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短編小説 トワの選択

「麻里。久しぶりだね」男性に声を掛けられて、麻里と呼ばれたトワは振り返った。
「あの……どちら様ですか?」
 彼、山崎拓真は一瞬虚を突かれた表情をした。すぐにトワは微笑む。
「なんちゃって。でも遅刻ですよ。彼氏失格です」
 そう返すとタクマはほっとしたように笑い、「ごめんごめん。今日はなんでもおごるからさ」と笑った。背中にはギターケースが担がれていた。
 ……このイケメンも気づかないのねー。まぁ、バレるとやばいんだけどさ。内心、トワはため息をついた。どんなに愛を誓いあった恋人でも、その愛の範囲は、残念ながら見えている所までしか、届かないようだ。
 トワはドッペルゲンガーである。ドッペルゲンガーとは幽霊の一種で姿が全く同じ人間の姿で現れると言われているが、実際は少し違う。この世には、社員全てが幽霊で作られた会社、ゴースト・カンパニーが存在し、トワはその一社員だ。ゴースト・カンパニーはそのドッペルゲンガー達を使い、死人を生きている事で装う事を業務とした会社で、トワは誰かの恋人や妻、愛人となり、『対象者を悲しませない様に別れる』事を業務としていた。
 トワは達は成仏し、別の人間になる事、すなわち輪廻転生事を条件に、この仕事をしている。トワ達ドッペルゲンガーは姿や声、その人の癖にいたる全てを完璧に再現する事が出来た。
「タクマ、ごめんなさい、私、ちょっとお手洗いに……」
 トワは麻里の髪を耳にかける癖を見せて話す。
「うん、俺はここで待ってるから」
 トワは微笑み、トイレの方向に向かう。が、直前で進路を変え、喫煙所に入った。そこでしゃがみ、隠し持っていた煙草を取り出し火を付けた。すでに喫煙所にいた中年男性は、こんな子が煙草を……という意外そうな表情でこちらを見た。その反応は当然だ。トワが今化けている姿は名塚麻里で、麻里は中身も外見も育ちの良いお嬢様といった人間だった。
「トワ、さっそくサボリですか」
 聞き覚えのある声がして、トワは焦った。隣には長い黒髪を結ったスーツ姿の美人がいた。トワの上司である死神、ウタカタだ。
「ウ、ウタカタさん。なんでこんな所に……」
「ちゃんと仕事をしているのかと見に来たら……相変わらずね」ウタカタはそう言い肩を落とした。トワは幽霊達の中では古株の方ではあるが、それは素行不良のせいである。
 喫煙、飲酒、素の性格が度々出てしまう、などなど……。他の幽霊達はトワを変わり者という目で見ながら次々と退職していくが、トワはただ単に、現世を彷徨っていたかったのだ。
「……まぁ、今日の仕事は特殊ですから、喫煙くらい、多めに見ましょう」
 正直、この人間の姿は窮屈でたまらない。
「さっすがウタカタさん! でも特殊って?」
 トワは良い上司に恵まれたなと思った。
「それは機密事項なので言えませんね。トワ、名塚麻里の渡した資料をちゃんと覚えてるか、確認します。今復唱してみなさい」
「なにさもったいぶって。えっと、今日のあたしはっと……」
 トワは煙草をふかしながら、名塚麻里の人生を告げた。名塚麻里、死去二十二歳。大学を卒業する直前だった。裕福な両親の一人娘で、あり余る愛情を受けて育った。そんな彼女が亡くなった理由は交通事故らしい。
 彼氏の山崎拓真とはもう四年の付き合いらしいが、彼女の両親は拓真を良く思っていないらしく、我が社、ゴースト・カンパニーに依頼してきた。彼女にふさわしくない人間は、葬式にも出て欲しくないそうだ。ゴースト・カンパニーはあらゆる情報を制御し、彼女の死を隠すことが出来る。山崎拓真は、今後一生彼女の死を知らないまま生きていく事だろう。
「うん、情報は合っていますね」
「それにしても幽霊を頼るなんてね……イカレてんなー」トワは呑気につぶやき、煙草を灰皿に投げ入れた。
「……そうね。私も同意見ですよ、トワ」ウタカタは、静かに言った。その様子を見てトワは笑う。
「お、珍しく意見が合いますね。じゃ、ちゃんとお嬢様を演じてきますよ」
 こうしてトワはウタカタに手を振りながら、喫煙所を後にしたのだった。
 映画館についた二人は席に座った。
