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小説 漠理ねむは覚めている。

 また、漠理ねむは夢を見ていた。
気がつくと夕暮れに照らされた、積み木で出来た町の上を浮遊していた。自分の背中には天使のような白く小さな翼が生えていて、ぱたぱたと忙しく羽ばたき続けている。
「今回もおもちゃの街かぁ」
 今回も意識はハッキリとしている。この類いの夢は明晰夢と呼ぶらしい。明晰夢とは自分が夢を見ていると自覚出来る現象をそう呼ぶらしい。両親はまるで夢を見ろと言わんばかりにねむという名前を付けた。その甲斐があったかは分からないが、物心ついた時からずっとねむは現実感のある夢を見続けてきた。
「こんばんは。かみさま」
 聴き馴染みのある低く、優しい声が聞こえた。
「ムウ、別に来たくて来てる訳じゃないよ」
 ねむは振り向きもせず答えた。直後、目の前に漫画に出てくるような、赤いマントがなびく。黒いスーツ姿はスーパーヒーローそのものだったが、30代の姿に意外に似合っている。端正な顔立ちだからこその印象なのだろうか。
 ムウは前に回り込みながらからかうように笑った。高い身長に青い瞳と長いブロンドの髪。
「ねむは最近、可愛げが無くなってきたねぇ」
「毎日も顔を合わしていれば。そうなるよ」
「冷たいなー僕と結婚を約束してるんだから、もっとラブラブになろうよ」
「なっ……あれは子供の頃の話でしょ!」 
 夢だというのに顔は相変わらず熱くなる。
 最近ふと気づいたことだがムウは好きなハリウッドスター、ジョン・レオナルドにとてもよく似ている。
 そんな彼を生み出してしまった自分の現金さに今更ながら呆れる。
「はい、おひとつどうぞ」 
ムウは手品の様にアイスクリームを両手に出現させ、片方を差し出した。一口舐めると、冷たくてバニラの味がする。明晰夢の利点のひとつでねむが食べた事がある食品はなんでも出現させる事が出来た。
「ありがと」
「新しい学校。えっと胡蝶高等学園だっけ? もう慣れたかい?」
「全然、ムウは分かってるくせに聞くんだから」
 小学校では夢と現実の区別がつかない時が多々あり、クラスメイトはねむの事を宇宙人とあざ笑った。ねむは孤立し、友達は出来なかった。
「でも今回は絶対、普通の学生生活を送るんだから!」
 地元から離れた胡蝶学園に進学したいと言った時、両親は不安そうだったが、ねむはどうしてもと頼み込んで進学の許可をもらったのだ。
 夢の区別なら、出来るようになった。……今度こそは。

遠くからラッパの音が聞こえ始めた。赤い服に身を包んだおもちゃの人形たちが。行進曲を演奏している。
「うるっさいなぁ……」
 少し癪に触った。最近、朝の起きる時間になると必ずおもちゃの音楽隊が現れる。
 ムウはその様子にクスクスと笑った。
「遅刻しなくて便利だって、前にかみさまは言ってたじゃないか」
「私は、無理やり起こされるのが嫌いなの」
「グッドモーニング。また今夜」
 ムウは微笑みながら手を振った。

 ーーベッドから起きあがる。ノックの音が聞こえ、母が現れる。
「ねむ、最近ちゃんと起きれてるのね。えらいえらい。朝ご飯出来てるよ」
「うん、食べるから」
 一階に降り洗面台で歯を磨き、顔を洗い。寝癖をブラシでほどく。 
「ほんとうに私が神様なら、もっと全知全能なはずだよね」

