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次世代のリーダーに求められるビジョンの共有

前回、わたしは「リーダーとは孤独である必要はない」という話をした。

今回は、次世代型のリーダーに求められることについて書きたい。

まず、前回わたしは誰もがリーダーになれる、という話について補足をしたい。誰もがリーダーになれるわけがない、才能や素質、カリスマ性が求められるからだ、と言う人がいるが、それは大いに間違っているとわたしは思う。

組織の中で自分がリーダーであったら、という意識を持つことこそがリーダーの素質であり、その経験を重ねることでカリスマ性も生まれてくる。そもそもカリスマ性なんてものは、他者からの評価であり、わたしはカリスマ性を持っている、と自負しているなら、それは驕りである。ただのお山の大将にすぎない。

さて、本題の次世代型のリーダーに求められることは、組織を円滑かつ、流動的にコントロールするマネジメントである。いかなる事態が起こってもパニックに陥らず、冷静に状況を分析し、最善と思われる次の一手をうつことだ。

それはつまり、独裁主義的なリーダーかと問われると、ある意味それも正解なのだ。独裁主義は悪い、と大半の人々は思っている。それは民主主義という社会において、人民の声を聞いて公共の福祉、最大多数の幸福を求めることが善である、逆に独善的で独裁主義は悪、と植え付けられているからだ。

だが、考えて欲しい。

民主主義、自由主義を謳っている国の現状を。

日本に限った話ではない。世界中で民主主義、資本主義、その根底が揺らいでいるではないか。マルクスは経済論で、資本家は労働者階級を搾取することでいつか資本主義の崩壊を招くことになる、と書いていたと思うが、現実はもはや既にそれを通り越している。

そう、我々は今「鋼のメンタルをもったリーダー」を欲している。

では、北朝鮮の金総書記やアメリカのトランプ大統領がいいか、それも違う。彼らはあまりに利己主義で独善的でリスクマネジメントもできていない。グローバルに対応しきれていないのだ。では、どんなリーダーならいいのか。

それが、ビジョンの共有だ。

ビジョンの共有のできるリーダーは、ゴールや目標、それに向かうための道筋、それを万人にわかりやすく説き、堅実かつ柔軟に一歩一歩前進する。

そして、その万人も個人個人がリーダー意識を持って、ゴールや目標、それに向かうための道筋を考え、自分がリーダーだったら、とリーダーにはっきりと物申す。

それが次世代の組織作りであり、政治や国家、企業やチームのあり方だと、わたしは思う。


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