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レスバ最強ソクラテス、善に溺れたプラトン、やり過ぎたアリストテレスの話。【実践哲学】

本文は約2800字ですが、太字のみで要旨を把握できる仕様です。約400字。1分間で人生が変わります。

 昨日、対話が云々と投稿した折に、ギリシャ哲学の偉人たちのことを思い出しました。暇を持て余した人々の遊びとして興った哲学の芽は、祖たるソクラテスから始まりプラトン、アリストテレスと継承されていきました。

 まるで聖人君子のように語られる賢人たちが西洋哲学の基礎を構築したことは疑いようのない事実ですが、ここでは西洋哲学に敬意を込めて大いに疑いながら批判的に論じてみようと思います。

 まずソクラテス。喩えるなら彼は純朴なひろゆきです。「それってあなたの感想ですよね」とか「なんかそういうソースがあるんですか」で有名な5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)創始者の西村博之ひろゆき氏です。

 プラトンの著した『対話篇』などを読むと、ソクラテスの問答法が極めて攻撃的な質問を主軸とする戦略であったことがわかります。強制二択とも云うべき「あなたはAと考えるか、それともBか」という問いを多用して相手を混乱させ、AとB以外のグレーゾーンを許さないような論法で自分の有利な状況に誘導していくのです。時には相手を只管に肯定し、順接語で質問を繋いでから相手の矛盾をついて崩すこともありました。

 当然、相手は怒ります。

 するとソクラテスは待ってましたと言わんばかりに「対話には感情論を持ち出さない」という立場を盾に「顔真っ赤にしてどうしたw」とか「はい俺の勝ちw」のように敢えての単芝で煽り倒したことは想像に難くありません。

 当時のギリシャではレスバが大流行していたんですね。ソクラテス自身はあくまでも対話形式の啓蒙のつもりだったのかもしれませんが、彼の煽りスキルを真似する若者が爆増した結果、諸悪の根源として人々の恨みを買ったソクラテスは、人心を惑わした罪とかで遂に死刑を宣告されました。


 プラトンはソクラテスより40歳ほど年下の弟子です。ソクラテスの没後しばらくの間は彼の思想を正確に継承していたようです。書籍に残した時点で本質ではなくなるという主張から自分では本を書かなかったソクラテスに代わって彼の思想を残したのはプラトンその人でした。対話形式に拘った大量の書物を執筆しながら、プラトンは思索の場たる学園『アカデメイア』を開設します。それは画期的な教育の場であり、大学の祖とも呼べる場所でした。

 プラトンの異変は晩年に近づくほど顕著になっていきます。

 彼の学問的功績は多岐にわたりますが、やはり象徴的概念は「イデア」でしょう。物質世界の裏には永遠不変の理想たるイデアが存在し、それこそが真理であり、真の実在であるとプラトンは考えます。

 そして彼は「善」に執着し、やがて「善のイデア」こそ全ての人間と国家が目指すべきものだと信じるようになっていきました。

 プラトンのヤバいところは、ソクラテスの知り得なかったような自分オリジナルな仮説を論ずるときでさえも、文章内にイマジナリー・ソクラテスを登場させちゃってたことです。ここまで来ると虎の威を借る狐のような気がしてきますが、善に溺れたプラトンは自分が善なるものを目指す行いは善でしか有り得ないと確信していたのかもしれません。彼は80歳でその生涯を閉じるまで、アカデメイアでの教育に心血を注ぎながら執筆を続けていたそうです。


 プラトンの弟子であったアリストテレスは天才でした。あまりに優秀過ぎる天才であったために、アカデメイアで学びながらも早々に師たるプラトンの能力を超越し、触れるものすべてを論破しながら自分の仮説の正しさを主張していきました。それは極めて多彩な学問分野に及ぶ天才的な発想の数々で、当時の文明レベルからすると画期的で反論のしようもないほど完璧なものであったようです。

 プラトンの死後、アリストテレスは『アカデメイア』を離れると、なんやかんやあってマケドニア王国の中心的人物になりました。教え子のアレクサンドロスは王に即位するわ新たに開設した学園『リュケイオン』は大盛況になるわ、彼の人生の最盛期を迎えます。

 そこにも対話はあったようですが、天才アリストテレスに反論できるような人材は現れず、講義形式に彼の学説が真なるものとして浸透していくことになりました。それは、かつてソクラテスが目指しプラトンが継承した「対話」を主軸とする古典的哲学とは袂を分つ歴史であったといえましょう。


 模範解答を決めてしまったら、それは哲学ではありません。思考することが哲学の本質ですから、正解は思考を停止させ、水脈は澱み衰退します。

 紀元前にアリストテレスの残した「答え」はキリスト教に組み込まれることで中世まで色濃く残り、皮肉にも科学の発展を阻みました。正確にはアリストテレスの哲学や学説というよりも、後年の宗教家や権力者たちに起因する事件ですが、ガリレオ・ガリレイの地動説と宗教裁判の話はあまりにも有名です。


 さて、善や徳は正しいことのように思われますが、悪と不徳が正しくないのかというと、そこには疑問の余地があると考えます。そもそも善悪や徳の定義も難しいことに重ねて、正しさとは何かという命題も解決していないのです。

 何が正しいのか。
 何か正しいのか。
 何が善で、何が悪なのか。
 何か善で、何か悪なのか。

 ここに東洋哲学の視点が求められます。如実な効果を発揮するのは陰陽論でしょう。黒と白で二分されるようにみえる世界にも、その境界に無限の灰色があることを東洋哲学は許容します。陽の中にも陰があって陰の中にも陽があるように、世界を構成するものはゼロとイチではないのだと解釈します。その概念に孕む矛盾さえ愛するように、ただそのままを受容します。

 目的地は明確です。

 しかしそれが何処にあるのか、どのようなものなのか、問いに答えようとする思索と対話それ自体に価値があるのかもしれません。

 
 世に溢れる諸問題は、貴方の生活に直結します。
 
 答えのない問題に独りで向き合うことは難しい。

 今こそ古代の叡智を実践する場所が必要です。

 『対話的解決の場』

 それが私たちのアカデメイアです。


 開設から一年半以上にわたって、常に20名を超える参加者と共に歩み続けてきました。

 門戸はいつでも開かれております。
 来るのも自由、去るのも自由。

 ただ貴方にとって必要なときに此処に在るのが、noteのアカデメイアです。

 


 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、貴方の直面する様々な問題が、対話を経て解決していきますように。




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