ミルキーな魔法
夕方は好き。魔法のような時間だから。夜はあんまり得意じゃないけど、夕ぐれはすこし先回りして、夜がくることをそっと私に教えてくれる。いつもそう。
このまえも夕ぐれがうつくしかったから写真を撮って、その写真を見ながらなにかnoteを書きたいと思って、タイトルを考えていたら、ミルキーという言葉を思いついた。
それで思い出したことを書いてみる。
小学生のころ、たぶん4年生のときだったけど、授業で川へあそびに行った。よく晴れた夏の日で、クラスのみんなで水に入って遊んだあと、木陰で休んで、帰る前に先生がミルキーの袋をカバンから出した。そして、さてクイズです、ミルキーはなんの味でしょう?答えられたひとにミルキーをあげましょう、と言った。
みんな手をあげて、ミルク味!とか、ぎゅうにゅう味!とか答えて、でも先生がにこにこしながらちがうって言うから、どんどん答えが適当になっていって、いちご味!とか言うお調子者の男の子もいた。
そしたらそれまで黙っていた私の親友のあの子が、だいすきなあの子が、私の隣でそっと手をあげて「ママの味」って言った。先生は満面の笑みで正解!と言い、彼女にまっさきにミルキーを渡した。みんなは「なーんだ、それかあ。知ってたのになー」みたいな感じでわやわやしていた。
そのあとみんなミルキーをひとつずつ手のひらにのせてもらって、それを食べてからゆっくり歩いて学校へ帰った。
ミルキーはなに味でしょう、という問いかけに、ママの味と躊躇いなく答えた彼女のその抜群の感性をすごくいいな、と思った。そしてすこしうらやましかった。私はなんにも思い浮かばなくて、黙ったままだったから。
そんな彼女は小学校低学年のときに転校生として私の学校へやってきて、彼女に与えられた最初の席は私の隣の席だった。
私たちはそのときまだ7歳だったけど、はじめての転校生が私の隣に座るということを胸いっぱいに受け止めて、それを運命的だと思った。親友になるかもしれない、と思ってその女の子をじっと見た。彼女も私を見ていた。かみのけがとてもきれいな子だな、と思った。
私は小学生のころ彼女の髪をよくさわった。勝手にさわったら彼女は怒るのだけど、でもお構いなしにさわっていた。彼女が本を読んでいるときとか、廊下ですれ違ったときとか、たまに髪をひとつに束ねているときとかに。
私は彼女のことがすごく好きで、でも本当に仲よくなったのは小学校が終盤に差しかかってからだったな。それこそ、ミルキーの出来事よりあとくらいからだった気がする、
年齢が2桁になって、でもまだ小学生を終えていないあるとき、風がすごくざわざわしている、雨なのか曇りなのかよくわからない春の日があった。
そんな朝、彼女は教室の窓から外を見ていた。桜ももう散ってしまっていたあとだったし、誰も外など見ていなかったから気になって、なにを見てるの?って近づいた。
そうしたら彼女は、木を見てる、ほら、風で全部葉っぱが裏返ってる、かわいい、と言った。
風が強い日に、山全体がいつもより薄いグリーンになっているのは、木の葉がみんな裏返しになっているからなんだと、私はその彼女の言葉ではじめてきちんと気がついた。今までは何の気なしに見ていたから、そのことに気づいていなかったのだ。なんかいいな、と思った。
彼女が誰も見ていない葉っぱの裏を見ていたことを、私だけが覚えていたいな、と思った。
彼女はプール上がりにくるくるになっている私の黒髪を見て「人魚姫みたい」と笑ってくれた。おそろいはあんまり好きじゃないの、と言っていたくせに、小さなピンクと白のくまちゃんのおそろいのストラップをくれた。お泊まりのときに、前髪が伸びすぎちゃったと言ったら、切ってあげると言って鋏で髪を切ってくれた。
私が週末に遊ぼうよって電話で誘っても、気が向かなければちっとも遊んでくれないのに、自分が声をかけたら私が応じること、最初から知っているみたいだった。
気まぐれな猫みたいな女の子。
中学生になって、思春期に入ったら、私も彼女も他の女の子とふたりでも遊ぶようになって、でも私たちの友情はべたべたしていないものだったし、お互いがいちばんってことがきちんと分かっていたから、あんまりそれについてどうこう言ったりしなかった。
(ちょっとやきもちやいたりしてたけど)
彼女は同級生の女の子たちのセーラー服のスカートを戯れにひらりとめくるといういたずらをしていたけど、私のスカートだけは絶対にめくらなくて、私はそれをものすごく不思議に思っていた。
けれどそれを問いかけたら「私たちの友情は男の子の友情みたいなものでしょ?」と彼女が言うから、そうか、私が特別なんだと思ってうれしくなった。
私はいつも恋に身を焦がしていた。彼女は呆れながらも、そっと見守ってくれた。あんまり深入りはしてこなかったので、私も彼女に深入りしなかった。
いつも大切なことはそのときに明かさない私たち、大学生になって電話でそういう話をしたときに、彼女が私のことを性別とか関係なく、すごく好きだったんだってことをはじめて言葉で教えてくれた。態度ではない、言葉で。
いま思ったら、あなたのスカートをめくらなかったのは、無意識にセーブをかけていたのかもね、親友って言ってたけど、私は恋愛的な好意だって言ってもおかしくないくらいにあなたを好きだったよ、あなたが誰かと遊んでたらうらやましかったよって、彼女は教えてくれた。
なあんだ、いっしょじゃないの、私たちいっつもあとでこういうの話すよね、と笑った。
そして私は彼女の気持ちに胸をうたれて、私、もし万が一恋人とうまくいかなかったら、もう恋なんかせずあなたと暮らすわ、と約束し、彼女は彼女で、言ったね?ほんとだね?と電話向こうでにやにやしていた。今では彼女にも恋人がいるというのに。
私にとって彼女が特別であることが変わらないように、彼女にとっても私が特別であればいいのに、と思った。
そんな彼女と久しぶりに会った。1年以上も会っていなかったので、とてもうれしかった。ふわふわとさくら色の気持ちで、るんるんと鼻歌を歌うかんじ。
彼女は前に私が栞が欲しい、と言ったのを覚えていてくれて、ミュシャの、春というタイトルの絵のきれいな栞をくれた。モネの絵のマスキングテープもくれた。カナダへ行ったときのお土産の、かわいい木箱に入っている紅茶もくれた。さらには図書カードまで入っていたから、ぎや〜って言いながらよろこんだら、「やっぱりそれがいちばん好きなのね」と笑っていた。
そういうわけじゃないんだけど…
彼女からの贈りものはいつもあまりにもすてきなので、なぜそんなにセンスがよいの?って不思議に思う。でも彼女自身がすてきなのでそりゃそうよ、とも思う、のだ。
彼女のことはこれからもきっとだいすきだから、あまいミルキーをなめたり、風に吹かれて裏返った木の葉っぱを見たりするたび、私は彼女がどうか満ちたりているようにと願ってしまうのだ。私にとって永遠に特別な女の子。
そういうことをここに書いて残しておきたかったからきました。みんなにとってもそんなひとがいますか。もしいるならばそれはほんとうにすてきなことだと思うよ、大切にしましょうね。
おやすみなさい。
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