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《創作》カフェとマチコ

 カフェにて恒例の読書をしていたら、マチコのとなりで、二人の話す声が入ってきた。
 二人とマチコの関係は何もない。ただ、横のテーブルにいたというだけ。二人は男女で、恋人同士のようだった。

 「終わりにしよう」
話の始まりは分からないが、男のほうが、女にそう告げだした。あわてふためく女。「え、なんで」

 マチコの手元の小説の中では、金にくるった犯人グループが、雇い主の会社社長を連れ出して、脅しているところだ。

 「もう、疲れたんだ」
横の男は、女にそう言い出した。うんざり、という声色が入っていた。

 「これ以上は、前金が足りないな」
グループのリーダーは、椅子にぐるぐる巻きにした社長にそうささやいている。ナイフか何かをお腹に当てられて、社長はぶるぶる震えている。

「そんな」
向こうのほうから声が聞こえた。現実と小説の中身が一致し、マチコはどきっとする。

「いきなり言われても」
また女の声がし、マチコは顔を上げた。女は本の中身を、くわしく知っているのではないか、と思うくらい同じセリフだったのだ。

 その後も押し問答が続いた。犯人グループは、今までの依頼を理由に社長から数億円を奪おうとする。横のカップルは、ぎゃあぎゃあさわぎだしている。
 店内には現在、カップルと、マスターと、私しかいない。カウンターの向こうにいるマスターは、テーブル席の私に目配せしたが、私が何も反応しなかったので、しばらく様子を見ることになってしまった。

 ぎゃあぎゃあとは、取っ組み合いなどではない。端的に云えば男はAと言うが、女はBと言う、ただそれだけ。それの声が大きめなだけ。それだけなのだが、もうすごく長い間のような気がしていた。マチコは集中できず、小説の2行目と3行目をいったりきたりになっている。犯人グループの主犯が、社長を難しいセリフ(集中できないので、理解に時間がかかっている)でさらに脅している。

 マチコはいま、顔を上げるのは何となく申し訳なかったので、それはすでに小説を読むフリになっていたのだが、『ばしゃん』という音がして、冷たい何かが右側から飛んできて、顔を上げ右を向くことになった。

 それは、女が男に、グラスに注がれた水をぶちまけているところだった。マスターも驚いて、駆けつける素振りを見せた。

 女ははっとしたのか、バッグを持って立ち上がり、私に向かって、
「すみません、大丈夫ですか」
と言い、私が何も返事を返せないのを見て、
「すみません」
ともう一度言って、台拭きを持ったマスターに何かもにょもにょと言って、立ち去って行った。

 男はこうなることを予想していなかったのだろう。マスターが台を拭くのをしばらくぼーっと見ていたが、やがて顔にかかった水を服の袖でぎっと拭き、のそっと立ち上がり、会計をして、去っていった。私にはついぞ、目も合わせなかった。

 マチコの手元の小説はカバーをかけていたので、無事だった。あれから一行も進んでいないが、小説の中の社長は、もうぐったりとしているようだ。

 手元の小説を話半分に、マチコは若かりし頃の自分を思い出していた。私にもあったなあ、理不尽なお別れ。そのときは、泣いてすがったけれどダメだった。後になって残ったのは、空しさと、なんであの時こてんぱんに言ってやらなかったのか、と言うことだった。

 その点、今回の女はえらいと言わざるを得ない。別れない、ということは無理だったかもしれないが、最後のアレは、一矢報いたのではないか。きっと次の恋に、割とすぐに向かえるはずだ。

 回想が止まらないマチコ。もう、今日はだめだ。マチコは読書を諦め、会計に向かった。するとマスターから、お代は先ほどの女性からいただきました、と言われた。

 歩きながら、マチコは帰り道でさえも、あの二人のことを自分と重ねていた。どっちが悪いとか、何に原因があったかは分からない。もしかしたら男が散々我慢していたのかもしれない。ただマチコは思う、きっと、合わなかっただけだ。

 その日の夜、マチコは家でなんとか小説を読み終わり、犯人グループと社長は全員無事に逮捕された。


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