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爆撃で村を奪われた教師一家の場合 ナゴルノ=カラバフ難民100人取材

2020年10月3日アゼルバイジャン軍は、まずヴルガヴィン村ハリガシ川にかかる橋をドローンで爆破した。これによりアルメニア軍は撤退せざる得なくなった。橋破壊後アゼルバイジャン軍はドローンで村の家と車に爆撃を始めた。そして、ヴルガヴィン村はアゼルバイジャンに征服された。

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写真教師の一家 左おじいさん 真ん中娘(11) 右お母さん おじいさんとお母さんは二人ともナゴルノ=カラバフで教師をしていた。

ナゴルノ=カラバフ、ヴルガヴィン村出身、教師の一家の家のたどり着くと壁に金色の3という数字の風船と複数の金の風船が飾られていた。この取材を行った日の前日写真の少女の弟の3歳の誕生日だった。”誕生日おめでとうございます。”と筆者が告げるとおじいさん、お母さん、少女の3人とも笑顔で”ありがとう”と言って喜んでくれた。一見幸せそうな家族だが、2020年の44日間戦争でとても悲しい体験をしている。特に取材を始めると共に部屋を出た笑顔が素敵なおじいさんは、、。彼は最愛の人の意志を受け継ぎ教師になった、そして彼は戦争で何よりも大事な物を失ったのだから。

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ゴリスの多くのアルメニア人達は菜園を営んでいる。夏に野菜やハーブなどを育てる。野菜は塩漬けのピクルスにし、ハーブはハーブティーにすることで豪雪地帯ゴリスの冬を乗り切る。

その一家出身のヴルガヴィン村は今まで取材してきた難民の人たちの出身の村とは事情が違った。今まで取材してきた人たちの村は44日間戦争後の協定でアゼルバイジャンに引き渡された。しかし、彼女達の暮らしていたヴルガヴィン村はアゼルバイジャンにより武力で制圧された村だ。

一家は44日間戦争が勃発するまで、戦場となったナゴルノ=カラバフのヴルガヴィン村で暮らしていた。おじさんもお母さんも、この日は外出していたお父さんもみんな教師の仕事をしていた。教師の仕事だけでなく日用品を販売する商店も経営していた。ヴルガヴィン村には大きな菜園を持っていた。おじいさんはそこで野菜や柿を育てるのが好きだった。”ヴルガヴィン村での暮らしはどうだった?”そうシャイな少女に質問すると。”とってもいい村だった。”と少し恥ずかしそうに笑って答えてくれた。少女が答えてくれたように一家はヴルガヴィン村で幸せに暮らしていた。しかし、その日は訪れた。

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アルメニアとアゼルバイジャンの最前線

2020年9月27日ナゴルノ=カラバフにてアルメニアとアゼルバイジャンの44日間戦争が始まった。10月3日までお母さんと少女はヴルガヴィン村に居た。その日男達は皆最前線に出かけていたために、ヴルガヴィン村には女、子供しかいなかった。そんな中、アゼルバイジャンのドローンはヴルガヴィン村のハリガシ川に掛かる橋は爆破した。ドローンが橋を破壊するのを見た瞬間、彼女達には恐怖と絶望しかなかった。この橋の爆破でお母さんは避難することに決めた。おじいさんは村へ残った。何より大事なものを守るために。橋破壊後アゼルバイジャン軍は村の家と車にドローンでの爆撃を開始した。そして、アゼルバイジャンが完全に優位に立った10月19日、アゼルバイジャンの銃兵達が直接村に侵入を開始。ヴルガヴィン村の中で銃撃が始まった。そして、村はアゼルバイジャン軍に武力で制圧され、おじいさんはゴリスに逃れた。10月19日いったい彼はヴルガヴインの村で何を見たのか、、

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ナゴルノ=カラバフで数学とアルメニア語の教師をしていたお母さん

”ただ子供達の安全のことだけを考えたわ。人もたくさん亡くなったわ。最前線の兵士が二人、そして教師も二人亡くなったわ、、。”そう辛そうな顔でお母さんは語ってくれた。

Q”そんな過酷な経験をされてトラウマにならなかったんですか?”

”今はみんな大丈夫よ”そうお母さんは気丈に語った。しかし、彼女達は全てを失った。避難時に持ってこれたのは書類だけだったという。それでも彼女達はめげずに今も前を向いて生きている。

Q”未来に何を望みますか?”

