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「私たちの心が実現できると知っているもっと美しい世界」 正気を失うこと (第5章)

本の内容紹介、著者チャールズ・アイゼンシュタインについてと目次。 

長い間隔での恐ろしい正気と共に、私は狂気に陥ってしまったのです。
I became insane, with long intervals of horrible sanity.
ーエドガー・アラン・ポー

 皮肉な考え方の教義に反して、「インタービーイングの物語」が(これから見ていくように)「分離の物語」よりも決して合理的でなかったり、エビデンスに基づいていないというわけではありません。エビデンスに基づいて信念を築いていると私たちは思いたがりますが、フィットしない信念を歪めたり除外して、フィットする信念を探し求めそれらを共有する他人を周りに集めることで、かなりの頻度で私たちは自分の信念に添うようにエビデンスを並べかえているのです。これらの信念が「人民の物語」の一部として私たちを浸す時に、経済的な個人の利益と社会的に認められることがそれらの信念と結びついている時に、根本的に違うものを受け入れることは非常に困難なことなのです。

 それが故に、新しい物語の中で生きることは時に耐え難く、孤独なものになり得ます。とりわけ、競争、飢餓感、自然からの疎外感、コミュニティの解体、そして終わりなき非互恵的な惑星の搾取を代わりに強化する貨幣システムは「インタービーイングの物語」とは相容れません。もしあなたのライフワークが自然を製品に、関係性をサービスへと変換しないのであれば、あなたはそのライフワークに取り組むことではあまり富が産み出されないとたびたび感じているかもしれません。例外はあります。ギフトの精神で一定のお金を使う慈善的な人々や組織、システム内の障害も。しかし、全般的には、今日においての貨幣とは私たちの心が実現できると知っているもっと美しい世界とは相容れないものなのです。

 さらに、メディアで伝えられている社会ステータスに関する私たちのシステム、教育、主要なナラティブもまた新しい物語とは相容れません。「コンセンサス・リアリティ」と呼ばれるものに浸されて、インタービーイングの原則を信じることによって自身が正気かどうかさえ疑われるのです。それらの原則をある種のスピリチュアルな原則として受け入れることが許されても、それらの原則に基づいて意思決定を始めたり、それらの10%でさえも日常で使い始めると、人々は私たちの気は確かかと問いかけ始めるのです。私たちは自身が正気かどうかさえ疑うかもしれません。自身への疑いと並んで、深い疎外感が立ち現れます。ちょうど今朝、移民改革についてのニュースの10秒ほどの断片を耳にしました。フェンス用の膨大な器具、検問所、I Dカード、手続きに必要な書類、面接、国境、警戒区域、”公式の”ステータスのイメージが頭に浮かびました。そしてこう考えたのです。「待てよ、地球は全ての人に属していて、誰にも属していない、だから国境があるべきではないというのは明らかだよな?経済や政治の政策を通じてある場所を生活出来ない状態にさせて、かつその人たちをその場所から離れようとするのを妨げるのは心ないことだよな?」討論の両サイドはそのような観点には触れさえしませんでした。その観点が、尊重するに値する考えの範囲からは程遠い場所に横たわっているからです。同様のことが、公にされている論争の事実上全ての争点においても当てはまります。私が正しくて、他のすべての人たちが間違っていると考えることは狂っているのでしょうか?

 見方によれば、それは正気ではないのですー正気が支配的な物語と権力構造を維持するのに役立っている限り。そうだとしたら、共に正気を失う時が来たのです!コンセンサスリアリティに背く時が来たのです。

 人間は社会性のある動物です、ですから自分ひとりで別の可能性を秘めた物語を携えることは現実的ではなく、非常にリスクが高いのです。ここで謙虚さの学びのために立ち止まりましょう。何年か前に、仮にフランクと呼ぶ男性に知り合うようになりました。フランクはいくつかの科学フィールドの大まかな知識以上のものを持っていて極めて知性的でしたが、彼のライフワークは一日8〜10時間かけて商品パッケージや雑誌から言葉を切り抜くことでした。これらの手がかりから彼は広大で包括的な陰謀論を探り出していました。ハサミとのりで言葉を並び替えることによって、陰謀を妨害し、生きとし生けるもののために現実を変えることができると信じていたのです。

