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「無駄」を愛せ~駒撮から学んだこと~

12月28日深夜0時32分。
いくらなんでも寒かった。
その日は愛媛県全域初雪がふっていた。

そんな中、ピンクのラパンがスリップしてトンネルの壁に突っ込んでいた。

その車の中で、一人の男が呆然としていた。

僕だ。



ということで、死にかけました。
(冒頭は明石ガクトさんの動画2.0のオマージュです)

完全に雪道を舐めてました。
ほぼほぼ初の雪道運転だけど、タイヤも換えてたから安心していた。
とはいえ雪道を55km/h で走るのは今思えば馬鹿の極みである。
カーブで思いっきりスリップし、トンネルの壁に突っ込んだ。

走馬燈は見えなかったが、
今月、ただでさえお金ないのにまた出費が・・・
とか考えてた。壁が段々と近づいてくる感覚はすごく怖かった。
死んだと思った。死ぬのってあっけないなって思った。


・・・だけど助かった。
0時半という真夜中に関わらずたまたま通りかかった老夫婦に助けられ、
家に帰り、親に会った時。

死ぬほど泣いた。生きてるっていう感覚に死ぬほど泣いた。





前置きが長くなったが、なんか生き残ってしまった私は、
たまたま田端さん(@tabbata)のツイートを見て、このようなつぶやきをした。

なんと返信が来た。

このツイートにはとても納得した。
死にかけたからこそ。
私ももしあのとき死んでいたら、
地方紙の愛媛新聞の端っこの方に小さな記事として扱われ、
その記事を奇跡的に見た人が、
「雪道運転慣れてなかったのね~可哀そうに」って10秒ほど雑談して
終わるような些細なことだ。世間にとって。



今回のことで私は深く感じた。
どうせ生き残ってしまったなら。生まれ変わったことにして。全力で人生という無駄を楽しんでやる」、と。

(「死ぬこと以外かすり傷」の言葉が深く刺さりましたよ箕輪さん…。)


私が今している「写真」も、今の時代では無駄の塊だ。
(写真が大好きだからこそ言う)

・「時代は静止画やなくて動画やで。」
・「カメラ高いやん。iPhoneいますごいやん。」
・「機械があれば誰が撮っても変わらんやんwww」

(ああ、何で僕の脳内は関西弁なんや)

実際、撮った写真って基本見るのってスマホだからWi-Fi回線つないでスマホに送るの面倒くさいし今はオールドレンズ(簡単に言うと古いレンズ)にハマってるけどこれなんかピントを手動で合わさないといかないし旅行で荷物めっちゃ増えるし食事前にご飯の写真撮ってたら「出たインスタグラマーwww」とか言われるし。


カメラってまあまあ無駄の塊。ああ、無駄。



だけど、その無駄が僕は好き


そんななか僕が所属している、
駒月さん(@komatsuki_ma)が運営しているオンラインサロン、
『駒撮(コマドリ)』も、
そんな写真を愛する人たちのサロンだ。

写真サークルといえば、
・可愛い女の子を囲んで撮影会
・写真を持ち寄って「ああ、これいいね」「こここうすればいいんじゃない?」
・おすすめの機材の品評会

というイメージをするかもしれないが、
このサロンはちょっと違う。(いや、こんなこともしてますよ)



駒撮で重要視されるのは、

「あなたはなぜこの写真を撮ったのか?」
「この瞬間にシャッターをなぜ切ろうと思ったのか?」

という、言語化することにとことんこだわる。




誰にでも「写真は撮れる」時代だからこそ、

自分と向き合い、

自分の好きなものをとことん追求し、

そして写真というカタチでアウトプットする。

写真という不完全なメディアだからこそ、
その「不完全さ」や「無駄さ」を愛し、
日々写真を撮り続けてるのが、『駒撮』だ。





田端さんの言う通り、人生は壮大な無駄、時間つぶしかもしれない。

だけど人生、無駄があるから美しい。

だから私は「無駄」を愛し続ける。
自分自身を最大限に表現できる写真という「無駄」を、とにかく愛する。




(駒撮関連のご質問はお気軽に駒月さんまで!)


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