 今日見るのはカップルに話題の、王道の恋愛映画だった。……あー、またこういう展開ね。トワはよく、誰かの妻や恋人に化ける事が多く、この手の映画には飽きてしまっており、あくびをかみ殺すのに苦労した。その後は昼食にイタリアン料理を一緒に食べる事にした。お金は拓真が出すと言ってくれたのでトワは期待したが、庶民的な洋食店だった。「ここはすごく旨いよ」拓真はそう言い、子供っぽく笑った。
「タクマは本当にナポリタンが好きなのですね」名塚麻里は拓真の口の汚れを拭く、ナポリタンが好きという情報は事前に知っていた。
「ほら、麻里も食べなよ。君に食べて欲しくてここに来たんだよ」
「ええ、とても美味しそう。いただきます」
 ……最近の相手は、ずっと高級フレンチに連れて行ってくれたんだよなぁ。フォークを回しながらトワは心の中でぼやく。トワは職業柄、外食が多い為か、舌が肥えていた。食事はトワの仕事中における楽しみの一つである。売れてるミュージシャンって聞いてたのになぁ。そう考えながらフォークを口に運ぶ。
「……え。旨いじゃん!」
「え?」
 拓真はキョトンとした。……やばい、
「あ、タクマの口癖が移ってしまいました。」そう言って照れた様な笑みを作る。「あはは、案外、麻里は砕けた話し方の方が自然かも」
 万が一正体がバレた時は、死神の手で、存在そのものが無くなってしまうらしい。
 トワ達ドッペルゲンガーは生前の記憶が無い。トワは自分がどんな人間だったのか、それを知らずに、消えたくは無かった。一度死んだ身で死にたくないとは、可笑しな話だと自分自身そう思う。……それにしても、こんなにナポリタンが美味しい事が、意外だった。――なんだ、顔以外でも良いところあんじゃん。トワの拓真への見方が、すこし、変わった瞬間だった。
 日が暮れ始め、彼が住む高級マンションに帰った。セックスでもするのだろうか。トワは拓真の顔が好みであり、性行為は生きている実感を感じられるので、そう、悪い気はしなかった。彼が眠った後、事前に用意した彼女らしい文章で書かれた手紙を置いて、部屋から消えればいい。それで仕事は無事に終わる。「乾杯」
 夜景が見える部屋で、トワは拓真とワイングラスを合わせた。
「それにしても、拓真はすっかり人気歌手ですね」 
「全部君のおかげだよ」 
 拓真は酔っているのか、少し顔が赤かった。
「俺さ、君と出会う前は何も持っていない奴でさ。でもあの日、ライブハウスで君が声を掛けてきたんだ。あのとき君はぼろぼろに泣いてたから驚いたよ」
「そう……でしたね」
 ……ふうん、麻里。あんたはなんで泣いたの? 出会いの馴れ初めは資料を読んだが、それだけじゃ分からない事もある。名塚麻里の当時抱いた感情は、どこにも書いていない。
 トワは二人の恋愛に、興味が沸く。
「自分自身を歌っているみたいと、言われた時、すごく音楽をやって良かったと思った。君は家を飛び出したって言っていたね。もう人形ではいたくないと」
「人形……?」
「君はたしかにそう言っていたよ。覚えていない?」
「え、ええ。私、あまりその時の記憶が無いんです」
 人形。その言葉が、耳に響く。トワ自身が遠い昔に言った言葉であることを、思い出した。そうだ、あたしはそれを否定したくて、煙草を吸って、話し方を変えたんだ。……麻里、あんたもそうだったのね。きっと、あんたは死にたくなかったんだろうな。トワはひどく悲しくなり、気を紛らわす為にも拓真に提案した。
「……ねぇ拓真。歌を歌ってくれません?」
「えっ、ここで? 恥ずかしいなぁ」
「あたし、今、拓真の歌を聴きたいの」 今の言葉は、麻里のものでは無く、トワの本心だった。トワには彼女を偽れないほど、心が揺れていた。
「……いいよ」
 彼は置いてあったケースからアコースティックギターを取り出した。一呼吸し、歌いだした。優しい歌だった。だからこそトワには悲しかった。きっとこの歌は、彼女の為の歌なのだろう。愛の歌はいつの間にか鎮魂歌となってしまった。
「ごめんね」トワは呟いた。拓真の演奏の手が止まる。トワの瞳から、涙が零れた。前に悲しくて泣いた事は、いつだったか思い出せない。「本当はあたし、名塚麻里じゃないんだ」
「えっ……」彼は戸惑った表情を見せた。「なに言ってんだよ。からかってるの?」
