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ほどほどの恋でよいという提案 #書評

2024/9/29

先日は昼間に親が僕の一人暮らしの部屋に遊びに来たり、そのあと友人と遊んでいたりで、noteも更新できずに疲れて寝てしまった。今日は午後から資格試験があるのに悠長なもんだと自分でも思っています。・・・。

忙しくても隙間時間で本を読む癖だけは、僕の非生産的な大学生活で身につけられたおかげで、今日も一冊読了することができた。

香山リカ先生の「ほどほどの恋」(東京書籍)という本だ。2年ほど前に読書会で紹介している人がいて、直球なタイトルだからこそ惹かれるものがあった。当時僕は失恋の真っ最中だったので、とりあえず本だけ買って放置・・・という状態になっていた積読だ。

長いこと恋愛とは無縁の生活をしている今だからこそ、この本を冷静で客観的な目線で読むことができるのではないだろうか?と思い、何の気なしにこの度積読文庫から引っ張り出してくることになった。


この本は、彼女自身の恋愛遍歴や精神科医としてのエピソードを通して、世の中の大人たちが何故これほどまでに恋愛に振り回されながら生きているのか、その謎の解明を目指ししつつ、どうしたら平和的で健康的な恋愛をできるのかを模索していく本だといえる。

理想論を語るのではなく、”人間は恋愛に翻弄される生き物だよね、”という前提のもと、人間が”恋愛”という複雑な感情とうまく付き合っていくための彼女なりの恋愛観を語る。

この本で一貫して語られることとしては、やはり”ほどほど”であることの重要性だ。

時に何よりも大事な『自分の人生』を疎かにしてでも、ひとは年齢関係なく恋愛に没頭してしまう生き物らしい。溢れ出る恋愛の熱量を制御できず、周りが見えなくなり、色んなことを犠牲にしていることの危険性を顧みなくなってしまう。

大学入学当初の僕はまさにそういった状態で、でもそれは僕に限った話ではないらしい。

忘れてはいけないことは、ひとというものは何をとっても流動的な生き物だということだ。今日の敵は明日の味方という言葉があるのなら、その逆もしかりだろう。

今日好きな人が、明日も好きという保証はどこにもない。些細なことで好きと嫌いという感情など簡単に入れ替わってしまう。不変、無償の愛などというものは存在しないと分かっているからこそ、そうであってほしいと盲目的になってしまうのだろう。

結局、大事なのは自分。自分の機嫌は自分でとるという意識だ。たとえ恋人だろうが、いつ何時も自分の恋愛感情に応えてくれるわけではない。なぜなら、ひとは流動的な生き物だから。

自分の中の喜怒哀楽を他人に委ねてしまうと、精神状態は不安定なままだ。たとえ恋愛でうまくいかなくても、僕には○○がある。やるべきことがちゃんとある。という状態を作り上げることが、本物の精神的自立というものなのだと、香山リカ先生は伝えたかったように思う。

SNSの普及で、人々はどんどんデリケートになってきていると感じる。オタクという差別用語ですら、いまの若いひとにとってはむしろトレンドだと捉える人も多い。二次元やアイドルに対する感情も一種の恋愛感情であり、”推し”の活動の一挙手一投足に翻弄されるのは年齢問わずよく聞く話題だ。それももとを辿れば、自分の機嫌を自分で取れない人間が多いことが原因なのかもしれない。

”ほどほどの恋”というテーマに込められた思いとは、恋愛に冷めた態度で生きろという不躾なものではなく、適度な距離感で適度な深さで恋愛するのが結果として幸せなんじゃない?という香山リカ先生のささやかな提案だったように思うのだ。

今の恋愛に悩んでる人、世の中の恋愛観にピンとこない人、そんなひとたちにやさしく寄り添ってくれる本だった。



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