 フランクは非常に興味深いつながりを明らかにしていました。朝食のシリアルの箱の前面にゼネラル・ミルズ (General Mills)とあるとします。”Mills”には陸軍 (millitary)の略である”mil”が含まれています、そして、見てください、箱の裏にはそれぞれ19と13の文字数を含む文が書かれています。それは連邦準備制度が設立された1913年ということになるのです。なるほど!パターンが表れ始めたのです。この例は、包装、ロゴ、数秘術を結びつけるフランクの理論の迷宮的な複雑さをわずかにほのめかしたに過ぎません。

 皆はフランクが気が狂っていたと考えましたが、私は真剣に考察しました、「彼と私はどう違っているのだろうか?」と。それは取るに足らないような質問ですが、実りある質問でした。私たちは二人ともコンセンサスリアリティにひどく背く世界の仕組みについての説明を掲げています。私たちは二人とも既存の言語的、概念的基盤から取り出した言葉を並べ替え、そうすることで現実を変化させることを願っているのです。私たちは二人とも多くの人たちから社会から逸脱していると見なされ、だからこそ経済的支援や社会から承認されないことに無期限に耐えざるを得ないとされます(当時、私は彼のように無一文で無名でした)。

 時折、この男フランクが実は正しくて、世界を救うために神秘的な象徴のレベルでの取り組みをしている歴史上最も優れ勇気がある天才だという考えで私は脳を刺激しています。もしかすると、時間をかけて彼の取り組みを探究しさえすれば、私にも見えてくるのではないかと。

 あなたの友達や親族がちょっと時間を取って誰々の本を読んで、これこれのドキュメンタリーを観て、精神を開き、あなたの世界観を頭ごなしに否定することをやめることを時に願ったりしませんか?彼らがしっかり見さえすれば、彼らにもすぐに理解出来るのだと!

 フランクとは連絡を取り合っていませんが、今に至るまで彼が不可解な作業を続けているだろうことをほぼ確信しています。私たちのほとんどは彼のような不屈の精神を持ち合わせていません。私たちは社会性のある動物であり、せめてわずかなものでも承認を必要とします。私たち自身だけで社会から逸脱した物語に留まることは出来ません。「分離の物語」に引き込もうとする社会全体を前にして、私たちには味方が必要なのです。この本はそのような味方になることを目的にしています。私が願うのは本著作があなたがやはり狂ってはいなくて、それどころか正気を失ってしまったのは世界の方なのだということへの理解を呼び覚ましその理解を補強することなのです。

 (すでに敬虔な聖歌隊に対して)無意味に教えを説いているようだとあなたは言うかもしれません。それでも私自身聖歌隊のメンバーとして、私をここに留まらせ信じることを続けさせてくれた素晴らしい教えを説いてくれた人たちに感謝しているのです。彼らなしではとうの昔に世界を平らげている「機械」の車輪を滑らかにする仕事に就いていたでしょう。それが故に、カンファレンス、リトリート、オルタナティブな文化のためのコミュニティはとてつもなく重要なのです。新しい信念の中で私たちはお互いの手を握り合うのです。「ええ、それは私にも見えていますよ。あなたは狂ってなんかいませんよ。」私たち聖歌隊は集い、共に歌うことを学ぶのです。

 社会が崩壊する時、古い物語がその支配を物語と物語の間の空間へと手放した時に、聖歌隊の美しい音楽が私たちを招き寄せるでしょう。そして聖歌隊は、歌で私たちに加わるのです。私たちは大切な取り組みをしてきました、初めは孤独に、そして小さな周縁部のグループの中で。新しい「人民の物語」が保育器を離れる時が到来したのです。社会が崩壊する時、救いようもないほどに革命的なことが常識となるのです。


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