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出会い〜ヴァイオリン弾きの少年〜ウクライナ難民取材〜

俺はナルトが大好きで、誰よりも美しい音色をヴァイオリンで奏でるウクライナ難民の少年と4月10日熱気あふれるハンガリー国会議事堂前のデモで出会った。

4月10日 ブダペスト で知り合ったウクライナ人にロシアに抗議するウクライナ人のデモが開催されると聞きハンガリー国会議事堂前を訪れていた。

ハンガリーブダペストの世界一美しい国会議事堂


デモ開始時刻の20分前、国会議事堂の前には少しずつロシアへの抗議や残虐なブチャ虐殺の様子が描かれたカードを持ったウクライナ人達が集まり始めた。

その中で笑顔で走り回る二人の子供と

旗を楽しそうに掲げる不思議な雰囲気の一人の少年が目についた。
少年は一生懸命青と黄色のウクライナの国旗を透き通るほど綺麗な青空にはためかせていた。

”フォトグラフィーヤ(確かロシア語で写真うろ覚え)オーケー?”俺は少年が旗を掲げる様子が撮影したくて少年に近づき声をかけた。

少年は少し恥ずかしそうに、少し嬉しそうにうんと首を縦にふった。


少し誇らしげな顔をした少年が持つ側はハタハタと大きくはためいていた。

”グッド、グッド”いい写真が撮れたと思い、少年に写真を見せて指でぐっとマークをすると、少年も笑顔で笑って喜んでいた。

それが少年との出会いだった。

その後もまさか付き合いが続くことになるとはこの時は思いもしていなかった。
そして、それがすべての始まりだった。

抗議デモは本格的に始まり、人々は正義と平和、ロシアの残虐性を叫んだ。


”Hello!!"
デモの写真を撮影していると黄色い帽子をかぶった女性に声をかけられた。

”こんにちは!!”俺は笑顔の女性にそう挨拶を返した。

”中国ではウクライナの件報道されていないんでしょう?あなたはどう思ってるの?”彼女は喋り慣れていない英語で必死にそう聞いてきた。(俺の英語力も人のこと言えるレベルではないが)。

中国じゃなくて、、日本なんだが、、。当たり前のことだが、中国で報道がされてないことも中国がロシア寄りなのもウクライナの人もわかっているのか、、、。それなのによく怒ったり、文句を言ったりせず冷静に質問してきたな、、、俺が逆の立場で中国人を見たら多分感情的に、、、、。

”俺は中国人じゃないです。日本人です。中国でこれだけのことが報道されてないのも知ってます。ひどい話だ。これだけの人が犠牲になっているのに利害関係優先で報道しないなんて俺からしたらあり得ない。日本ではウクライナのことは報道されてますし、俺はロシアの軍事侵攻を個人的には許せない。あなた達の味方だ。”俺はそう本音を告げた。

”日本人なの!?日本は今回の戦争どう思っているの?”彼女は俺が日本人なことに驚いた後にそう質問してきた。

”いろいろな意見があると思いますが、日本人はほとんどの人があなた達に同情しています。そして、軍事侵攻をしたロシアに怒っている。”別に日本人の意見など代表するつもりも、権利も俺にはないが、この見解は概ね正しいだろう。

”日本人なのよね、、、ちょっと待って息子を呼ぶから!!”黄色い女性が息子を呼ぶとなんと息子はさっきの旗の少年だった。

お母さんが少年に何かウクライナ 語で語りかけると

”おはよう!!おはよう!!”すると、少年は日本語でおはようと挨拶をしてきた。

”、、、!?この子は日本語ができるのですか?”驚いた。まさかデモで日本語でおはようを話す人がいると思わなかった。しかも、デモ開始時写真を撮らせてもらった旗の少年が日本語ができるなんて微塵も思っていなかった。

”この子は日本のアニメナルトが好きなのよ!!”お母さんは笑顔でそう言った。

”ラセンガン、ラセンガン!!”少年はナルトの技名を叫んでいた。まさか、螺旋丸と言う単語をこの難民取材中にウクライナ人から聞くとは本当に思わなかった笑。

”あなた達はウクライナのどこの出身ですか?”

”イヴァーノ=フランキーウシクよ”お母さんがそう答えてくれた。

!?イヴァーノ、、、イヴァーノ=フランキーウシクって、、、確か、、、
日本人のほとんどの人が知らないであろうウクライナの街の名前を俺はよく知っていた。過去にウクライナを訪れた際偶然にも立ち寄った街だったからだ。

筆者が訪れたウクライナ西南部イヴァーノ=フランキーウシク

特に有名な観光地でもないが、ウクライナのカパルチア山脈を訪れた際ほど近い距離にあった街なので気まぐれで寄ったのだ。夜街の中心部で音楽フェスティバルのようなものがやっており、音楽に合わせて子供達がノリノリでダンスしていたのが印象深い。(ムービーだけは残っているが悲しいかなムービーはnoteにアップできない)。子供達元気だなと微笑ましかった記憶がある。(余談だが同じドミトリーのベッドが上のフレンドリーだったハンガリー人が目の前で逮捕された衝撃の記憶もある笑)

あの街出身の人たちなのか、、、。でも、イヴァーノ=フランキーウシクはウクライナのかなり西南、、、。ロシアからは距離があり、安全圏だと思っていたので、あの街から難民がハンガリーにきているとは思ってもいなかったので衝撃を受けた。

”イヴァーノ=フランキーウシク!?行ったことあります!!3年前にウクライナを旅行した時立ち寄りました!!”そう言って、この街だよね?と地図で指し示すとまさか日本人の男が故郷に来たことがあるとは思ってもいなかったのかお母さんと少年もびっくりしていた。

”あなた私たちの街に来たことがあるのね!!”

