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医学史から考える22世紀の流行

 人類の歴史は感染症との戦いの歴史であって、古来より医学は病と死を克服すべく進歩を重ねてきました。
 
 18世紀にジェンナーが世界で初めてワクチンという概念の発見と実用化を果たした後、200年をかけて恐るべき病「天然痘」は撲滅されました。

 19世紀にはコッホが実験的に病原微生物の存在を証明し、感染症学は飛躍的な前進を遂げました。

 革新的な抗菌薬「ペニシリン」の発見は1928年のことですから、僅か100年前までは感染症によって多くの命が終わりを迎えていたことが分かります。

 20世紀までの医学史のメインテーマは感染症学であったと考えます。それは古代中国の医学書「傷寒論」が感染症治療の教科書であったことからも明らかで、その系譜は今日に至るまで続いています。

 21世紀に入り、医学界の様相は変化を始めます。製薬会社の関心からも分かるように、特に先進諸国において「抗菌薬」から「抗がん剤」の開発に資金が投入されるようになったのです。衛生環境の整備を背景に、小児期の徹底したワクチン接種と様々な抗菌薬の開発によって、人類は多くの感染症と戦うことができるようになりました。

 すると次に死を意識するモノが「がん」であったのでしょう。早期発見のためのシステムが構築され、様々な治療法が確立されていきました。数十年前には考えられなかったような新しい治療薬が次々と実用化され、(資本主義社会と現在の医療制度が崩壊しない限り)これからも「がん診療」の領域は発展していくことでしょう。

 細胞の若返りに関する研究や、再生医療、人工臓器の開発、それらはいつか脳を含む全ての臓器を交換しながら生きていく「サイボーグ」の実現に至るでしょう。不老不死を願う人々がいる以上、やがて人類は死を限りなく遠ざけることができるようになるのかもしれません。


 そこで問題になるのが「こころ」です。

 既に現時点で科学技術の進歩は人の心を置き去りにしています。加速する社会の中で軽視された心は、いったい誰が汲み取ればいいのでしょう。
 もしもこのまま不死が実現してしまったら、きっと心の方が先に死を迎えるのではなかろうかと、私は恐怖します。

 したがって今世紀から来世紀にかけての主題は、心理学および精神医学の領域であろうと私は考えます。形而上学が再び脚光を浴びる瞬間は、そう遠い未来ではありません。

 極度に物質化された科学社会には、必ず揺れ戻しが生じます。それは物質世界から精神世界への回帰であり、忘れられた心と時間を取り戻す運動であり、人工物から自然への還元反応であるはずです。

 21世紀の主流は未だ物質的な豊かさの希求かもしれませんが、特に感受性の高い人たちは、その虚しさに気付き始めているように感じます。


 ここで私の述べる内容は、安全圏から発する妄言かもしれません。命の安全を確保できる場所、衣食住の確保が前提です。それが世界規模で叶う日がきたら、しかしどうしても「こころ」の問題に直面するでしょう。

 例えば貴方の、そして私の「こころ」を見つめることが、いつかどこかで誰かの役に立つ日がくることを、私は確信しています。



 拙文に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。願わくは、貴方のみる世界が優しい色でありますように。




#自然に帰れ
#でも文明は捨てなくていい #それはやり過ぎ
#自然をテーゼとすると科学はアンチテーゼですからアウフヘーベンしてジンテーゼを目指すといい
#それが弁証法 #要は極論に走らないこと
#エッセイ #医師 #精神医学 #こころ

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