「あたしの名前はトワ。ドッペルゲンガーよ」
「……ドッペル、ゲンガー?」
「幽霊って事。名塚麻里は、もうこの世にいないよ」
 拓真は冗談を聞くみたいに笑おうとして、それが出来ずに顔をこわばらせる。トワは涙を拭いながら続ける。
「あたしは名塚麻里の両親に依頼されてるの。あんたに何も知らせないまま別れさせろってね。あんた、嫌われてんのね」
「……信じられないな。だって君はどう見たって麻里だもの」
「それはわたしが姿を変えて麻里の資料を読んでいるから……!」
「じゃあ君は涙を流したの?」
 拓真はまっすぐトワの瞳を見た。 
「ライブ会場で泣く人が多くてね。たくさん泣く人は見て来たつもりだ。。君の涙は、本物だよ」
 拓真は机から、小箱を取り出した。「これを、君に」
トワは小箱を受け取り、開けると、それはダイヤモンドの指輪だった。トワは心の底から驚く。拓真はトワの左手の薬指に指輪をはめる。
「ずっと前から買ってたんだけど、今日まで何故か渡せなかった」
「あ、あたし、違うんだってば」
 ダイヤの輝きがトワの瞳に写り込む。
 嬉しかった。トワはずっと前から、この光が欲しかった。
「なんでだろう、君は自分を偽物と言うけれど、僕には今日の君が唯一の麻里だと思うんだ」
「タクマ……」
 ――その時、トワの目に一つの陰が移り込んだ。トワはすぐに察した。死神、ウタカタだ。
「トワ。ルールを破りましたね」
 少し悲しそうに言いながら迫る彼女の手には、身長を越える大鎌。それを振り上げるのが見えた。
「麻里? どうしたの?」
 どうやら拓真にはウタカタの姿は見えないらしい。「――ねぇ拓真」トワは潤んだ瞳で、微笑む。「私は麻里じゃないけどさ、その子、あんたの事が大好きだったと思うよ」
 大鎌がトワの首めがけ、振られた。
「あたしも大好き。――じゃあね」 
 直後、風を切る音が聞こえた。

 次に目を開けると、トワは喫煙所にいた。
「……あれ、あたし、生きてる?」
「お疲れさま。……吸いますか?」
 隣にいるウタカタは煙草の箱を渡した。
「ウタカタさん!? なんで、あたし消えたんじゃっ……!」
「本来は禁止事項で貴方は無に帰っているはずですが、今回はかなり特殊なケースでしたから」ウタカタは困った風に告げる。
「貴方の生前の名前は、名塚麻里だったのですよ」
 その言葉を告げられた瞬間、トワの記憶が鮮やかに蘇る。
「そうだ……あたしは、名塚麻里だったんだ……」
 麻里の本当の死因は。両親による、他殺だった。彼らは麻里を殺したあと、その証拠を隠す為にゴースト・カンパニーに依頼したのだろう。
「貴方に渡した資料も記憶が蘇ってしまう可能性を考えて、改竄したんです」
「でも、生きてたあたしはまだ拓真と知り合ったばかりなのよ」
「以前の貴方が死亡し、すでに三年が経っています。その間、他のドッペルゲンガーが担当していました。ただ近年、私たち死神にも、人間の法は重んじるべきという方針に変わりました。貴方の死は公に出ることになり、依頼した両親は法に裁かれるでしょう」
「……ほんと、イカレてるね」
 トワは呟く。両親は、麻里を飼い慣らしたかったのだろう。自分の手から離れるくらいなら殺す。あの両親ならやりかねない。トワはため息を吐いた。ウタカタは頷き、「そうですね。とにかく、今回は特殊なケースで、特別措置として貴方を天国に送ろうと思っているのですよ」
 トワは首を横に振る。
「あたし、この仕事続けるよ」その言葉を聞いたウタカタは驚く。
「トワ、やっぱり貴方は変わっていますね」トワは指にダイヤのリングがはまっている事に気づき、じっと見つめた。
「あぁ、それも本来回収する物ですが、私だって死神の前に一人の女です。トワ、大事にしなさいな」ウタカタはそう優しい口調で言った。トワは一人のミュージシャンを想う。 あたしは死んでからも、貴方を好きになった、だからあたし、ずっと誰かになって貴方を見守る事にした。どうか、幸せにね。トワは目をつむり、祈るように指を組んだ。誰かがいなくなった世界で、トワは誰かとして生きる。
それが永遠の名前を貰った彼女の選択であった。              

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