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出張マッサージ呼んでみた

 面白体験だったので書いてみる。

 珍しく、地方のビジホに泊まった。あんま出張するような仕事でもないんだけど。
 ホテルに着いたのは21時も回った頃。外食するわけにもいかない。コンビニのビニール袋を提げてチェックインすると、「あの有名ブランド社のマットレスを使ってます!」のセミダブルベッドに部屋の8割を占拠された部屋がご用意されていた。今日ここでできることは、ゴロゴロしてTwitterをながめるかYoutubeを流すかの二択しかなさそうだ。
 いやでも、何かないのか。わたしは好奇心旺盛なオタク。推しが言ってた、世界はもっと面白いはずじゃない? 日常の中にも楽しみを見いだし、明日からも生き延びねばならない。
 面白いもの、面白いもの……
 無料の脱出アプリ並みにシンプルな部屋で探すところといえば、ベッドから30センチぐらいの隙間をへだてて備え付けられた棚とも机ともつかない板の上くらいだ。そこに有料のVOD案内、Wifiのパスワード、館内案内、深夜のルームサービスのメニュー表などが並んでいる。その裏側のホテル資料を漁り、わたしは目的のものを見つけた。

 出張マッサージサービス。

 これだよ、これ。頼んだことがある人って人類の何パーセントなんだろう。昔から時々見かけて気になってはいたけれど、なかなか使う機会がない。地方の出張に営業回りに行って疲れ切ったサラリーマンが頼むもの、という偏見もあった。読んだことないけど島耕作とかに出てきそうなそれを、お願いするなら今しかないんじゃないか。おりしも出張最終日。自分へのご褒美だ。

 そういうわけで、コンビニで買ってきたサラダとカップラーメン(これも“ちょっと身体に気をつかわなきゃな、と思い始めたサラリーマンの夕飯”の設定で買ってきた)をかきこみ、緊張の面持ちでフロントに電話する。多分そんな顔をしていたと思う。"ホテルの窓に映る自分の顔をチラリと見る"みたいなことはしそびれた。
「はい、フロントです」
「出張マッサージをお願いしたいんですが、60分の指圧コースで」
「わかりました、では来られるお時間確認しますので、少々お待ちください」
 や、やった……やった。やってやったぞ。

 1時間ほど時間があったのでウキウキとシャワーを浴びる。出張マッサージに興味をもった理由の一つは、まず○分の○○コースで人をプライベート空間に呼びつけるということ自体エロい感じがする、ということだ。しかし実際そのへんのリスク管理はどうなってるんだろう。施術する方もされる方も危ないことに巻き込まれかねない。一人だと危ないし二人で来たりするのか、でもそんな人件費が掛けられるような値段じゃないよなぁ……なんてブツブツ呟いてみたものの、エロさへの好奇心に勝てるもんじゃなかった。
 それと、上で書いた通り日々の生活に倦んでいたというのがある。出張マッサージだってもちろん調べれば出てくるのかもしれないが、少なくとも知る限りでホテルに置いてあるマッサージの案内にはホームページのQRコードはおろか、店名が記載されていることもない。怪しい。怪しすぎる。こんなの、ホテルに対する全幅の信頼がなければ頼めない代物だ。普段生きていて遭遇するのは、どんな人が来て、どんなサービスが受けられるのか、あるいはどんな契約になっているのか、そう言ったことが明確になったものばかりだ。何もかもが不透明で、怪しげなこのサービスは一体全体どんなものなのか……


 積み上がる期待はノックの音で霧消した。あ、ピンポンじゃないんだ。
「マッサージでーす」
 いやに明るい声とともに、小柄な女性が入ってきた。なんとなく整体とか介護の人が着てるような清潔で動きやすそうな感じの服の人が来るものだと思ってた。例えるなら色の入ったお眼鏡をかけたバブリーな元レディース、一目見てわかる強さを備えたご婦人……存在感が眩しすぎる。
「じゃ、頭枕と反対に向けてうつ伏せで寝てー。首肩? 腰? 足? オッケー、じゃ始めるわねー」
 タオルが被せられ、始まる施術。手際が良すぎて心の準備とかお祈りとかの時間なし。

 いざ始まってみると強すぎも弱すぎもしない力加減が心地よく、背後に圧倒的なオーラを感じる以外は普通のマッサージだ。もともとマッサージの類は好きで、年に3〜4回くらい行く。小学生以来治ったことのない肩こりはそれほど辛くもないのだけれど、10分前に出会って数時間の後には二度と会うことのない他人に、自分の体を無防備に投げ出すのがちょっと面白いのだ。そういう理由なので、定期的に通う店もない。中国式、タイ式、ドイツ式足裏、アロマオイル。毎回予算とその日の気分に合わせて口コミで探す。危ない橋を渡りたいようで、でも本当に危ない目には遭いたくない、というぐらいの冒険心の表れである。


 10分経った頃から、それは始まった。無言に耐えかねたように口火を切った婦人は、やっぱり強めだった。
「お仕事は何をなさっているの?」
 さっきは元レディースと書いたけれど、むしろクラブのママだ。対人援助職であることを告げると、「精神の弱い人ってどういう人が多いの? ほら、私みたいのはならないでしょ? 全然わからないのよ!」とケラケラと笑う。仕事柄、この手の説明はそこそこ上手い方だという自負があった。見事にうち砕かれた。「あらーやっぱりそうなのー、そういう方って生真面目でらっしゃるというか、私と違って好きなことやってないのねー」全然そんな説明はしていないのだけれど、この時点で悟った。この方はあれだ、つい最近読んだ、アガサクリスティの『春にして君を離れ』の主人公だ。最初から話の結論が決まっているので、こちらは口を合わせていればいいタイプ。
 大方彼女の身の上話なのでここでは省くけれど、感心したような頷きを適度にはさんでいると、不意に「あなた好きなことある?」と質問が飛んできた。ええ、まぁ、といったことを口にしたと思うが、それに被せるようにスマホを渡された。
「これ、私の作品なの」
 シュノーケリングで撮った写真、石膏、粘土細工、絵付け皿、ドローイング。色味を抑えたシックなフラワーアレンジメントもあれば、本人の服装に近い煌びやかな電飾で飾り付けられた庭もある。スマホのアルバムを繰る度に現れる、どれもこれもが素晴らしいものばかりだった。その合間にペットの写真がたくさん。

 けれど、流れるような作品説明の合間にふと気づいてしまった。フォルダ分けのされていないそれは、写真全てが表示される仕様になっている。にもかかわらず、数年に渡るアルバムの中で本人以外の人物が映る写真が一枚もない。
物、モノ、動物、自分。自分とモノ、自分と動物。なんとも言えない気分でスマホを返すと、ちょうど時間となった。
「ありがとうね」
 現金を渡すと、婦人は静かな声で礼を言い、帰っていった。

 自分のスマホを取り出す。アルバムを開くと、作った食事の写真と練習で描いた絵、Twitterのスクショが並ぶばかりだ。気づけばこの1年、コロナで人とも会っていない。今回にしたって、指圧なら密室でもタオル越しで直接触れることはないし、互いにマスクをしていれば濃厚接触には当たらないな、と考えての決行だった。
 マッサージを終えた今、体は少し軽く、心は少し重かった。

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