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映画『土を喰らう十二ヶ月』を観て -好きな人と一緒の御飯がいちばんおいしい

プロデューサーの手腕のうまさ


キャスト:沢田研二、檀ふみ、火野正平、尾身としのり
テーマ:食、老い、年の差恋愛
スタッフ:土井善晴先生

人参をこれだけぶらさげられたら、昭和生まれは馬のように走って観に行きたくなって当然でしょう。私も、松たか子に口元が似ている女友だちを誘って、さっそく行きました。

ビーガンとエコロジーとうまさと健康の悩ましい関係


映画は長野で野菜を作って一人で暮らす老作家の生活を追う。

映画で出てくる御料理はすべて精進料理だ。卵すら使わない。野菜は庭の畑でできる。おそらく有機肥料のみを使用したエコな野菜だ。梅は梅林に、筍は竹林に、キノコは山に採りに行く。

さて映画ではこれらの野菜がときに茹でられときに焼かれ、素敵な御料理になって登場する。そしてそれをたいそうおいしそうに食べる光景、それこそが、この映画が伝えたいものではないかと思った。沢田研二と松たか子が筍を頬張るシーンは素晴らしかった。おそらく生涯、忘れられない。

ただ二つ、疑問がある。
ひとつに、映画の料理があれほどまでにおいしそうなのは、地球にやさしい野菜だからではなくて、土井善晴先生が作っていらっしゃるからではあるまいか。
もうひとつ、主人公が食べるお米の分量の多さである。あんなにたくさん炭水化物を採ったら病気になるのじゃあないかしら。

ごめんよ、ほうれん草の根っこちゃん


私は思うのだ、そもそもいちばん大事なのは飢え死にしないことだと。
実を言うと、これは先日、私自身がある若者に鶏肉のクスクスの作り方を教えながら言ったセリフである。「おそらく私のクスクス料理を見たら、アルジェリア人やモロッコ人やチュニジア人は驚愕して悲鳴をあげるかもしれない。しかし我々にとっていちばん大事なのは飢え死にしないことである。だからマグレブのひとたちから見て『正しいクスクス』を作ることよりも、食べることができるものを作ることがまず大事になる。」このことは言外に次のように言っている。「食べることができないものは作らんでよろしい」。もちろん野菜が嫌いで食べることができない彼が喜んだことは言うまでもない。

菜食主義や環境問題は大事かもしれないが、いちばん大事ではない。
国産物か輸入物かも大事かもしれないが、価格だってまた大事である。
同様に、手間暇だって大事だ。

映画のなかでは野菜が丁寧に丁寧に下ごしらえをされていく様子が描かれている。梅干しを作るために梅のヘタを一個ずつ楊枝でとりのぞく作業などは、見ているだけで気が遠くなりそうだ。
「私たちの肉体も、野菜も、すべて自然の恵み、神様から頂戴したものなのですから、丁寧にひとつずつ調理をしましょう」という思想はたいへんよくわかる。たしかに映画を観て、私自身、これまで無下に捨ててきた、ほうれん草の根っこちゃんには申し訳ないとお詫びしたい気持ちになった。
けどさ、料理ばっかりしているわけじゃあないからさ。それに冬に水を使うとアカギレだってできるしさ。綺麗な手でいたいしさ。

簡単でおいしい冬の肴レシピ


そんなわけで、ちょっぴり映画から話をずらして、ものぐさ太郎くん、暇なし花子さんのための超簡単な冬の酒の肴を、二品、御紹介しましょう。
・焼きしいたけ
しいたけの軸を切り落とします。しいたけの円盤をひっくり返します。日本酒をちょいとこぼします。しいたけに酒が入ったままグリルで焼きます。焼けたら出来上がり。塩をかける必要もないと思います。銀座のバーのマスターから教わりました。
・湯豆腐
鍋に昆布を入れて、水を入れて、お酒を多めにドボドボ入れて、塩をこれまた多めにボトンと入れて、火をつけて沸かして、そこへお豆腐を入れます。お豆腐があたたまったら出来上がり。お醤油もポン酢も要りません。汁はぜんぶ飲み干せます。小生の考案です。

好きな人と一緒の御飯


さてまた映画に話を戻しましょう。ラストシーン。老作家はひとり、御飯を前に「いただきます」をする。彼はひとりぼっちだ。けどおそらくひとりではない。心のなかでは多くの好きな人と一緒なのだろう。亡くなった奥さん、お父さん、そしてもう会ってはいけないカノジョと。主人公は彼らを思い出しつつ、彼らと一緒においしくいただくのだ。それができる想像力は、さすが作家ならではだと思う。

私は駄目だ。小説家ではない。私は現実を見つめる歴史家だ。救急車のなか、握りしめる手が必要だ。孤独はつらい。

けれどもと言うかだからこそ、私も映画の主人公をまねて、今晩は次のように言って眠りたい。
「みなさん、さようなら。」

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