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元気を強要しないで欲しい 20210805

元気である事が善であるみたいな価値観の人いるよね。
しかもタチが悪い事に結構多い。
何はなくとも元気ではいましょうって感じの。
明るくはつらつと大きな声で挨拶をしましょう。
会話のリアクションは大きく取りましょう。
何事も能動的に取り組みましょう。
例えばそういう感じ。

別にしたきゃ勝手にしてくれていい。
ただ押し付けないでくれないかな。
元気ってそもそも、出せば出るって物じゃなくないか。
表面上、元気がある様に振る舞う事は出来るかもしれない。
だけども俺みたいな元気を元々3mgくらいしか持ってない奴はそれだけで相当消耗する。
そもそも元気なんて無いんだから、取り繕うと思ったら別の引き出しから代わりのエネルギー持ってくるしかない。
元気出しましょうって軽々しく言う奴、信用ならん。
特に仕事関係でそれ言う奴。
元気出しましょうっていうかほぼ強要に近い。
声出せとか、明るく振る舞えとかなんとか。
そういうの馬鹿馬鹿しくて本当にムカつく。
それに対してこれまで異論を唱えられなかった自分にもムカつく。

元気って筋肉みたいな物だと思う。
そもそも生まれ持った素質がかなり大きい。
その上でトレーニングで多少鍛える事もできるとは思う。
だけどもトレーニングの効果の出やすさは人それぞれじゃないだろうか。
でも、俺は生きていく上で最低限の元気があれば充分という考えなんだよね。
必要以上に持っておきたいとは思わない。
例えば筋トレする人って色々目的があって筋トレする訳で。
健康になりたいとか、痩せたいとか、見映えを良くしてモテたいとか、強さをアピールしたいとか。
それってどの理由であっても結局は自己満足でしかない。
何も筋トレしてる人を貶めようという訳じゃない。
筋トレの理屈を心とか元気に置き換えたとして結局それも自己満足に過ぎないんじゃないかという事が言いたい。
だからこそ、元気を強要する事は他人のための行動じゃなくて、自己満足の押し付けにしかなってないよなっていう考え。

筋力も健康もモテも自己顕示も求めていない人間にとって筋トレの強要はただの鬱陶しいハラスメントだ。
同じ様に元気を強要してくるのもハラスメントに思える。
その人にはその人なりの必要量の元気ってもんがあって他人が口出しするべき事じゃない。
もし大丈夫じゃないくらい元気が無さそうなら大丈夫か?と軽く声をかけてやればいい。
元気を出せって強要は自己満足の為に相手を消耗させる愚かな行為だと思う。

何でこんな事を書いたかと言うとそういう会社のそういう上司に悩まされた経験があるから。
他人を変えたいと思う事自体俺は傲慢だと思う。
社会人とはかくあるべきとかそういうのもういいよ。
大体その社会人っていつ誰が決めた物なの。
自分が押し付けられてきた物を次の世代に同じ様に押し付けていって負の文化を維持していく奴。
すげえダセえし、みっともねえ。

結局のところ何が言いたいかまとめる。
人には人それぞれの元気がある。
で、それがそいつ自身を傷付けない限りは干渉すべき事柄じゃないんじゃないかということ。
昨今、ようやく差別とか偏見とかの問題が可視化されつつある中で、元気の強要も同質の問題だと思う。
デフォルトで元気3mgの俺が3mgのまんま生きてて認められる世の中に何とか近づけたい。
あなたの元気が4mgなら4mgで生きていく事を肯定したい。
もし、今後そういう元気の総量を否定する様な場面に出会したらツッコミを入れられる様になりたい。

ちなみになかやまきんに君を見ると俺はちょっと元気が出る。

今日はここまで。

The Smashing Pumpkins / Perfect

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