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元兵士の世界への問い〜戦争の勝者は誰か?〜 ナゴルノ・カラバフ紛争難民100人取材

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”戦争が怖いわけじゃねえ。ただ誰が勝者か誰が敗者か知りたいねえ。誰にもわからねえからよ。30年も戦ってる。だけどよ、誰にもわからねえんだ。わからないまま戦ってる。とにかく決着を知りたいね。”元兵士の男性は飄々とそう語った。

、、、そりゃそうだろう、、30年も戦って、、人々は苦しんで、、、なんのために、、、勝利も敗北もないまま、、。ある人は家族を亡くし、ある人は故郷を奪われたというのに。未来はもちろんのこと、誰が勝者か、誰が敗者か、それすらも誰にもわからないのだ。それでも、人は戦い続けるのだ。

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戦場の隣の村クハァナツァク村。目の前の丘に見える二つの旗はアルメニアとアゼルバイジャン戦争状態にある両国の最前線。

アルメニアとアゼルバイジャン、戦争状態の2カ国間の国境に3方を囲まれたクハァナツァク村。クハァナツァク村の丘の上にある、村の景色を見渡せる家で2020年の44日間戦争でナゴルノ=カラバフを追われた難民の人たちにインタビューを行った。故郷や家、仕事、それまでの生活、ある人は最愛の家族までもを失った難民の人たちが列を作って俺のインタビューを受けるのを待っていた。

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丘の上の家でインタビューを行った難民の人々。彼女たちは2020年の44日間戦争時アゼルバイジャン軍に発電所を爆破され、暗闇の中で爆撃の音に囲まれ恐怖と共に生活をし、挙句故郷の村を奪われた。

彼らは全てを戦争に奪われた難民というだけでなく、今現在もこの村で毎週威嚇射撃をアゼルバイジャン軍から受けたり、家畜を奪われたりしている。


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”##############笑”

突然インタビューを待っているおじさんが大声でアルメニア語で笑いながら何かを聞いて来た。

”なんて言っているんだ?”

”日本人ビールは好きか?って聞いて来たのよ笑”通訳は笑ってそう教えてくれた。

”ああ、ビール大好き笑”思わず笑ってそう答えた。よりにもよってその質問かよ笑。だけどいいなあ。銃撃に日々囲まれている過酷な生活中でも、こう笑顔で生きる彼らは何よりも美しくて強い。そう思った。

そんなとても明るい男性のインタビュー。明るい雰囲気で続くんだろうなと思っていたが、元兵士である彼の何よりも重い質問に俺は答えられなかった。

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ビールが好きかと質問をしてきた男性は2020年44日間戦争が始まるまではアルメニアとアゼルバイジャンの係争地域ナゴルノ=カラバフのカシュタ地方、メリカシャン村で両親と妻、二人の子供の6人家族で暮らしていた。彼も他の難民たちと同様に牛など動物の世話をして暮らしていた。しかし、2020年9月27日ナゴルノ =カラバフにてアゼルバイジャンとアルメニアの44日間戦争が始まると彼はアルメニア軍の兵士として故郷を守るためにアゼルバイジャン軍との戦争に身を投じた。5600人以上の人が命を落とした44日間戦争を彼は幸いにも無事に生き延びた。いや、幸いでなどあるはずもない、彼の故郷であるメリカシャン村は停戦合意によりアゼルバイジャンに引き渡され、彼は家畜、家、戦争前の生活全てを失ったのだから。彼は今現在、家族6人と毎週のようにアゼルバイジャン軍に威嚇射撃を受けるこのクハァナツァク村で生活をしている。

Q”アゼルバイジャン軍の基地が近い村での生活はどうですか?”


”どう平和になれっていうんだ!!あいつらはいつも銃を撃ってくるんだ!!村は全てあいつらの射程範囲なんだ!!いつも怖いさ。”俺はさっきまでの陽気だった雰囲気と真逆の鬼気迫るような表情で語る彼の姿に唖然とした。さっきまでの雰囲気との豹変に、この村の人たちはここまで追い込まれているのかとそう再認識させられたからだ。そして、重たいばかりの話に疲れていた俺は、彼のような陽気な人へのインタビューなら重たいばかりの話から少しの間解放され、ビールやウオッカなどの楽しい話で盛り上がれるのではないかと思っていた。しかし、そんな俺の甘い考えは瞬時にへし折られた。クハァナツァク村の人たちは毎週アゼルバイジャン軍から2〜3回威嚇射撃を受けている。そんな状況で追い込まれるのは当然のことだ。どう平和になれっていうんだ!!それは彼らの世界への訴えでもあった。

Q”戦時中の生活はいかがでしたか?” 

