被害者1人より加害者10人の未来


#KENMAYA です。

また旭川市いじめ問題が再燃しているようです。

記事を読めば読むほど胸糞の悪い事件です。何よりも学校側の対応は、教育者としてあるまじき態度であると言わざるを得ません。『加害者にも未来はある』という言葉には、前提として加害に対する罰や制裁を受け、反省しているからこそ成り立つ言葉です。記事からは加害生徒らはまるで反省しているかのような態度は見えず、これでは被害者が浮かばれるはずもなく、また親族も納得いくはずもありません。

これだけネットで炎上し、加害者と思われる実名や写真まで拡散され、既に「ネットリンチ」の様相を呈しているにも関わらず、それでも頑なに「いじめ調査」や実態解明に本腰を入れないようでは、逆に加害者の人権が心配です。このままではネット上での憶測やデマが独り歩きし、風評被害や冤罪での二次被害を招きかねません。
当該教頭の「加害者にも未来がある」という発言を言葉通りに受け取るのであれば、早急な徹底調査と必要な罰則、謹慎処分を与えることの方が余程、事態収拾に役に立つのではないでしょうか。


今、日本では学校教育そのものへの不信感が募っています。オンライン教育の整備と対面教育の必要性の狭間で、一元化された教育に疑問を抱く親が増えているのが一因です。これからのグローバル化社会で必要とされる人材は、多言語コミュニケーション能力はもちろん、IT分野、金融、独創的なアイデアやデザイン能力、問題解決能力などが必要とされているにも関わらず、日本の学習指導要領では必ずしもこれを網羅できているとは思えませんし、教育現場にその意識や意図が伝わっているようにも感じられません。

わたし自身、自分の子どもに素直に義務教育過程を受けさせることへの抵抗感が少なからずあります。公立校での授業では学習不足が当たり前で、学習塾に通わせることが普通、となっている状況にも首をかしげざるを得ません。なおさら、教職者がいじめ問題を軽視し、人権意識の低い状況であるなら、むしろこのような治安の悪い学校に通わせることは子どもの情操教育の面でも悪影響でしかない、と考えることもできます。

事なかれ主義もここまで来ると、学校全体が犯罪行為を見てみぬ振りをする集団心理によって閉鎖的な村社会化しており、もはや教育機関とは程遠い存在です。きっと旭川市のこの学校では日常茶飯事のようなものなのでしょう。しかし、この学校だけの問題ではないとわたしは思います。


過去わたしがこの問題について触れたときも、「いじめ」をなくすことはできないし、法権力による介入が必要だ、との見解を述べています。


あれから4ヶ月も経とうというのに、未だになんの進展もないこの問題は、あまりにも根深く、そして学校はもちろん、旭川市教育委員会自体の自浄作用もないことに他なりません。ひとたびネットで広まったこの事件はきっちりとした回答が出るまで再燃し続けます。わたしも事件を風化させないためにも定期的に記事を出すつもりでいます。被害者が、亡くなった彼女とその遺族が、泣き寝入りすることだけはあってはならない、そう思います。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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