奇病に立ち向かう/診察室の風景
世の中には多くの難病があります。
本邦の難病の定義は、①原因不明で、②治療法が確立されておらず、③稀少で、④長期療養を必要とするものとされています。さらに国の指定難病では⑤罹患人数の規定、⑥診断可能、という条件が加わります。
医学生を修了する頃には世界に存在する疾患名の多さに辟易とするものですが、医師として働き始めると診断のつかない症状に困っている人が膨大な人数いることに驚きます。
その貴婦人は、真赤に腫れた右眼を隠すようにして来院されました。私の外来に通院している友人から話を聞いて、藁にも縋るような思いで受診を決めたそうです。
「右眼が腫れて、…痛いんです。」
彼女は絞り出すように言いました。
曰く、一年前の秋頃から急に右眼が赤く腫れて痛み始め、発作的な頭痛にも苦しんでいる、と。
有名総合病院の眼科や脳神経外科や膠原病科に通院して、詳細な血液検査や頭部MRI検査をはじめ、あらゆる精査を受けた挙句、「診断がつきません。原因が分からない。お力になれず申し訳ない。」と診療科長に頭を下げられたというのです。
その後、一時的に症状は軽減したものの、秋頃から同じ症状が再燃して生活に支障をきたしているようでした。
「…謝られたって、困ります。どうしたらいいか伺ったら『わかりません』と言われてしまって、私、途方に暮れて。…先生、私のこの眼は、もう二度と治らないのでしょうか。」
さて。
これには私も困りました。
現代医学の最先端が匙を投げた患者さんです。診察の前に安易に治るとは言い難い。そもそも私は呼吸器内科医であって、眼科は専門外です。思いつく限りのあらゆる精密検査を以て診断のつかなかったものに、果たして何かできることはあるでしょうか。医業は訴訟リスクと隣合わせですから、自分の手に負えない病態からは遠ざかるのが安全です。
しかし、しかしながら私がここで「自分の専門外だ」と拒絶したら、この貴婦人は今後の人生を腫れた右眼と絶望の中で歩んでいくのでしょうか。
私は医者です。
専門が呼吸器内科だろうと、私は医者です。
自らの持てる西洋医学と東洋医学の技術を総動員して、この奇病に立ち向かわねばならないと思いました。
「治るか治らないかお応えする前に、詳しいお話を聴かせていただけますか。それから、診察を。」
世の中には当然、不治の病というものも存在します。無責任に治るなどとは言えません。
詳細な問診の結果、どうやら免疫が深く関係している病態であろうことが推定できました。次いで診察に移ったとき、ある確信が生まれます。
これはアレルギーの脈です。
胃腸もかなり弱っています。脾胃(≒消化器系)の失調を発端に、これまで問題なかった食品にアレルギー反応が出てきたのかもしれません。
「おそらくアレルギーが原因です。断定はできませんが、治療できる可能性はあると思います。」
その日は原因物質の特定には至らず、問診と診察所見から最適と考える2種類の漢方薬を処方して翌週の再診を予定しました。
問題はここからです。
翌週、その貴婦人は左眼まで真赤に腫れた状態で来院し『私はどうなってしまったのでしょうか』といって泣きました。
このエピソードが決め手となって確定診断に至り、ある生活習慣の変更と漢方治療によって速やかに治癒せしめることができました。
ここからは診断に至る実際の思考過程と、治療経過を公開いたします。御本人の許可は得ておりますが、処方名や診断名などの情報もあるため、メンバーシップ限定公開とさせていただきます。
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