鏡に向かって呟き、少し笑った。

「おっはよーねむ!」
「おはようリア、今日もキマッてるね」
学園に向かう電車の途中で、明るい声が聞こえた。
 目に映ったのは金髪のツインテール。制服には沢山の缶バッチ、マニキュアが塗られた爪。
 入学式の後仲良くなったばかりの、桜庭リアの姿がそこにあった。 
「ねむもせっかく胡蝶学園に入ったんだから、もっとオシャレしなよ~」
 制服さえ着ていれば髪型やアクセサリーなど、オシャレが自由に出来る点が、胡蝶学園の人気の理由だった。
「うーん、オシャレってよく分からないんだよね」
 ねむの方はというとリップクリームを唇に塗るくらいで、大して化粧や服は無頓着だった。
「じゃあ今日の放課後ルミナスいこーよ! 見繕ってあげる」
 リアはそう言ってはにかむ。
 長いまつげと高い鼻。同性からみても美人だなと瞬間的に思う。
 ルミナスとはN市郊外にある巨大ショッピングセンターの事。映画館、ブティック、ハンバーガーショップに本屋……大抵のものは売っているので友達、家族、恋人、誰とでもとりあえず楽しめる事の出来る場所だ。
「……ほんと? いくいく」 
 笑みが零れるのが自分でも分かる。一緒に行く友達は今までいなかったので、誘われることがすごく、嬉しかった。
 次の駅に着き、大勢の人が流れ込んできた。
「ねぇあの人かっこよくない?」
 リアは屈強な体格の乗客員を指さす。
「どうかな……」
 リアは恋愛事が好きなのだろうか。
 確かにリアはそういった話に困らないだろうなと思う。
 リアの様な可愛い女の子を、放っておく男子は 少ないだろうから。

黒板を前に担任の烏丸先生が戦国時代の出来事を説明している。高い身長と昔のトレンディドラマに出てくる俳優の様な端正な顔立ちで、赤いメガネが印象的。明るい良い先生だと思っている。 授業、特に政治や社会の科目はねむにとってひどく退屈だった。
 現実で起こる出来事は、夢の中で起こりえる事に比べると、なんとも平凡過ぎるからだった。
まぶたが重くなり、目を閉じる。次に目を開くと景色は変わって、おもちゃの街だった。

「あれ? かみさま。まだ夜じゃないよ」
 ムウは古いドット調の携帯ゲームで遊んでいた。ピコピコと聞こえてくるBGMは、ねむが当時好きだったゲームの音で懐かしさを感じた。
「ムウ。……しまった。わたし寝ちゃったんだ。早く起きないと」
 ねむは小学生の時、クラスで一番授業中に居眠りをする生徒だったと自分で思う。名前の事もあって男子からからかわれ、当時の担任の教師にあきれられた事は今でもトラウマだ。
「ムウは気楽でいいね」
「まあね。毎日が夏休みの様なものさ」
 ムウは子供っぽく笑った。

 夢から戻る方法は分かっている。目を閉じ、現実に帰ると強く願いながら頬をつねるだけだ。これも昔はなかなか戻れずに、一日中ねむってしまっていた事もあった。「かみさま。それ痛くないの?」
 キョトンとした表情でムウは言った。
「なにが?」
「だってかみさま、血だらけだよ?」
「えっ」
 自分の身体を見下ろすと、一面が真っ赤に染まってた。
 瞬間。身体が引き裂かれる様な激痛が走った。
「あぁっ!?」
 チャイムの音が鳴り響いた所で、ハッとする。
「はい、今日の授業はここまで。おつかれ~」
 卯月先生は身体をのばし、教室を出て行った。 額を拭うと、汗が出ていた。
「あれは……夢なの?」
 だけど、あの灼けるような痛みは今も鮮明に覚えていた。
長年夢を見続けてきたが、楽しい夢は見ても自分が血まみれになる夢なんて、初めてだった。
「気味が……悪い」
 ハンカチで汗を拭いながらねむは呟いた。

