失敗したらやり直せばいい話

 先日、しばらく外来に来ていなかった人が突然やってきました。
 ほうっておいたら大変なことになる病気を抱えながら、急に来なくなって連絡もつかず。実に半年ぶりにやってきたその人を診察室に招き入れ、私は言葉を選びます。

「大変でしたね。今日はどうされましたか。」

 突然連絡もつかなくなって病院に来なくなったら、それは治療の自己中断であり、ドロップアウトということになります。何があっても医療者側は責任を負いかねます。一方的に信頼関係を破棄されたわけですから、激怒する医師もいるでしょう。高圧的な態度をとったり、責めたり、嫌味を言ったり、そういう展開が起こりうる診察室で、しかし私は極めて普通に声をかけました。

 理由など知りません。連絡もつかなかったのですから。しかし、来なくなった経緯には何か事情があったのだろうし、そうでなくとも自分から通院しなくなったのに改めて病院に来るまでには、気まずい思いやなんやかんやがあったでしょう。すると大変だったことには違いありません。そして、なぜ今日来たのか理由を問うことから診療が始まります。

 その人はポツリポツリと事情の説明を始めました。多くは極めて個人的な、しかしその人にとって重要なことを背景に、直接の理由は治療の副作用がつらかったことと、治療にかかる金銭面の問題ということが分かりました。
 通院を自分で止めてしまったものの、治療を中止したらやはり具合が悪くなってきて、それでどうにかできないかと相談に来たという次第です。
 まず病状を詳細に評価するところから始めて、治療のプランをいくつか立てて提案します。期待しうる効果と予測される副作用のバランスを考えながら、慎重に決めていかなければなりません。金銭面については事務方に相談する必要がありそうで、該当部署に相談の電話を入れました。切迫した状態であれば何か利用できる制度があるかもしれません。
 そうやって状況を整えて、治療を再開することができました。


「先生、怒ってるんじゃないかと思って。」 

 泣きそうな顔でその人は言いました。

「私は、心配していたんですよ。」

 そういって肩に手を添えた私をみて、その人は泣きながら、勝手に来なくなってしまったことの謝罪と、病気が怖いという表出と、ありがとうという言葉を残して、診察室を出て行きました。

 人は失敗します。
 うまくいかないことがあって当然。過失よりも故意のほうが問題ですが、それにしたって謝罪して反省したら、またやり直せばいい。
 「覆水盆に返らず」といいますが、新しく水を汲めばいいじゃあないですか。零した水を拭くくらい、私も手伝いましょう。
 え?故事成語の主旨と違うんじゃないかって?
 私はあの話、呂尚の方にも問題があると思うんです。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の失敗が綺麗さっぱり昇華されて、新しい可能性が花開きますように。



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#仏の顔も三度まで #渡邊も基本的に三度までは赦しますが
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