見出し画像

2024年上半期に読んでよかった本5選

僕が最近読んだ本の中から、これはよかったなという本を紹介する記事。2024年上半期編!

例年は、僕がその年に読んだ本を紹介していましたが、今回は僕が今年読んだ本で、なおかつ今年出版された本に限定します。

どの本も、信頼できる語り手(信頼できる出版社)が著者なので、安心してお読み頂けるかと思います。


なぜ働いていると本が読めなくなるのか

三宅香帆 集英社新書 

自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。そして、本が読めない状況では、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから、私たちは、働いていると、本が読めない。仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。

234頁

日本の労働史を辿りながら、労働と読書(趣味)について論考する一冊。

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いは敷衍すると、「日本の働き方が仕事に偏重しすぎ」という点に行き着く。それが果たして自分たちのためになっているのか。

この本はとても売れているみたいだけど、多くの人が同じ思いを抱いているのかもしれない。

仕事と趣味のバランスをどう図るか。個人にとっても、社会にとってもこのバランスがキーとなる。


人生のレールを外れる衝動のみつけかた

谷川嘉浩 ちくまプリマー新書

現代人の抱きがちな「寂しさ」は、私たちを抽象性や交換可能性へと導いています。このレールをどう外れるかということに本書は取り組んできたのです。「寂しさ」が導く生き方のレールは外れた先にあるのは、「衝動」が導く生き方です。そして、それは一定の手順を用いて言語化しなければ現出しないという意味で、幽霊のようなルートです。

227頁

「衝動」(=人生のレールを外れる欲望)について考え、探求する本。

衝動とは、メリット、コスパ、他人の目線など、世間の理屈とは関係ないところに向かっていく原動力みたいなもの。それは「モチベーション」とは異なるし、キャリアデザインなんて言葉では測れない。

衝動を見つけるためには、偏愛という具体的に語れるものを言語化してそれをパラフレーズする必要がある。セルフインタビューをして細部に注目すること…。(あとは本書を読んでね)。

「自分らしく生きる」と言うと陳腐に聞こえるかもしれないけど、周りが想定するものではなく、自分の衝動をクリアにしてそれを尊重できる生活が送れることが幸福なのかもしれない。そのための探し方を本書は具体的に示してくれる。


センスの哲学

千葉雅也 文藝春秋

・モデルの再現性から降りることが、センスの目覚めである。

44頁

センスについて、徹底的に考察する一冊。目指すは、センスが良くなることを飛び越えた、センスの向こう側。

センスとは物事の直観的な把握。例えば、絵を見て「それそのもの」を把握するのがセンス。では「それそのもの」とは何かといえば、リズム。
物事を意味でなく、リズムで捉えること。つまり脱意味化することによって、センスが良くなっていく…(と僕も一読しただけなので多くは理解ができてない)。

著者の千葉雅也さんは、考えるとはこういうことなのだと、思考の一例を示してくれる。センスがテーマではあるけど、それ以上に思考の流れを懇切丁寧に示してくれる上質な一冊。


NHK 100分de名著 フロイト『夢判断』

立木康介 NHK出版

古今東西の書籍を100分で紹介する「100分de名著」、フロイトの『夢判断』編。

フロイトの「夢判断」は1900年に発表された著作。無意識はどのように人を動かしているのかを、夢を通して解き明かす、というのが主題。

いろんな本を読んでいると、フロイト的という言葉によく出くわすけど、フロイトについて詳しく知っているわけではない。
無意識、夢分析、エディプス・コンプレックス。そういう単語を聞くことはあるが内情は知らない。そんな雑多な知識をまとめてくれる。(それが100分de名著シリーズのいい所)。

曰く、夢というのは、「抑圧されたもの」と「それを抑圧する自我の力」の葛藤から生じる妥協の産物。
そこに自分の願望が見え隠れしていて、それを分析すると自分のことが見えてくる。

もちろん、この本で触れているのはさわりの部分でしかないが、発見が多い。

他者といる技法 コミュニケーションの社会学

奥村隆 ちくま学芸文庫

「社会」のなかに、完全に他者を「理解」してしまう人がいたとしたら、その人はきっと生きていけない。その「理解」をどこかで止めることで、つまり、人を「理解」できないことで、私たちはなんとか他者とともに生きていられる。かりに「社会」が完全に他者を「理解」してしまう人ばかりで成り立っているとしたら、もうその社会は存在しえないだろう。「こころ」がすべて透明だったら、「社会」はけっして成立しない。「こころ」が不透明であることが、「私」を可能にするとともに、「社会」を可能にもしているのだ。

277頁

他者といること、その技法について、社会学の観点から考える一冊。

この本が言わんとすることは、ざっくりいうと、「他者といることは、苦しくもあり同時に素晴らしいことでもある」ということ。

わりと骨太な本であるけど、それだけ中身が濃く、読み応え十分。個人的に今年No1の本。

第6章の『理解の過小・理解の過剰』だけでも読んでみてほしい。他者に対する考え方が大きく揺さぶられる。


おわりに

今回紹介した5冊には、どことなく共鳴している。どの本も「他者とどう折り合いをつけるか」という問題意識が根底にある。ここで言う他者とは、広い意味での他者。社会も他者だし、自分の中にある得体の知れないものも他者。

『他者といる技法』はタイトルで明らかだし、フロイトが『夢判断』での夢や無意識とはざっくり言えば他者だ。

『なぜ働いていると~』や『人生のレールを~』も、現代の社会で労働しながら、いかに自分が求めるものを守るのか、という他者との距離の測り方を模索している。


関連しているか分からないけど、『センスの哲学』からの引用で締めくくります。

人は、より自由になろうとする一方で、何らかのモデルや枠組みに頼っている(神経精神分析的に言って)。その間にジレンマがあり、切実さがある。
人間の魅力というのもそうかもしれません。バランスがとれた良い人というだけでは魅力に欠ける、というのはよく言われる話で、どこか欠陥や破綻がある人にこそ惹きつけられてしまうことがある。その破綻というのは、その人固有のものというより、「ある種のテンプレのその人なりの表現」だったりする。固有の人生がなぜか典型的な破綻に取りつかれてしまう人間という存在の愚かさが、人をそこへ巻き込む悪魔的魅力となる。

213-214頁


この記事が参加している募集

最後までお読み頂き、ありがとうございます。 サポートは書籍代に吸収されます。