”ええ、、、イヴァーノ=フランキーウシクは今大丈夫なんですか?”

”ええ、大丈夫には大丈夫なんだけど、空港がロシアに爆撃されたわ、、、。”

”!?イヴァーノ=フランキーウシクの空港がロシアに爆撃されたんですか!?”

”ええ、、、、、。”彼女は切なそうにそう答えた。盲点だった、、、自分が訪れた街にもかかわらず、地理的にロシアによる攻撃とは無縁だと思っていたのだ、、、あんな西南にある街までもロシア軍の攻撃範囲だとは、、、。自分の訪れた西南の街が攻撃を受けていたことに衝撃を受けた。

その後も数分彼女達と話していた。

お母さんは少年がヴァイオリンを弾いているムービーを嬉しそうに見せてくれた。

”優しいハンガリーの人がヴァイオリンを息子に寄付してくれたから、また息子はヴァイオリンが弾けるわ。”そうお母さんは喜んでいたし、ムービーの少年も嬉しそうにヴァイオリンを弾いていた。ニュースでは残酷なニュースばかり流れる、実際目を背けたいほどの残酷な現実がウクライナをはじめ世界各地には存在し、ネット上や世間の井戸端会議はクソみたいな話ばかり、本当に嫌になる最低な世界だ。でも、、少年たちにヴァイオリンを寄付する優しい人もいるのか、、、それは救いだな。そして、笑顔でヴァイオリンを演奏する少年も、笑顔で見守るお母さんも、この最低な世界の中の微かな希望だ、、、。

”サンキューって日本語でなんて言うんだっけ?”少年は早い英語でそう尋ねてきた。

”サンキューはありがとうだよ。ありがとう。”

”ありがとう!!ありがとう!!”少年はそう言うと、笑顔で駆け出して他のウクライナの子供達と楽しそうに追いかけっこを始めた。


、、、本当に微笑ましい光景だ。こんな子供達が戦争で故郷を追われる現実本当にクソみたいで嫌になるよ、、、。それでも、そんな世界でどこまでも笑顔でかけていく子供達は本当に強い。ナゴルノ=カラバフ難民100人取材の頃も、あのシリア難民の子供達と交流していた頃もずっとその思いは変わっていない。そして、それだけがこの世界の救いだ。

まさかこの時は、このヴァイオリン弾きの少年とその笑顔のお母さんとその後も交流が続くなど思ってもいなかった。そして、少年がナルトを見始めた理由も、彼女達の家族が戦争に奪われたことも何も知らなかった、、、、。

そして、少年との出会いが全ての始まりだった。

ハンガリー人、ウクライナ人、ロシア人、モルドバ人、ルーマニア人、ユダヤ人、クルド人、イスラエル人、スウェーデン人、アイルランド人、カナダ人、国境や宗教、民族を超えて故郷を追われたウクライナ人達を支える人たち、

ウクライナ難民支援のボランティアをしているユダヤ系ハンガリー人の少女。あまりにも性格が良すぎるので勝手にブダペスト の聖女と呼んでいる。


ウクライナ難民の少女を支えるイラク、クルディスタン自治区出身のクルド人。国なき悲劇の民クルド人が、国を侵略され追われた難民の少女を支える姿は世界で一番美しい構図と言える

それは、世界の希望との出会いでもあり

一方、2014年クリミア併合、ドンバス分離派とウクライナ軍をはじめウクライナ東部の紛争の頃から始まっていたウクライナの人たちへの拷問、強制移住。さらにはニュースで報道されるブチャやマリウポリ、ハルキウをはじめとする激戦区やミサイルが落ちた主要都市以外のウクライナの人たちの苦悩、恐怖。ウクライナの中でも旧ソ連の幻とロシアのプロバガンダを信じる人もおり、それによって生み出される家族の分断。それはウクライナの人たちの目の前にそそり立つ残酷な現実や世界の理不尽との出会いでもあった。

愛する娘のことだけを考え、爆撃が見える中、飲まず食わずで3カ国来るまで非難してきたウクライナのスーパーマム。


そして、そんな残酷な現実と闘い、前へ進む力強く、美しいウクライナ人たちとの出会いであったのだ。

ナルトが大好きなウクライナ 難民の少年。夢はでっかく世界一のヴァイオリニスト。

その少年との出会いはすべての始まりだった。


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