料を日々塗りつけるだけの事で、やってもやらなくても大した違いは無い。それを毎日、毎日やって、しかもここに居続ける間中、何年も何十年もやり続ける。しかも、たくさん塗れたから偉いとか、塗れないからバカ扱いされるとか、このグループの成績が良くてあのグループが悪いとか、そんな事ばかりを気にして過ごさなくてはならない。それに一体何の意味があるのか。
僕は741005の言葉を聞いて、それもそうだとは思ったけれども、完全に納得する事はできなかった。僕らの住んでいる街には壁と呼ばれるものがあって、僕らの民族は長い歴史の中でずっとそれを塗ってきた。だから塗る事そのものが僕たちが生きているという事だし、僕たちの存在意義だからだ。
でも、彼が話した事を聞いて、僕は学生時代の事を思い出した。学校での勉強は僕にとってきついものだった。先生は厳しい人が多かったし、何よりあの時の僕はきっと、今の741005と同じ事を感じていたのだと思う。つまり、何のためにそんな思いをして勉強しなければならないのかと。それでも、世の中で人としてすべき事の方向性は決まっているのを子供ながらに何となく感じていて、そこから逃れられないだろう事にも気付いていた。だからどんなにきつくても、どんなに嫌でも勉強はしなくてはならないのだと自分自身に言い聞かせた。そしていつの間にか、できなくても勉強するのが当たり前だし、勉強して成績をできるだけ上げて、できるだけ良い会社に入ってそこでも社会のため、そして僕ら民族の伝統を守るために頑張るのが当たり前だと思うようになった。それは今でもそう思っている。だから、僕は741005の思いは理解できるけれど、そこで止まっていてはいけないのだと考えている。
741005は最後に僕にある事を教えてくれた。それは仕事のやり方だった。238120のそれとは全く逆のものだった。塗料をバケツに取る時に、他の者たちより少し少なめに取るのだ。そうすると塗れる面積が少なくなってしまうけれど、その代わりに薄める水の量を増やす。そうすると楽に塗れるし面積もスピードも稼げると言った。741005はずっとそうやってきて誰にも見咎められた事はなかったと言う。いつも周囲の成績に注意して、最下位にならない程度にやっていれば良いのだとも言った。あとは、982731のような強い者に逆らわないようにしていれば問題ないのだ。
「へえ、どこにもそんな人はいるわよね。要領が良い生き方って事よね。」
彼女は続けた。
「そう言う人って、ダメな人なのかも知れないけど、私はちょっと学べる事があるなって思うわ。だって、その人にだって家族がいるわけでしょ。自分がやりたい事だけやって生きていける人なんてこの世の中にほとんどいない中でどうにか上手くやって、それも長い年月やらなきゃいけないのがわかっていて、自分なりにやっているのよ。それで家族を養っている。それもある意味立派なことかも知れないわよ。」
そうかも知れない。グループの中で本当にやる気があって、そして成績を上げて会社に貢献している人は実際にはそう多くないだろう。どちらかと言えば、もしかしたらそんな人は少数派だ。多くの者は何か問題があっても問題が無いようなフリをしている。問題が明らかになってしまってもそれは自分の問題じゃないと言う。毎日自分の仕事はちゃんとやっていますよ、と見せて時間を潰しているのが普通のやり方だとも言える。
「そうよ、だからね、あまり深刻に考えちゃいけないのよ。」
うーん、なるほど。僕がもう1つ、741005の言った事の中で引っかかるのは『白い壁に白い塗料を日々塗りつけるだけの事で、やってもやらなくても大した違いは無い』というところだ。会社は、238120の塗った結果と741005の結果が違うと認識して問題視してはいない。問題視どころか気付いていないのかもしれない。それならちゃんとやる意味って、実際にあると言えるのだろうか?もし全員が741005のようなやり方で水っぽい塗料で塗っていたとしたら会社や僕たちの民族の伝統にどんな影響を与えるのだろう?
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?