”俺は兵士だった 国を守ったんだ。”彼は虚空を見つめて無表情で答えた。そこで初めて陽気なおじさんだと思っていた彼が44日間戦争の過酷な戦場を経験したのだと知った。ビールが好きか?と笑顔で聞いてきた彼が、ドローンによる爆撃が飛び交うナゴルノ=カラバフの戦場にいたとは想像もしていなかったのだ。

Q”戦争はどうでしたか?”

”シャブリルのファーストラインから、去年奪われた最も危険だったアルツァフ第2の都市シャシュまで色々な場所に配置された。”その経験したいくつかの前線を語る彼の姿は戦場を経験した貫禄のある元兵士の姿そのものであった。日本にいるとき、遥か遠くにあると思っていた戦争と戦場。まさか、陽気なおじさんがニュースを読み漁った44日間戦争に参加していたという事実に、戦争というものは普通の人々も巻きこ間れることがあり、国と言う存在の思惑により戦争に出向くことがあるものなのだと改めて認識させられた。

日本でアルメニアやアゼルバイジャンの戦争や中東の戦争などがSNSや匿名掲示板で話題になっているのを目にしたことは度々ある。

”また戦争をしている笑””21世期にもなって野蛮な人々だ”などの意見を見かけることが多かった。しかし、俺が知る限り、戦場で地獄を見てきた人たちというのは普通の子供好きの青年であったり、とても魅力的な人のいいおじさんだったり、別にネット上の人々が野蛮だとかいう類の人たちではない。俺たちと同じ人間、いやむしろネット上でそんな声をあげて笑っている人たちや俺なんかより人間として素晴らしい人たちだった。

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Q”44日間戦争で一番危険だったのはどんなときでしたか?”

”9月30日のハドルゥート だ。(ハドルゥート地方は44日間戦争で1番激しい前線だったと多くの難民が語っていた。)アゼルバイジャンがハドルゥートを奪う際にあらゆる手段を講じて攻撃をしてきた。爆弾、ドローン、銃撃、、、砲撃が滝のように降り注いだ。あの状況はあまりにも地獄だった。”そう遠い目をして彼は語った。

Q”そんな過酷な状況で負傷はしなかったのですか?”


A”まあ、爆発音で耳は悪くなったが、、他は無事だな。俺は現地の土地勘があったから大丈夫だった。”今までの人生、アメリカの映画で戦場帰りの人が爆発音で耳が悪くなったとサラッと言っている場面を何度か見たことがある。そういうもんなんだとそういったシーンを対して気にせず流すことが多かった。わかりやすい映画のキャラの死や、腕や足を戦場で亡くしたりするキャラなどのシーンは印象に残ることが多かったが、耳が悪くなるのくらい戦場帰りにはよくある自己紹介みたいなもの、そういう感覚で見ることが多かった。しかし、戦争を生き延び、耳が悪くなったと語る彼と対話をしたいま、映画で戦場の爆発音で耳が悪くなったと語るキャラが出てきても、今までのように気にせず流すなどということは今の俺にはもうできない。彼らが重なるからだ。今回の取材で戦場に赴き耳が悪くなった人たちに何人もあったのだ。

Q ”今の生活はどうです?”

 ”動物の世話をしている。まあ、昔と比べて数は少ないがな。たくさん動物を飼育できる場所がないんだ。”そう彼は淡々と語る。

Q”前生活と今で一番変わったことはなんです?”

”まあ、100%中ナゴルノ=カラバフでの暮らしは90%くらいだった。今の生活は10%だな。”彼は淡々と語るが、90%から10%、、、今の生活はそれだけひどいのか、、、、。

”それは、、ひどいですね、、何故ですか?”

”物も家も、土地も何もかもねえからさ。”

”、、、、、、、、”俺に言い返せる言葉は何もなかった。そりゃ、そうだろう。家も土地も何もない生活。ドローンの砲撃や爆弾が飛び交う戦場を生き延びた彼に待っていたのは何もない最低な暮らしだった。

Q”何がご自身の今の生活や他の難民の方に必要だと思います?”   

A”金だ。金があれば木や服が買える、、が今はない。貴重な牛を売らねえと冬を越すための資金も用意できねえよ。”彼はため息混じりで語った。金が欲しい、遊ぶ金があれば。結婚式の金があれば。老後のための金が欲しい。金が欲しいから、投資やアメリカ株の勉強をしよう。日本でも多くの人がそう語る。俺も取材する金があればとか、本を買う金が欲しい。そういうことを言うし、誰にでも金が欲しいと言う気持ちはある。しかし、彼の言う”金があれば”という言葉は俺が日本で聞いてきた金があれば、金が欲しいと言う言葉とは全く違う言葉だった。

Q”未来に望むものなんですか?”

 ”ミルクを買ってくれる客だな。”彼の未来への願いは何より切実だった。

Q” 戦争と平和についてどう思いますか?”