「ねむ、大丈夫?」
 名前を呼ばれて、振り帰るとリアが心配そうな顔をしていた。
「すごい汗だよ? 体調悪いの?」
「だ、大丈夫。じゃあ学校も終わったしさっそくルミナスに行こーよ」
 ムウに聞いてみたかったが、眠る事は出来ない。 あれはただの夢だ。ねむは強く思う事で、しばらくは痛みを忘れようとした。
「これも着てみて!」
「えぇー……露出度高くない?」
「これくらい普通だよー!」

店内のブティックにて、ねむは着せ替え人形と化していた。
 どのファッションも無頓着なねむには眩しすぎて。気恥ずかしかった。

服を買い終えた二人は、休憩にフードコートへ来ていた。
「はいねむ、どうぞ」
 タピオカミルクティー買ってきたリアは一つ手渡す。
「ありがとう。それにしても……出費すごい」
 
 夢ならどんな服でもタダなのにな……と紙幣減った財布の中身を眺めながら内心思う。「オシャレはお金が掛かるものなの!」とリアは気にしない様子で言った。
「あの……桜庭リアさんですか?」
 後ろから声が聞こえ、ねむとリアは振り返ると同年代の女の子が立っていた。
「いつも雑誌見てます。よ、よかったらサインいただけますか?」
「もっちろん!」
 リアははにかみ、サイン紙に慣れた手つきで書き上げた。
「ありがとうございます!」
 女の子はお辞儀をし、嬉しそうに掛けていった。「もしかしてリアって有名人なの?」
「一応、私読モなんだ」
「え、すごい!」 
「まだ雑誌に何回か載ったばかりだけどね」
 ねむにはリアが輝いて見えた。夢で見た幻想ではなく現実の輝き。

ルミナスを出ると、夕暮れになっていた。
 二人で駅まで徒歩で向かう途中、「あのね」とねむは切り出した。
「今日は本当にありがとう」
「ん? どうしたのー改まって」
「私、ずっとこんな風に買い物へ行く友達がいなかったんだ。前の中学ではずっと変人扱いでさ、
今日リアと遊べて、すごく嬉しかった」
 突然リアはねむに抱きつく。
「リ、リア?」
 ねむは驚き、リアの顔を見ると、彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
「明日だって、明後日だって一緒に行くよ。だってあたし達友達じゃん!」
 ねむは少しぽかんとした。どうしてこの子は泣いてくれるんだろうと、考えていた。
 
 今夜の夢の世界に来た時には、ねむの身体はどこも傷が無く、血も出ていなかった。今日の夢は一面青空の中で、天井から伸び続けるブランコに乗っている。すぐ隣ではムウが無邪気にブランコを漕いでいた。赤いマントはひらひらと揺れていた。
「ムウあれはどういうこと?」
 ムウに訪ねると、
「確証はないんだけどね」と落ち着いた様子で答えた。
「予知夢なんじゃないのかなぁって」
 予知夢……。夢で見た事が現実で起きる現象の事だ。
「私が今見ている夢は、明晰夢のはずでしょ」
「かみさまはさ、成長しているんだよ」
 ブランコは揺れる。視界は動き続ける。
「君は夢を司る力があるんだ。もはや君の夢は超能力と呼べるだろうね」
 夢はねむの知らないところでどんどん拡大している。遂には現実に影響できるまでに。 
 夢の場面は変わって、海水浴場に来ていた。波の音が聞こえる。日差しが眩しくて直視出来ない。
 この場所は昔父がよく連れてきてくれた場所だった。砂浜でムウは水着姿で準備体操をしている。
「血だらけの君を見たけど、あれは刃物で切り裂かれた傷だったね。背中から出血をしていた」
 背中……。背後から誰かに襲われたという事だろうか。
「じゃあ私は、近いうちに殺されるって事……?」
 寒気が身をよぎる。……冗談じゃない。
 自分は誰かに恨まれる事なんてこれっぽっちもありはしない。
「僕の時と、似ているね」
 似ている? 疑問に答えるようにムウはゆっくりと背を向けると大きな刺し傷があった。
「背中に……傷」
 急に頭痛が走った。咄嗟に頭を抱える。
「僕はこんな風に直接言えないんだ。自分で思い出すしかないんだ」
「な、なにを? どういうこと?」
 頭痛が強くなる。日差しが更に強くなり、ムウの姿も見えなくなった。
「そろそろ夜明けだね。グットモーニング。かみさま」
 次の瞬間、ねむは目覚めていた。今回の夢は、ムウと関係がある?
 私はなにかを忘れている?
 頭痛はまだ収まっていなかった。

