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「考えてる大学生」は2種類に分けることができる


ある視点でものを見たとき、世の中の大学生は2種類に分けられると思うんです。


それは、「考えてる大学生」「考えてない大学生」です。


ここでいう「考えている」とは、うーん、ちょっと定義が難しいんですが、


「どうやって自分の学びに意味を持たせようか」

ひいては「世の中をどうやってよくするか」

考えているかどうかという意味で、

一般の定義とは違う、超弩級に狭義の「考えている」です。笑


(今のでわかったとおり今回は個人的な思想でしかない記事なので、あくまでも一意見だと思ってください)


「考えている」大学生は、自ら学びに向かっていて、その「学ぶこと」に何らかの社会的意味を見出している。(意味を明確に言語化できるかどうかは問わず)

「考えていない」大学生は、受け身で学んでいることが多く、大学生活をモラトリアムだと思っていて、「学ぶこと」以外の側面に大学の価値を見出している。


もちろん、どっちが良くてどっちが悪いとかははないと思います。

どちらも真っ当な大学生活の過ごし方で、それがその人の選んだ道である限り、誰も否定はできない、というのを大前提としておいておきますね。


そしてこれは私の主観なんですが、

私はどちらかというと「考えてる」大学生で、私が話を聞いていて面白いなと心の底から思うのも「考えている」大学生なんです。

(もちろん普通に遊んだり雑談をする上でそこまでは見切ってないよ!身内のみんな、心配しないでね)


たぶん、割合でいうと「考えてる」大学生ってそんなに多くなくて、

私の肌感では1割前後くらいなのでは?って思ってる。


私はそんな「考えてる」大学生の話を聞くのが本当に好き。

専門の分野だったり、アプローチ方法だったり、思想や価値観が違ったりするだけで、

結局はみんな「世の中(範囲の大小は問わず)をどうやってより良くするか」について考えている。


大きな目標に向かって様々な角度から学んでいる人たちがいるんだなあって実感できて、

しかもそうやってお互い関わっていくなかで自分の立ち位置を客観的に見ることができたり、新しい着想を得られたりする。


類は友を呼ぶ方式なのか、私がそういう人脈やコミュニティを追い求め続けてきたからなのかは分からないけど、私の周りには「考えてる」大学生が沢山いて、

そういう人たちと関わって、対話を重ねていくなかで気づいたことがあります。


発見したのは、半年くらい前だったかな。

「考えている大学生」はさらにそこから2種類に分けることができるんです。


それは、

「理論派」と「実践派」。


これは勝手につけた名前で、ちょっとしっくり来てない部分もあるんですけど許容して使ってます。(誰かこの分類に名前があることを知ってたらすぐに教えてください!!)


「理論派」とはつまり、社会を割とマクロな視点から眺めていて、抽象的・概念的に物事を考えることが多いタイプ。

形而上のことについて考えることに長けていて、個人や地域というミクロな視点に蓋をするぶん、社会や物事の本質を見ていられる。


それとは逆に「実践派」とは、社会をミクロな視点で見ることが多く、実際に関わっている人や地域社会という目線で物事を考えることが多いタイプ。

だから実際の経験というものをすごく大事にしていて、本質が見えなくなるときもあるけど、そのぶん実社会の問題点を見つけたり、今の社会に即した何かを生み出すことに長けている。


めちゃくちゃ簡単に言うと理論派は、

「これが直接的に社会のなんの役に立つとかは言えないけど、社会のためにと思って考えてるんだから意味があると思う!」って考え方で

実践派は、

「私たちが社会に出てすぐ実践に取り入れられそうなものこそ、学んで意味があると思う!」

っていう考え方です。


これは多分、学部ごとに色が出たりするのかなとも思っていて、

それこそ文学や社会学は「理論派」が多め、

教育や看護は「実践派」が多めだと思う。

哲学なんて理論派しかおらん。(ド偏見)
でも、学問の特徴上そうなるのもすごく分かる。


私がこの二者のちがいについて気づいたのは、だいぶ前、

教育について「考えてる大学生」たちと対話しながら学んでいたとき。


その日はみんなで国際バカロレア(IB)教育について学んでいたんです。

簡単にIB教育の説明をすると、世界や日本の各地で先進的に取り入れられている、日本の公教育とは理念や価値観が全く異なった教育制度(プログラム)なんですね。

それでそのときはIB教育の理念について学んだんですが、それを学んだ大学生のなかで、

「この理念すごい!ここではどんな子どもが育つのか?これが認められ普及したらどんな社会になるんだろうか?」

って考えた人たちと、

「でも、この理念って理想論じゃん。公教育の現場はそれと全く違うんだから、取り入れるのは難しいと思う。どうやって実践で活かしたらいいの?」

って考えた人たちがいたんです。


確かにどちらの意見もわかるけど、前者と後者どちらにつくかでIB教育を学ぶモチベーションや方向性は違ってくるなと思いました。

なんでここまで意見が二分するんだろう??って思って、考えてたどり着いた結果が、「実践派」と「理論派」の考え方のちがい。


もちろん、どちらが大切とかではなく、

時と場合によって必要度も異なってくると思う。

理論派の立場に立つからこそ見えること、逆に見えなくなることがあり、

実践派の立場に立つからこそ見えること、逆に見えなくなることもある。


大事なのはお互いが極めてる分野を補足しあって、より良い社会を目指していくことなんじゃないのかな。


これ、その時に気づいてから事あるごとに理論派と実践派の差異について実感させられるので、整理するため&今後誰かに伝えやすいように、一度ここにアウトプットしておきました。



ちなみに私は、理論派と実践派どちらなのかというと、中間タイプです笑

いずれ教育現場に出る身として、実践にすぐ結びつけられるものを知りたい・身につけたいと思っている(だからすでに塾や児童館などで経験を積んでいる)反面、

でも本質を見失いたくないし、マクロな視点に立つことでこそ見えてくるものがあると思う(しかもそれってめちゃくちゃ面白い)からこそ、完全に実践派には踏み切れない。

っていう我が儘タイプなんですよねえ笑


今思えばこの中間タイプが「ぜんぶ中途半端」を引き起こしてる原因の1つなのかもしれないですね、、



以上、こうやってアウトプットしてみると新たに見えたこともあって面白かったです!

普段からずっと感じてたことだったのに、概念的なことを言葉の枠組みに当てはめて表現するってやっぱり難しいですね。



そして、アウトプットのきっかけをくれたみーたんありがとう!

実はみーたんも同じようなモヤモヤに気づいていて、先日わたしに話してくれたこと、そして私が理論派・実践派と名付けているよって話したらすごく納得してくれたのが嬉しくて、そのことがこの記事を書くきっかけになりました。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

それでは!



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