「醜さを知る魂」ほど美しくなれるはずだ
Buzzfeedで「平成の神々」という名で連載されているコーナーで、シンガーソングライター・あいみょんのインタビュー記事を読んだ。
学生時代に、狭い社会の中で鬱屈とした気持ちを感じたことはないだろうか。自分はある。
スポーツも下手、クラスの中心グループに合わせるほどのコミュ力も持ち合わせず、いわゆる「リア充」とはかけ離れた生活を送っていた。
このまま大人になってもずっと暗い生活を送るのだろうかという不安を、テストで必死に高得点を取ることでなんとか覆い隠す日々。
どうやったらうまく生きられるのだろう。どうやったら楽しく生きられるのだろう。
思い描いたシンデレラストーリーをノートに書き続けるうちに、それは小説のような形をとっていた。
現実が思うようにいかなくても、自分で物語を書いている時は現実を忘れることができた。
自分が作り上げた世界で、自分はいくらでも都合のいいルールを作ることができたし、それを邪魔する人は誰もいなかった。
物語を書くのと同じくらい、もしくはそれ以上に、物語を読むのも好きだった。
一番鬱屈としていた中学・高校時代には、「ドラゴンの眼」「ダレン・シャン」「ハリー・ポッター」といったファンタジー作品やライトノベルをよく読んでいた。
でも、それ以上の勢いで、ケータイサイトで自分と同じような他の誰かが書いた物語をひとつひとつ食らいつくように読み続けていた。
互いに作った物語を通して、自分と同じようにドロドロとした闇を抱えた人と心を覗きあい、「この歪な感情を持っているのは自分だけではない」ということを知ることで、かろうじて息継ぎをして生きていたのだと思う。
自分を醜くて恵まれない不遇な存在だと思いながら、そう自分を定義するのが心の底から嫌で、それから逃れるように救いの用意された物語ばかり書いていた。
心の底で、いつか自分が生み出した物語が自分を救う騎士になると思っていたのだと思う。
だから、最初に挙げたインタビューの中であいみょんさんがこぼしていた次の言葉が自分の心に深々と刺さった。
「最近、作家の友人ができて。その人が言っていたんです。小説は希望だって。自分の記憶の中に希望を足せる。音楽も作詞も、自分の現実に少しプラスで希望を足しているんです。これやなって思った」
自分は醜いと思いながら、それでも希望を見つけたくて、自分の考える「希望」をなんとか編み上げて、物語にする。
同じように、あがいて生きる他人の物語から同じような「希望」を見つけて、自分を守る鱗のひとつにする。
そうやって集めていった「希望」の鱗は、長い時間をかけて大きく、複雑に絡み合い、今では自分を空に高く飛び上がらせる竜の翼になった。
幸せしか知らない人は、きっとこの世界の半分以上のことがその視界に入っていない。
世界はそんなに綺麗なものではない。
社会も他人も、そして自分自身だってどうしようもなく醜くて、汚くて、それが幸せなものととんでもなく複雑に絡み合ってできている。
だから、そんな醜くて汚い世界をよく知っていて、でもそれに抗い続けてきた人こそが、より強い「希望」をその心に携えて、美しく生きていけるはずなのだ。
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生きる困難に対する「希望」を紹介するメディアとして、社会的にマイノリティとされている人々のインタビューを掲載する「soar」というメディアがある。
特定属性のマイノリティにこだわらず、LGBTから精神疾患、発達障害などさまざまな立場のマイノリティから、深く深く対話する形で「弱さの共有」をし、よく練られた長文記事を投稿している。
そのメディアの編集長である工藤瑞穂さんの編集方針を最後に引用して、このnoteの結びとする。
可能性という言葉は、力やスキルみたいなこととはまた違うんですよね。soarで考える可能性とは、その人はもっとよりよく生きることができるんじゃないかということや、社会はもっとよくなるんじゃないかということ。そうできる前向きな力が、人間にはみんなあるはずだから、そこを信じるといった意味での「可能性」です。
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