「ねむ~。そっちの花は植え終わった?」
「もう少しで終わるー」
 現在学園の花壇に植えているは、スノードロップの株。確か花言葉は希望だったはずだ。昔、植物園で見たときから気に入っている花だ。
 ねむとリアは話し合って園芸部に入部した。理由はリアが読者モデルの仕事で忙しいので、活動にあまり支障が無い部活がいいと言ったのだ。ねむもスポーツは苦手だったしリアに付き添うことにした。出来るだけ長い時間、リアといたい。 最近のねむの登校理由のほとんどが彼女だった。
「げ、スノードロップ。不吉~」
 地面に刺さった看板を見て、リアは苦い顔をする。
「えっ花言葉は希望じゃないの?」
「あなたの死を望みますって意味もあるらしいよ~」
 一瞬夢で見たあの痛みを思いだした。腕をさすると、鳥肌が立っていた。
「どうしたのねむ? なんか最近元気なくない?」
「ううん、なんでもない」
 
「おーい桜庭、幕理。植え終わったか~?」
 烏丸先生がそう叫びながら歩いてきた。いつものスーツの上着を脱いでおり、白シャツを腕まくりしている。
「もうすぐ終わるところでーす!」
 リアは元気な声で答えた。
「ご苦労様。助かるよ」
 烏丸先生は微笑んだ。近くで見るとやっぱり爽やかなルックスの持ち主だなと思う。隣のリアは「烏丸先生って結構筋肉質だよね~」とうっとりとした表情で答えた。
「リアは烏丸先生が好みなんだ?」
 そんなリアが可愛らしく、軽口を言ってみると。「そうそう! 私、筋肉が好きなんだ~」
「リアならモデルの男の子と知り合ったりしないの?」
「仕事で一緒になるけどモデル仲間の男の子はみんな細くてさ」全然ダメと、リアは笑う。
「そういうねむの好みはなんなのさ」
「私は……ジョン・レオナルドとか」
 その人物は、アメリカの映画俳優で、ハリウッドスターだ。
「え~! ねむは外国人派なんだ? でも結構おじさんだよね。年上が好きなの?」 
「昔から好きだったから、今も昔も好きなの」
 ねむは彼の事をずっと前から好きだった。
 ーー僕は絶対ハリウッドスターになるんだ。僕のお嫁さんになるのなら、スーパーカーに乗せてあげるよ
 瞬間、頭痛が走った。こめかみを手で押さえる
「頭痛いの? 保健室に行く?」
「うん、ありがと。今日は早退しようかな」
 ーー僕は絶対ハリウッドスターになるんだ。
 小さな男の子にそう言われたのを思い出した。
 誰に言われたのだろうか?
「でも、それは純愛だね」
 賑やかす様にリアは笑った。
「お、綺麗に植えたじゃないか」
 合流した烏丸先生は関心した声を上げる。
「桜庭、悪いが倉庫にある肥料持ってきてくれないか?」
 烏丸先生は笑って倉庫の鍵をリアに手渡す。
「いいですよ~!」
「助かるよ」
 リアは先生に頼まれたのが嬉しいのか、ニコニコと笑って肥料を取りに行った。
「さて、桜庭が戻ってくるまで先生は摘心をやるか」
 烏丸先生はそう言いながら苗の先端をちぎり始めた。
「先生、摘心って?」
「こうやって先端を取る事によって花が沢山咲くようになるんだよ」
「へぇ。でも少し可愛そうですね」
「花が美しく咲くためには、仕方が無い事なんだよ」
 会話はそこで一度、途切れた。
「漠理はスノードロップは好きか?」
「はい。花の名前を知ったのは最近ですけど、かわいい花で好きです」
「なるほどなぁ。実は先生、漠理が花が好きそうだと思っていたんだよ」
「あはは、お世辞ですか?」
「はは、本当だよ」
 まるでナンパの常套句みたいで笑ってしまう。
「先生は夢をよく見ますか」
 前から聞いてみたかった事を聞くようにした。ねむは自分以外がどんな夢を見ているか興味があった。
「ん、そうだなぁ。生徒に言うのは恥ずかしいんだが」
「多分、前世の記憶なのかなーって思うんだ」
 烏丸先生は思い出に浸る様に遠い目をして口を開いた。
「俺の前世では愛する人がいて、その人はスノードロップが好きで庭園に植えていた。だからかなぁ、俺もこの花ばかり育ててしまう」
 烏丸先生はねむの顔を見ると、照れた様に笑った。
「ははは、キモいだろ?」
 照れた様に烏丸先生は頭を掻いた。
「いいえ、先生ってロマンチストなんですね。素敵だと思います」
 本心だった。さっきリアが言っていた話は迷信なんだなとも思った。
 こんなにも愛されている純白の花が、不吉な花のはずがない。

