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広島G7サミットに見る政治力=調整力

みんなで一緒になにかをする

そもそも政治とは欺瞞だ。個々人はみんな違う。それにもかかわらず政治はなんらかの政策によって複数人を同時に満足させようとするのだから、原理的には欺瞞が発生して当然である。矛盾があって当然である。
しかし複数人が一緒に何かをしようとするとき、政治という「諸利害の調整」が必要になる。

今回の広島G7サミットは「政治ショー」というものの可能性を見事に示してくれた。
みんな違う思想信条の持ち主だ。例えばイタリアのメローニさんは移民排除を唱える極右の白人至上主義者である。その彼女がインド系のスナクさんや黄色人種の岸田さんと握手をして共通の理想を掲げた。もしかしたら内心、渋々だったかもしれないけど、政治家として妥協(調整)が必要と判断したのだろう。

被爆者のなかには、今回のサミットが自分の夢見ていたものと寸分たがわず同じではないからという理由で、「失敗だ」と決めつけたひともいた。
しかし政治家は被爆者の気持ちだけに寄り添っていてはいけない。ウクライナ避難民の気持ちもまた、防衛力強化の必要を感じている弱小国の気持ちもまた、考慮に入れなければならない。

核軍拡への対抗

いま、世界の大きな流れは、核軍拡である。
引き金を引いたのはロシア、中国だ。
その圧力を受け、例えば韓国では独自に核保有をしたいという声が、世論の過半数以上に達した。
しかしそのような核軍拡の流れに対し、広島G7サミットは「待った」をかけた。

僕が岸田さんは賢いなと思ったのは、その「待った」のかけ方である。
岸田さんは韓国大統領と一緒に韓国人原爆犠牲者慰霊碑に祈りを捧げに行った。
その行為には、「韓国国民のみなさま、BTSがキノコ雲のプリントされたTシャツを着て話題になったことからも、あなたがたが核兵器にポジティヴなイメージを持っていることはよく存じあげております。しかしあなたがたの同胞もまた核兵器の犠牲者なのですよ。それにもかかわらず核兵器を持ちたいのですか。」という意味を容易に読み込める。

核なき世界と核抑止

核なき世界が理想ならば、核抑止だって理想だ。
核抑止論は「自分が核を持てば、敵は使わないだろう」という「仮説」に基づいている。その意味で理想論に過ぎない。
もちろん過去数十年間、核抑止は功を奏してきた。その効果を認めないひとは「頭のなか、お花畑」と揶揄されても仕方がない。
しかし明日が昨日の延長である保証も、またどこにもない。

そもそも核なき世界はそんなに崇高な理想だろうか。
通常兵器ならば、どれだけひとを殺してもかまわないのか。ルワンダの虐殺(1994年)は山刀や鍬で行なわれた。

目標として掲げるべき理想は「永久平和」だろう。
この理想のもとに、諸利害を結集(調整)させるのが大事なのだ。

理想への道のりは長く険しい。
だからとりあえずいまのところ、日本の安全保障はアメリカの核に依存している。
これを矛盾だと批判するのは、ナイーブだ。
大事なのは長期的視点と短期的視点の両方を持つことである。

理想は手抜き工事にならないように、ゆっくりと丁寧に構築していくことが大事だ。
ときには「二歩進んで三歩下がる」こともあるだろう。ときには「寄り道する」ことも、「迂回する」ことだってあるだろう。
けれども道に迷ったときにあらためて確認するゴール、それが理想なのだ。

ゼレンスキーさん来日

ゼレンスキーさんの来日を実現させた世界各国関係者の調整力はたいしたものだ。

「ゼレンスキーさん来日」、その第一報を聞いて、多くのひとがアメリカの軍用機で岩国基地に降りるにちがいないと思った。しかし実際にはフランス空軍機で広島空港に降り立った。
水面下では多様な意見交換と調整があったはずだ。(どれだけのメールが行き交ったことだろう。)
アメリカの軍用機を使ったらロシアから撃墜されるかもしれない。それに「ゼレンスキーはアメリカの傀儡だ」というイメージが発生してしまう。
それじゃあフランスに一肌脱いでもらおう。
一方フランスはフランスで独自外交の利点をアッピールできる機会を逃したくなかったはずだ。

ゼレンスキー来訪を公表したタイミングも見事であった。
もしもあまりにも早く「ゼレンスキーが来ますよ」と予告していたならば、インドとか、「じゃあ、俺、広島に行かねえ」と言ったかもしれない。

日本のお家芸

かくして広島G7サミットで、日本は「宴会の幹事さん」の役が得意なことをあらためて内外に示した。

幾度も根回しをしてさ。
参加者共通の落としどころを探ってさ。
すべての参加者に気を使って、席順を決めたりしてさ。
主役(ゼレンスキー)をたてて、自分は半歩さがって「司会」に徹してさ。
うまくいってあたりまえ、不都合があったら責められる役。
胃が痛くなるような仕事。

僕は不得意だからこそ、その労苦に敬意を払うことができる。
おつかれさまでした。

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