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自己分析がてら過去を振り返る回【他人と不機嫌】

人間関係で悩み、立ち止まるたび
「私は間違ってない」
と思い出させてくれる記事がある。

女性向け恋愛関連メディアAM(アム)で2019年6月に公開された、大泉りかさんの『不機嫌になって黙り込む…それ「パッシブアグレッシブ」かも?』という記事だ。
かつて私が、ささいなことでいちいち不機嫌になったりそれが済んだら「俺はダメな人間だ」と泣き喚いたりする彼氏と別れ、自分を大切にする努力をし始めた頃。この記事と出会った。

この記事に登場する大泉さんの元彼は、記事のタイトル通り不機嫌になって黙り込む。カレーに福神漬けがなかったり、マヨネーズが切れかけていたり、そんな些細なことで。
早く別れれば良いじゃん、と赤の他人は思ってしまいそうな内容にも感じるが、その判断ができたら苦労はしない。

友達からメンドクセー恋人との恋愛相談を受けることがある。「別れなよ」と言うのはとても簡単。友達がどんなにその人のことが好きでも、部外者の私がメンドクセーと思う以上、相談されたとて「別れ」が一番健康的な解決策に見える。
ただ、こういう友人はすでに決断する気はなく、友達に愚痴ることでなんとかストレス軽減をはかり関係を継続していく。私は彼らのストレスのゴミ箱だ。だから真面目に打開策なんて考えない。どう考えても「別れ」が一番の打開策だし依存にしか見えないが、その判断さえできなくなるものなのだ。

さて、私の話に戻る。
私の場合「アルバイトの話はするな」とか、「他の男にモテそう」とか、家族旅行中は「(どうせLINEでしか連絡取り合わないのに)遠くにいて辛い」とか、毎日がそんなんだった。一度なにかがきっかけで不機嫌になると、その時間は何時間も続く。私が延々と慰め続けて気分が落ち着くか、私にキレられる予感がした彼が「カッコ悪くてごめん泣、でも好きだから仕方ないんだ泣泣」モードに入るまで(無論、そこからが長い)。
コイツの言ってること意味わかんね〜と思いつつ、「私はおかしなことを言われていると分かっているし、いつでもそれを指摘できる」と思い込んでいた。分かっているから大丈夫という考え方は、今思えば謎の思考回路だった。
分かっているなら別れれば良いし、友達に相談したとて当然たどり着く答えが同じになるのは言うまでもない。
期待するだけ無駄の"何か"に期待し、自分なりの判断基準はあっても判断するという考え自体を喪失していた。つまり「好きだからって何言っても良いわけじゃねぇ!」と思ってはいてもそれを伝えることはしなかったのである。

1年付き合ってやっと怒りと本音がとび出し、別れた。別れがLINEだったので知るよしもないが傷ついた彼は被害者面してたと思う。文面がそういうスタンスだった。
私はそんな彼のことを「自分に自信がなさ過ぎるあまり、恋人が何かに挑戦したり成功することをいちいち否定する」と分析していた。
例えば、初めてアルバイトを始めた日も、髪を初めて染めた日も、大学入学の時も彼は不機嫌になったあとずっと泣いていた。自信がないから依存するんだと思っていた。

ところが、大学のある授業で彼との1年について話したとき、ある先輩からこんなことを言われ、とても驚いた。

「2人とも依存してしまっていたんですね」

2人とも?私も?
今まで散々判断自体を喪失するとか言って読者的には「明らかに依存してるだろ」と思われていることと思うが、私はこの瞬間まで自分も依存していたことに気づいていなかったのである。
依存されていて「私」という人間の心を消費させられた、そう思っていた。別れなかった時点でこちらも依存、とは思っていなかったのだ。
今は当たり前にたどり着ける結論だが、当時の私は目を大きく見開いていただろう。

*怒りと自己愛

自分の心を自分ですり減らしていた側面にようやく気づいた私は、誰よりも自分主義を貫こうと決意した。
ここでいう自分主義とは、周りを蹴散らすという意味ではなく誰かの褒めや優しさに依存せず自分で自分を褒めることと、誰かから私へ向けられる愛情より自分で自分に向ける愛情を大きくすることを意味する。
つまるところ、自己中心的ではなく自己絶対的な愛である。

イラッとしたこと全て喧嘩をふっかけるわけではないが、私が感じた違和感や怒りをないがしろにはしなくなった。と言っても、会話の反射神経が悪いので感じた違和感を言語化するには時間がかかる。

余談だが、最近新しい彼氏ができて割とすぐ別れた。その彼にアルバイトの話をしたときに職場に男性が居るか聞かれた。
そんなに私に固執しているわけでもないくせになぜそんなことを聞いてくるんだ?とかなり失礼な混乱を勝手に起こしつつ、
「アルバイト先はアルバイトだから」
というようなことを答え、納得と理解を得ようとした。でも結局、「唯一いる男性は店長で、こないだ結婚したばかりの新婚さんだから安心して」という説明をしたのだった。
また、大学の話をした流れでお世話になっている教授の写真を見せたときも「俺の方が若く見える」みたいなことを言われた気がする(先生と彼はひとつしか歳が違わなかった。どちらかといえば一緒に写っている私のことを褒める方がセンスある)。

仮に私がバイト先や学校でモテにモテたとしても、私が応じなければ関係ないことだ。
私と関わる男性を全て恋愛に結びつけることで、アルバイトや学業を頑張っている私をないがしろにしたこと、彼は気づいただろうか。

先述した彼だってそうだ。
高校生の私たちがお付き合いを始めたと知ったある同級生が私のことを極度に避け始めたとき、頼んでもいないのに勝手にその彼にブチ切れた。もしかしたら私のことを少し好きだったかもしれない彼の自尊心を踏み潰したうえ、私のことを守りたかったなどと供述し私に感謝を強要する態度を示したのである。

でも結局彼の行動は自己顕示欲に過ぎず、「好きだから」を盾にした受動的攻撃行動に他ならなかった。
頼んでもいないのに唐揚げにレモンを勝手にかけられて、「どう?かけてあげたの。嬉しいよね?」と聞かれた気分だ。善意の押売りだ。レモンをかけるかは私が決めることだ。

"好きだから仕方ない"ことなど何ひとつ無いと、今は思う。好きならば本当に私のためになることをして欲しいし、私の周りに男が居るかより何をしたら私が喜ぶかを考えて欲しい。

*他人の不機嫌との向き合い方

今日の私は"好きだから"とか"心配だから"とか、私のことを想っているように見える言動のひとつひとつにシャッターを下ろしていく。
「あなたを想っての言動なのにそんなの酷い」と言ってくる人の唐揚げには、頼まれてないけどレモンをかける。

私のことを思ってだとしても、その結果私が傷ついているのであれば意味のないことだ。
そして私が傷ついたかどうか判断できるのは私しかいない。

だから、「好きだから」と自分の考えを押し付けてきた彼とも、「心配だから」と私が関わる男性を洗い出した彼とも、もう話すことはない。
その事実にホッとしたい。

そして、就活中の私に「その業界で大丈夫か心配」と言う母にも、「今頑張っている私の脚をへし折って何になるんだ」と思うのです。

私の選択に何の責任も負わないで良い。
ただ毎日「可愛い」とか「天才」とか、語彙力0の褒め言葉だけが垂れ流される世界であってくれ。

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