 部活を早く早退し、ねむは自室のベッドで横になった。両親は仕事でまだいない。
 スマートフォンを見るとリアからメールが届いていた。
【ねむ、体調は大丈夫?】
 返事を打つ。
【ありがとう、軽い頭痛だから、大丈夫】
【お大事にね。それと大ニュース! 先生が今日は遅くなるからってご飯に誘ってくれたの! これってデートだよね!?】
 驚いた。多分、烏丸先生に他意は無いと思う。リア分かっていてるはず。それでも教師と教え子の禁断の恋愛に憧れる気持ちは同じ女子高生として十分に分かるものだった。
【怪しい事しちゃだめだよ笑 メールありがとうね】 
 返事を送ると、急に眠気がやってきて、そのまま目を瞑った。

突如、視界に映ったのは、背中を切り裂かれたリアの姿。
 まさか、これは……予知夢?

「リア!」
 思わず叫ぶと同時に景色が一変する。 次の夢はいつもと違っていた。それは小さい頃、男の子と遊ぶ夢。不思議なもので、身体は子供なのに意識は現在の漠理ねむのものだった。
 夕暮れの公園で、ねむは男の子とモンスターを戦わせるドットの携帯ゲームで対戦をしている。
 今となっては懐かしい、8ビットの音楽が流れ、どこか心地良い気分だった。
「ねむちゃんは将来何になりたいの?」
 男の子がクリッとした瞳で訪ねる。
「うーん、名探偵かイケメン名探偵の助手」
 言葉が勝手に出た。まるで自分は幽霊で、子供の自分に取り付いている様な感覚だった。
 当時美形の男の子が活躍する少年漫画が好きで、いつも読んでいたんだっけ。
「あはは、ねむちゃんには似合わないよ」
「なにおう」
 昔のねむは腹が立ったのか、通信用のコードを引っこ抜いた。
「あー! ねむちゃんは乱暴なんだから……」  少年は泣くような悲鳴をあげた。我ながらなんて大人げない……。 
「そういう――君はどうなの?」
 名前の部分だけがノイズが掛かったように聞こえなかった。
「僕は絶対ハリウッドスターになるんだ。エージェントから魔法使いにスーパーヒーロー! なんにでもなれる男にね」
 ……あれ?
 強烈なデジャブを感じた。この男の子は、口癖の様にいつもその言葉を言っていた……。

