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強すぎる「喜び」に御用心 〜「塞翁が馬」に潜む心理と日常の危険を回避するコツについて〜

 やった!良い事があった!喜びは人生の醍醐味です。しかし私は幼少期から「良い事があったときほど気をつけなさい」と親に何度も言われながら育ちました。「何に気をつけるの?意味わかんない」と思っていましたが、大人になるにつれてその言葉の真意が分かるようになってきました。

 先日、友人が子どもに恵まれたと大層喜んでおりましたが、その矢先に交通事故に遭ってしまいました。幸い事故はごく軽いもので友人も相手も全く怪我はなかったそうですが、世の中なにが起きるか分からないものです。

 友人の話を聴きながら、
 私は古事成語「塞翁が馬」を思い出しました。

【塞翁馬】
近塞上之人、有善術者。 馬無故亡而入胡。 人皆弔之。 其父曰、
「此何遽不為福乎。」
居数月、其馬将胡駿馬而帰。 人皆賀之。 
其父曰、
「此何遽不能為禍乎。」
家富良馬。 其子好騎、墮而折其髀。 人皆弔之。
其父曰、
「此何遽不為福乎。」
居一年、胡人大入塞。 丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。 此独以跛之故、父子相保。
故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

 塞翁が飼っていた馬が逃げ出します(禍)が、その馬は良い馬を連れて帰ってきます(福)。息子が乗馬を楽しんでいると落馬して骨折します(禍)。しかし1年後、戦争で多くの若者が亡くなる中、塞翁の息子は足が不自由だったため戦を免れ生き残る(福)、という話です。禍福の度に村人は慰めたり祝ったりしますが、塞翁はフラットな感情で全て受け流しています。「禍や福はどのように起こるか予測し難く奥が深い」という結びに繋がります。

 …あれ?
 この話、よくよく考えると怪我をしたのは息子で、塞翁自身には何の不利益も生じていません!とんだ強運の持ち主です。
 ポイントは塞翁が、何が起きても軽く受け流しているということです。悪い事があったら「良い事に繋がるだろう」と受け流し、良い事があっても「悪い事が起こるかも」と受け流す。この塞翁ならたとえ宝クジが当たっても軽〜く受け流しそうです。

 塞翁の息子は良い馬にテンションが上がって喜びながら乗馬を楽しんだことでしょう。戦争に駆り出されなかったのは良いこととはいえ、1年後の戦争時にも足が不自由というのはかなりの後遺症です。大腿骨骨折とありますから、当時としては非常に危険な怪我で、現在でも相当の重傷で適切な治療が行わなければ(出血や感染で)亡くなってもおかしくない。良い話みたいに終わってますが、息子の心境は複雑でしょう。

 さて、ここで東洋医学の観点から喜びについて考えてみます。

 喜びという感情は、五臓六腑でいうところの「心」に関係しています。東洋医学の「心」は解剖学の心臓も包括する機能単位ですが、例えば睡眠覚醒のリズムを司るといった視床下部や大脳皮質の一部も含まれます。強過ぎる喜びは「心」を傷つけることが知られています。結果、睡眠覚醒のリズムに支障が出たり、心拍数や血圧に異常が出たりします。
 すごく嬉しいことがあった夜に中々寝付けないのは「心」の働きが乱れているため、と解釈します。そして睡眠不足は注意力低下をもたらし、事故等に繋がる恐れがあるというカラクリです。

 ではどうしたらいいか。

 塞翁のことを思い出しましょう。
 
 良いことがあっても、喜び過ぎずに穏やかに。

あわてない、あわてない。
ひとやすみ、ひとやすみ。(cv松岡修造)


 拙文に最後までお付き合い頂いたことに至上の感謝を。貴方からの大切な「スキ」に喜び過ぎないよう、精進して参ります。


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