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全てが美しいこの世界と、全てが美しく感じるガバいうち

お久しぶりです。
便宜上澤田です。

昨春社会人になり早一年。
本当に社会人って自分を省みる時間がない。
このままの精神性で一生過ごすんだろうなたぶんって感じです。

会社で一年の抱負を共有したのですが、
1月からデッサン教室に通い始めたこともあり、
「プライベートは表現の年にする」
と発表しました。

絵はただの趣味ですが、
やっぱり気になるのが「自分を省みる時間」のこと。

昔付き合ってた人型の生き物が、
私が"noteを書いてる"と言ったときに
「俺も実はずっと"内省ノート"を書いてる」
「もう20冊は書いた」
と言っていたのですが、
それにしては捨てきれないプライドと
抑えきれない汚ねえ欲を強く感じたので

「…たぶん嘘だな」

と思っています(確信)。

そんな話はさておき、
日々を"きちんと"省みるのって絶対大事だよなって話です。

ありがたいことに会社でよく
「話をまとめるのがうまい」
と言ってもらえるのですが、なんでか考えると
やっぱりnoteを含め続けてきた
"個人的な執筆による言語化"の活動が一番の要因のような気がします。

一方で、日々の業務と慣れない環境に忙殺されどんどん減っていった言語化の時間。
今年の抱負である「表現」の一環として
noteを再開してみたわけです。
今後はコインランドリーで洗濯物が乾くのを待つ間や電車で移動している時間に、少し書く時間を作ろうと思います。

ところで、なぜ昔付き合っていた人間を
昔の恋人でも、彼氏でも、彼女でもなく、
"人型の生き物"と呼んでいるかというと、
シンプルに嫌いだからです。
嫌な別れ方したけど懐かしい思い出もある過去の人なら、元恋人と呼べばいいですが、そんなんもなくシンプルに嫌いだからです。

本当に良くないと思うのが、
酷いことされたからめちゃくちゃ嫌いで、毎日タンスの角に小指ぶつけて頻繁に骨折しろよと思っている相手でも、

「酷い人がいて成り立っている、
混沌としたこの世界は美しい」

と思ってしまっている自分がいること。

昔誤って、
クソド束縛男も女も息してなくてもオレとの時間を奪うなら全てに嫉妬3時間無言で圧をかけて泣いて謝らせるヤツ君
…と付き合ってしまってから、私の人間に対する期待値が低すぎて、多少モラハラっぽいことをされても我慢できちゃうし、過去の人型の生き物のことまで美しいと勘違いしてしまうこの現状。

ガバい。
非常にガバい。
これは私の安全で豊かな暮らしには不要すぎる特技です。

「でもこの経験があったから今の自分がいる」
なんてことを考えるよりも前に、
「誰よりも大事な自分を傷つけてくるお前キッモ🤮🤮」

とゲーゲー吐き散らかせる人間になりたい。
毎日の胃痛に気づかないフリをしてしまっては、私の辛さを救ってくれる人がいません。

汚ねえもんは汚ねえ。
キモいもんはキモい。
ウザいもんはウザい。

口は悪いですが、別にそれで誰か死ぬわけじゃないし、私自身の心が死ぬくらいなら多少吐いたっていいじゃないですか。
そんな気持ちで今日も会社に向かいます。
あーキモいキモい。

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