「――君の方こそ全然似合わないよ」
 男の子はかっこいいというより中性的な可愛い顔だった。 ヒーローより、ヒロインが似合いそうなほどに。
「……ねむちゃんがお嫁さんになってくれるならスーパーカーに乗せてあげるよ」

瞬間、映画の様に血液がスローモーションで宙を舞った。背後で血塗れのナイフを持っていたのは、友達が憧れている教師。
「そうね、考えとくよ」
 残響と化したキザな台詞に女の子はませた返答をした。

景色は代わり、満月の下の草原だった。風が強く吹いている。
「かみさま」
 満月に照らされたムウの表情は、いつもと違い真剣だった。
「ムウ、あなたは私が作ったんだよね」
「……そうだよ」
「だけど、全部私が作ったんじゃなくて、貴方の元になった男の子がいたの」
「その子は、行方不明になった私の幼なじみ、名前はムウ・トラオム・キング」
「やっと、思い出してくれたね」
 本当の名前を言われたムウはどこか寂しそうに笑った。
 ねむとムウは、7歳の時からの幼なじみだった。 隣の家に引っ越してきた流暢な日本語を話すアメリカ人の夫婦の息子で、少しキザで自信家な元気な少年だった。
 家が隣だった事もあり、ねむ達はよく一緒に遊んだ。友達だった。
「貴方は殺された。犯人は、烏丸先生なんだね。私は……全部忘れてたんだ」
 
 烏丸先生を子供の頃から知っている。
 10年前、烏丸は小学校の担任教師だった。ねむは切り裂かれたムウを受け入れられずに、自ら記憶を消した。そして明晰夢を見始め、大人になった彼を創造した。

「友達が死んだのに私、忘れてたんだ」
 自分の弱さが悔しいのか、涙が流れてしまう。
 ムウは、優しく微笑んで、手を近づけ涙を拭った。
「いいんだよ。僕を、作ってくれて、ありがとう。ねむちゃん」

「リアが危ない……」
 リアが切り裂かれた場所、見覚えがある……そうだあれは胡蝶学園の教室だったはずだ。
「行かなくちゃ」
「かみさま。起きない方がいいよ。いけば君が死ぬ事になる。僕は夢の住人だから分かるんだ。予知夢は確実に起きる」
 ムウは静かに答えた。ねむは彼の忠告に首をゆっくりと横に振った。
「それでも……。もう私は、大切な友達を亡くしたりしたくないから」
 ムウは言葉を噛みしめるように笑顔を作った。
「かみさま……いや、ねむちゃん、また、会いに来てよ」
 ねむは頷く。
「当然、ここは、私と君の世界なんだから」

ベッドから飛び上がったねむは、家を飛び出した。走る。街灯が薄暗く輝き、車のヘッドライトは何度も視界を真っ白にする。
 鮮血のイメージは頭から離れない。
 ……私は世界とヒーローを作ったかみさまなんだ。
 たかが予知夢だ。結末なんて、どうとでも変えてみせる。
 そうやって走りながら、自分を鼓舞し続けた。

教室に入った瞬間。
 横たわるリアとスーツ姿の後ろ姿を見て、ねむは叫んだ。
「烏丸先生!」
 息切れしつつも叫ぶと、烏丸はゆっくりとこちらを振り向いた。
 リアはどこも怪我をしていない。おそらく睡眠薬で眠っているのだろうか。リアの安否が分かり、少し落ち着く事が出来た。
「漠理……。こ、これは違うんだ」
「貴方は10年前にムウ・トラオム・キングを殺しましたねどうして殺したんですか!」
 ねむは入学してから、烏丸を良い先生と思っていたし、リアの小さな恋も応援していた。
 ……それなのに。
「摘心だよ。ねむちゃん。すべて君の為なんだ」
「わたし……?」
「告白するよ。僕が夢に見ていた。最愛の人は君なんだよ」
 烏丸は笑った。それはいつもの笑顔とは違っていた。
「初めて君を見たときに直感がしたんだ。君と僕は前世で出会っていんだってね。だから決めた。君の成長を守るって」
「何を、言ってるの……?」
「前世の君は一人ぼっちだった。だから僕が守っていたんだ。それなのに、あの小僧もこの女も君の付きまとい、君に寄生する。だから摘み取らなくちゃならないんだよ」