”今は誰にも未来に何が起こるかわからない。戦争が怖いわけじゃねえ。ただ誰が勝者か誰が敗者か知りたいねえ。誰にもわからねえからよ。30年も戦ってる。だけどよ、誰にもわからねえんだ。わからないまま戦ってる。とにかく決着を知りたいね。”、、、そりゃそうだろう、、30年も戦って、、人々は苦しんで、、、なんのために、、、勝利も敗北もないまま、、。ある人は家族を亡くし、ある人は故郷を奪われたというのに。未来はもちろんのこと、誰が勝者か、誰が敗者か、それすらも誰にもわからないのだ。それでも、人は戦い続けるのだ。

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Q”アゼルバイジャン軍の基地近いのどう思いますか?” 

”いつも撃ってきやがる。戦いを望んでやがるくせに人が死んでも世界には何も知らねえと言いやがる。嘘をつくのはよくねえよな。アルメニア 側は何もしてねえんだ。”

Q”4日前(セヴ湖での11月16日事変)についてはどうですか?”

”4日前もアルメニア 軍は何もしちゃいねえよ。、、、でも奴らは攻撃してきた。だから同胞がたくさん死んだ、、、”彼は静かに、しかし、力強い瞳でそう語った。その静寂で力強い言葉に何かを言うことなどできはしない。

アルメニアとアゼルバイジャンの各地国境での両軍の小競り合いは多数存在する。アルメニア 側もアゼルバイジャンを挑発したり、応戦したり、攻撃をしたのにも関わらず、何もしていないのにアゼルバイジャン側に一方的に殺戮されたとプロバガンダで情報を流すこともあるのだろう。しかし、ことクハァナツァク村が2021年、11月16日に70〜80発アゼルバイジャン軍から銃撃を受けて、アルメニア軍が撃ち返さなかったという村人達の証言は俺事実だと思っている。まず第一に、彼らの言う通り、200ものアルメニア人の家族が暮らすクハァナツァク村近辺でアルメニア側が戦闘を望むとは思えないこと。第二にこの村の村人たちが本件に関して俺に嘘をつくとは思えないからだ。44日間戦争開戦時もアルメニア 、アゼルバイジャンともに先制攻撃を否定しているが、状況から見てアゼルバイジャンが先制攻撃をしたと見られている。両国には長く複雑な歴史があり、一概には言えないが少なくとも2020年5600人以上に死亡した44日間戦争時においても攻撃、侵略行為を開始したのはアゼルバイジャン側だと俺は思っている。もし、攻撃や侵略を開始しておいて、何もしてない、何も知らない、アルメニアから攻撃を開始したなどと言う主張をするのであれば、今現在世界中から非難されているロシアのウクライナへの侵略行為と同等の最も卑劣で断罪されるべき行為だと言わざるを得ない。結果、俺が出会った難民の人たちや元兵士の人たちの故郷、最愛の人の命、平穏な生活を奪ったような行為は素晴らしい武勇伝などに決してなるべきではなく、決して許されてはいけない暴虐だ。

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Q”最後に世界に何か言いたいことはありますか?”

 ”もしできるならよ、大国にアゼルバイジャンにこの村を撃たせるなって伝えてくれよ。アメリカやロシア、日本みたいな大国の力があればできるだろう?”彼の静かで力強い叫びは、ナゴルノ=カラバフ難民の人たち全ての叫びでもある、、、、俺は、、、、、。偉そうにインタビューなどしておいて、俺に大国のアメリカやロシア、日本政府に伝えられることなど何もない、、、それどころか、、、何も、、、俺は無力だ、、、、。いつだって、彼らと対話するときそう思わざる得ない。

ナゴルノ=カラバフ、アゼルバイジャン領土内に存在するアルメニア人が多く住むエリア(1989年時点ナゴルノ ・カラバフ内人口比アルメニア人76.9%アゼルバイジャン人21.5%)。1991年アルメニア人がナゴルノ=カラバフの独立投票を実施。得票率82%、独立支持99%という結果に終わる。この投票結果を認めなかったアゼルバイジャンとアルメニアにより、30年以上にもわたるナゴルノ=カラバフ戦争(紛争と定義されるが現地の人が戦争と認識している限り筆者にとっては戦争)が幕を開けた。2022年3月現在ナゴルノ=カラバフの正式な処遇は決まっていない。さらには、停戦監視を行う平和維持軍であるロシアはウクライナに侵攻し、国際的信頼力、軍事力、国力も大幅に低下した。ナゴルノ=カラバフ戦争は何も解決しておらず、戦争の影響で国を追われたナゴルノ=カラバフ難民たちは未だ絶望の中で生活している。

”誰が勝者か誰が敗者か知りたいねえ。誰にもわからねえからよ。30年も戦ってる。だけどよ、誰にもわからねえんだ。わからないまま戦ってる。とにかく決着を知りたいね。”俺は彼のその問いに何も答えることはできなかった。いや、彼のその問いに世界の誰も答える答えることはできないだろう。世界で最も解決せねばならない問いの一つだと言うのに。

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