静かなる変革のすゝめ
若者たちの行動を契機に世界中で気候危機への意識が高まり、昨秋には世界中で大規模な気候マーチが行われた。2011年のNYでの「ウォール街を占拠せよ」や香港でのデモもそうだが、支配者層が苦しんでいる民衆に助けを差し伸べなかったり、上からの抑圧が強まった時に、動的なアクションや革命は止むにやまれない一つの大事な手段なのだろう。しかし、私は動的な革命もさることながら、継続しやすく心にジワジワと染み渡る「静かなる変革」こそがより有効な手段なのではないかと思っている。そして、それは本来粘り強い日本人の性向や在り方に合っているのではないかと。
その「静かなる変革」が何かを語る前に、20世紀、そして、現在においても最も力を持っているかもしれない心理学の分野の一側面について簡単に触れなければならない。それは行動心理学、群衆心理学、社会心理学とか広告心理学と呼ばれる学問の負の側面であり、つまり、人をいかに操るか・人がいかに操られるのかということについての研究と実践である。
歴史を振り返れば、「プロパガンダの天才」と言われたゲッペルスは多くの大衆をナチスの熱狂的な支持者へと変えることに成功したし、個人データをほぼ無断で収集してそれを事業に活用する大企業も消費者により効率よく消費させることに成功している。その根底にあるメカニズムは、個人個人の無意識にあって消化されていない怒り、憎悪、欲望、不安、希望、恐怖(日本では特に恥への恐怖)などの感情を呼び覚ますようなメッセージや広告を見聞きさせ、半ば自動的な行動(暴力や消費)に駆り立たせることにある。
例えば、何万人かに一人の美人や美男子が起用されている何かの製品のCMを見て、その製品を使えば彼らのようになれると本気で信じている人は稀だろう。それでも、その製品が売れる背景には、そのCMが「自分は不細工だからどうにかしなくちゃ」「あのクールな製品を使えば俺もかっこよくなれるかもしれない」「老いることは敗北だ」などという満たされることなき希望と不安や焦燥感を掻き立てることに成功していることによるところが大きい。
そして、もしその製品がもし自分のセルフイメージを高める効果が実際にあるのであれば、消耗品ならば特に、今度は私たちがその製品の中毒患者になる。セルフイメージとその製品がリンクした瞬間から、それを切らすことが恐怖になるからだ。それだけではなく、そもそもそのCMは人間の価値は見た目が大事だということを意識、そして、無意識へのメッセージとして流しているのかもしれない。そして、私たちは本当は必要としていなかったはずのメッセージや商品さえも受け取る消費者となり、意図もしていないのに、目に見えないものの価値が目に見えるものに劣ると認識し、言わばこの時代特有の物質主義的な魔法にかかってしまう。
そして、抗うことも叶わずに、自然環境を破壊する根源でもある暴走する成長ありきの現経済システムの一部として組み込まれてしまっている。やや極端に負の側面ばかりを強調してしまったが、物事に絶対ということはなく、広告の中には真の希望や勇気、愛を呼び覚ますものもあるということにも言及しておかなければならない。そして、言わば相反するメッセージの両方を含んだ広告も多い。
私たちは今の世の中に溢れている無意識の感情を掻き立てるメッセージから自分と特に子供たちを守らなければならない。しかし、それは日本をも超えた文明全体の方向性が変わらない限りなかなか難しいことなので、自分を消費者として仕立てようとするメッセージが様々な方向からコンスタントに送られているという事実を認識して、それらにコントロールされないようにベストを尽くすしかない。
そして、同時に「静かなる変革」の実践者となって、静かに燃えるロウソクのように光を灯すことをお勧めしたい。それは単純な活動であり、自分の目の届く範囲内に自分や子供たちに真に受け取ってほしいメッセージを並べることである。大勢の参加が必要な動的な革命と違って、「静的な変革」は誰にも気付かれずに一人で始められる。
「静かなる変革」の一つのやり方とは、自分の住居と自分自身を意識して本当に伝えたいメッセージで飾ることである。つまり、メディアの広告からの影響を逆手にとって、家と自分自身を、自分や家族、友達の心に届けたいメッセージに溢れる「広告」にしていけばいいのだ。自分が大切にしたいメッセージで周りと自分自身を少しずつ染めていく。子供は特に、家や両親、家族の在り方によって、時間をかけて特に意識することなく何が大切なのかを学び取っていく。
あなたが家族を大切にしたいのならば、家族と過ごしたり、家族の写真や思い出の品を飾ればいい。
あなたがご先祖様や大いなる存在を大切にしたいのならば、ご先祖様の写真やそれにまつわる品を飾ったり、一般的な日本人であれば、神棚や仏壇を置いたらいい。
あなたが祖国を大切にしたいのならば、国内で作られたものを多めに使い飾ればいい。
あなたが自然や生命の循環を大切にしたいのならば、咲き誇り萎れる姿を見せてくれる花や植物を飾るのがいい。そして、旧習から学んで季節ごとに飾るものを変えていけばいい。自分自身が身につけるものも季節の流れに見合ったものにするのがいい。
あなたが男女同権を大切にしたいのならば、男性性と女性性、陰と陽のバランスが取れた「雛壇」は毎年飾った方がいい。
あなたが空間や間を大切にしたいのならば、片付けをして物を少なくしてシンプルに飾ればいい。
あなたが調和や和を大切にしたいのならば、組み合わせや見た目を考えながら和洋折衷や陰陽五行説などを意識して飾っていけばいい。
あなたが思い出を大切にしたいのであれば、アルバム写真を整理して、手に届くところに置いておけばいい。
あなたが友達を大切にしたいのであれば、会いに行ったり、家に遊びに来てもらって友達を”飾れば”いい。
大事なのはそれが何であろうと、あなたの心が大切だと反応するものであなたと周りを飾り始めようと意図すること。あなたの心からの飾りはあなたにしか成し得ない。
現代の消費社会で生きることは、程度の違いはあれど、自分自身が名もなければ力もない、そして、代わりがきく「消費者」という存在に成り下がる魔法にかかることでもある。私たちは使い捨てされる「消費者」になるために生まれてきたのではない。唯一無二の自分を発見し磨き上げ、命を使い(使命)、命を運ぶ(運命)「循環者」として生きて死ぬためにこの世に生を享けたのだ。
そのような人間としての本来の在り方や生き方が、長い年月をかけてトラウマ化して不健全になってしまった社会システムにサポートされなくなった時代が続いた時に、それに取って代わった異常な生き方がいつしか普通と認識される。私たち一人一人が「静かなる変革」などを通じて、優しくない社会からのメッセージや今や古くなった成長ありきの物語の力を減じて、新しい物語と健全な社会システムを迎える準備をしなければならないのだ。現段階では滅することを目指すよりも減じることが現実的である。つまり、現時点では自然の中で自給自足の生活でもしない限り消費者であることを止めることは出来ない。だが、自分の中の「循環者」の割合を少しずつ増やすことは可能である。それは携帯の待ち受け画面をもっと心に響くような画像に変えるような小さくて大きな一歩から始まる。
「静かなる変革」などを実践しようという意志と実際の行動が、死に場所を失した過剰な消費社会と疲れて果てた私たちの中の「消費者」を少しずつ眠りにつかせ、それが新しい物語の創生、そして、本当の幸福や環境保護への目覚めへとつながっていく。新しい物語の中で私たちは古くて新しい魔法にかかり、一人一人が孤独ではなく、それぞれの色と光を放ちながらあらゆるものとつながっていて、世の中に大きな影響を与える力を持っていることを思い出す。
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