”ヴルガヴィンの村と共に菜園を奪われたから、今はここで新しく菜園を営んでいるのよ。夏には野菜、冬には暖を取るための木を育てているわ。1ヘクタールで前より小さいけれどこれが私たちの望むことよ。”そう語る彼女の瞳は力強い光を帯びていた。全てを失いつつも、前より小さな菜園を私たちの望むものとはっきり言い切る彼女は本当に強い。いや、きっと、強くならなければ生きていけなかったのだろう。その時の彼女の強さを目の当たりにしてそう思った。

Q”今は何が一番必要ですか?”

”平和と安心が欲しい”少女はそう答えた。”いい仕事よ。できたらまた教師がいいわ。子供に勉強を教える大切さを知っているから。”そう語るお母さんは本当に立派な方だ。そんな教師として立派なお母さんにどうしても聞きたいことがあった。

Q”戦争を経験された教師として子供達に平和をどう教えますか?”

”子供達には平和とそのために戦争に勝つにはテクノロジーと知識が大事だと教えるわ。強いテクノロジーがあり、賢ければ他の国は私たちを恐れて侵略をしてこないはずだから。”彼女はいち教師としてそう答えた。違いすぎる。日本との平和への概念があまりにも違いすぎるのだ。平和ボケした日本では平和とは国や人種、宗教に関係なく皆が手を取り争わないこと。しかし、アゼルバイジャンに武力で村を征服された彼女達にとって平和とは死に物狂いで守るものであった。だからこそ、テクノロジーと知識で強い国になり、平和を守らなければいけないと考えているのだ。無垢な人々の命、生活を守るために。日本人とトルコによる虐殺の記憶や今なお命がけでアゼルバイジャンと戦い続けるアルメニア人との間では平和の重みが圧倒的に違う。

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アゼルバイジャンに武力で制圧されたヴルガヴィン村出身の少女(11)

Q”戦争と平和についてどう思いますか?”そう少女に質問した。

”平和になったら大好きなヴルガヴィン村に帰りたい、、でも今は帰れない、、、危ないから。幸せといい暮らしには平和が必要です。戦争は全てを不幸にします。だから、誰も戦争なんてしたくない。いつか、平和になったら、ずっと続いて欲しい。世界時中のみんなが幸せになりますように。”寂しそうに語る少女の言葉は何よりも重い。無垢な少女の純粋な平和への願い。彼女の言葉を聞いて胸を打たれない人などこの世にいるだろうか。

一方お母さんは凛とした表情で”争いは終わらないでしょう。ナゴルノ=カラバフに関して明るい未来が見えないわ。とても悲しいわ。今のアルメニア政府には戦う準備ができていないでしょう。でも、話し合いでアゼルバイジャンが村を返してくれると思う?”そうお母さんは語る。アゼルバイジャンは絶対に話し合いでヴルガヴィン村を返さないだろう。筆者が出会ったナゴルノ=カラバフ難民達の出身地であり、44日間戦争でアゼルバイジャンに奪われた、ハイカジャン村もゾルアップ村も平和な話し合いでは絶対に帰ってこない。それだけは筆者にもわかる。”村を取り戻すなら戦わなければならない”彼女はそう語る。お母さんの瞳は現実を見据えている

”アゼルバイジャンはトルコの影響下にあるわ。アゼルバイジャンの学校ではアルメニア人を憎むように教えているわ。アルメニアの学校ではそんなことはしないのに、、、。”それは教育者としての叫びだった。事実だろう。ナゴルノ=カラバフ難民100人に出会い対話をした。ほとんどの彼らはアゼルバイジャン人という人種を憎んではいなかった。それよりも。アゼルバイジャンの背後にいるトルコや他の裏の大国。アゼルバイジャンの政府自体やアゼルバイジャンのアリエフ大統領が問題だと考えている人が多いと感じる。

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Q”最後に伝えたいことは?”

”アルメニア だけじゃなくて世界中の平和を願うわ。もし世界中が平和ならより良い世界になるから。”そうお母さんは語った。つい先ほどまで知識とテクノロジーで平話を敵から守らなければいけないと語っていた彼女が全世界の平和を願うと最後に語っていたのが印象的だった。平和と幸せを真摯に語る少女。武力で村を奪われ、知識とテクノロジーで平和を守らなければいけないと語る現実主義者であり、立派な教師のお母さん。二人から学んだ平和は想像以上に重いものだった。

次回、おじいさんが受け継いだ意思、そして守りたかったものとは、、

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