「経済」の中で人は幸せになれるのか


こんばんは!ご無沙汰しておりました〜、なーこです。


今日は長らくnoteを書いていなかった明けでのウォーミングアップということで、


私が最近

「経済学を勉強したいと思っている理由」

について、お話しようかな〜と思います!


「勉強したい」というか、すでに本を読んで始めてて。

本当の本当に初歩からだけれど、、難しくて亀スピードでしか進んでないけど、、



私は高校生の時、社会科目は「世界史B」と「政治・経済」を選択していた。

社会は国語の次に得意な科目だったんだけど、当時、政経の経済分野だけは割と苦手で、難しかったから理論としては頭に入れずに丸暗記してた。


というほど、少し前までは経済に全く興味すら抱いていなかった私。


そんな私がなんで「経済の勉強、したい!(しなくちゃ!)」って思ったのかというと、

結論から言うと、「教育のため」なのかもしれないです。


なんで?どこが繋がってるの?

って思われた方もいるかもしれません、私も半年前なら絶対そう思ってました笑


最近、ここ半年くらい?

大学生になってからいよいよ教育について考える機会が増えた。

そうやって教育について考えているときや対話しているとき、

気づいたらマクロな「教育の本質」に迫っているっていう場面に最近よく遭遇してたんです。


「そもそも、社会がどこに向かっているのか分からないと、教育も方向づけできない」という壁に出会いました。

具体例を出したり、もっと上手な言葉で言い換えられたら良かったんですけど、
しばらく考えてもこれ以上の説明ができる気がしなかったので、雰囲気だけでも伝わってくれれば嬉しいです、、


私は個人的な感覚として、向かいたいなと思っている社会の方向はたぶん、
「幸福」で、

「みんながより幸せに生きられるため」に教育があってほしいと思っている。


でも、今、日本という国が何を目指して動いているのかというと、「経済成長だ」ということに気づいたんです。


「経済成長を目指すがゆえに、起きてしまっている不幸せな教育」

客観的な数字を追い求めることを尊重する価値観が生み出している、良いことと悪いこと。


その悪い点にここしばらく(特に春頃)は目が行き過ぎてた節があって、「経済成長を第一に目指してる社会、なんとなく嫌だなあ。」って思ってた。


でも、もし、この意見をちゃんと持ってこれから主張していきたいと思ったときに、

「経済のことよく知らないのに頭ごなしに否定しちゃう人」

にはなりたくないと思った。


国が、社会が、みんなが、なぜそれほどまで「経済」を中心に据えて社会を回そうとしているのか。努力しているのか。

これが分からない限り、私は社会の方向性がわからないままだなって思ったんです。

そして社会の方向性がわからない限り、(本当にマクロな視点だけれども)教育の方向性もわからない。



抽象的な話だけど、伝わるかな、、


しかもそう思っていた矢先、私はとある人意見を持つ友達に出会って。

その友達は「教育も人を幸せにするかもしれないけど、僕は経済成長の方が人を幸せにすると思う」

って主張していたんです。

私は今まで反対の意見を持っていたから、それにすごくびっくりして、

「なんで経済成長が人を幸せにするのか」「どうやって人を幸せにするのか」

という点に一気に興味が湧きました。


そう思ったら、この世界を形づくっている「経済」という仕組みをまず正しく理解するところから始めたいなと思って、

だから私は経済、特にマクロ経済の部分を一回ちゃんと勉強してみようかなあと思って、勉強をはじめてみたっていう次第なんです。



〜〜〜

今回これを書いてみて思ったことは、「経済の勉強をしたい理由について」上手に言語化できるほどの思考、まだ深まってなかったなあということです、、

すごく抽象的で、個人的にはあまり納得のいかなかった文章。


いつもはこういう文章が出来上がったとき、公開せずにそっと仕舞っておいて、気が向いたときに推敲するのが常なんですが、

今日は久々の更新ということもあってそのまま出してみたいと思います。

近々リベンジ推敲できたらいいなと思ってます〜



明日はプロラボのテーマ「義務教育が終了してもなお、なぜ高校や大学に通うのか」

について書きたいと思います!

プレゼンもそろそろ考えないと、、

2週間前に深まったことをどう活かすかからが考えなくちゃいけないことなので、先が思いやられますがなんとか考えてみたいと思います!

それでは!おやすみなさい〜

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