「私も夢をよく見る。だけど、あんたの事なんて、一度も見たことが無いよ」
「う、嘘だあ!」
 烏丸はまるで子供が駄々をこねるように叫んだ。
 パトカーのサイレンの音が聞こえた。
「警察に通報しました。もう、やめてください」
「君の事はなんでも知っているよ。君は辛い事があると記憶を自分で消すんだったね」

ねむの問いには答えず、静かに烏丸は言った。
 瞬間、戦慄が走った。
「この女を殺せば、きっと君は記憶を失う。そしたら僕はまた君を見守る事が出来る」
 烏丸はナイフを振り上げた。
「駄目!」
ねむは咄嗟に飛び出し、リアに覆い被さった。
直後、背中が灼けるような痛みが走る。自分の身体から血が流れる感覚。予知夢と全く同じ痛みだった。

「ああ……そ、そんな。どうしよう。君が死んだら、俺は白馬の王子になれない。どうしよう」
 烏丸は右往左往し、頭を掻きむしる。
 寒い。頭がぼうっとする。
 横たわった身体が動くのを感じる、リアが目覚めたのだろう。
「良かった……」
 薄れゆく意識の中で、ねむはムウの事を思った。 わたしが死んだらあの世界も消えてしまうだろう。
「ごめんね、ムウ」
 視界が真っ黒になる。

電子音が一定のリズムで鳴り続けるのを聴いた。……心電図?
 目をゆっくりと開けると、リアの姿がそこにあった。涙で、いつもバッチリなメイクは崩れていた。
「リア……?」
 リアはねむに気がつくとねむを抱きしめた。彼女の瞳からぼろぼろと涙が零れた。
 ねむは安心させるように微笑んだ。
「良かった。リアはモデルだから、身体に傷が付かなくて本当に良かった」
「そんなの、どうだっていいよぉ……」
 リアは泣き続けた。ねむは嬉しかった。
 予知夢を変え、友達を守れたかみさまになれたことに。

「かみさま、身体の調子はどう?」
 ムウはメリーゴーランドの木馬に乗りながら訪ねる。今夜の夢の世界は、遊園地だった。
 退院したらリアと一緒に行こうと約束したのだ。「すっごく痛いけど、大丈夫」
 おなじく木馬に揺られるねむは笑って答えた。夢の中ならその痛みは無い。やっぱり夢の中は自由で、楽しい。
 烏丸は現場で自分の喉を切り裂いて、自殺したらしい。彼はねむの事を前世の恋人と言っていた。 ムウの事を絶対に許すつもりは無いが、同じ夢を見る人間として、少しだけ同情する。
 きっと、彼は、夢に現実を飲み込まれてしまったのだから。
「ありがとうかみさま。きっと天国の僕も。これで安心したと思うよ」
 ムウは笑った。子供の時から、変わっていない笑顔。
「ねえムウ、私が夢でこんな風に誰かを守れるなら」
 夢の中の空を見上げた。澄んだ青空が広がっていた。
「私、探偵にでもなろうかな」
「じゃあ僕は助手? もっと派手なスパイとか、エージェントがいいな」
「はいはい、考えとくよ。そろそろ起きるね」
「かみさま、グットモーニング」
「グッドモーニング、ムウ」
 夢の遊園地と赤いマントを羽織ったハリウッドスターは蜃気楼みたいに消えていく。

 次に瞼を開けたとき、朝日の日差しの中で漠理ねむは覚めていた。

文章でお金を頂ける。それは小説家志望として、こんなに嬉しい事は無いです。 是非、サポートをして下さった貴方の為に文章を書かせてください!