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ウクライナのYouTuberと出会った話〜兄弟君は今何を思う?〜

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”なあ兄弟!!”ゴリスでナゴルノ=カラバフ難民取材をする直前、ガルニ村の宿で陽気なウクライナ人旅Youtuberと出会った(当時2021年10月)。俺のことを兄弟と呼んでくれた陽気な君は今どこで、何をして、何を思い、Youtubeで何を叫んでいるのだろうか?

(今回書くエピソードは難民取材のように取材メモをガチガチにとっていたわけでもなく、このエピソードを他のSNSにもあげたわけでもなく、彼の写真以外記録が残っていなく、完全にうろ覚えでこんなことあったなと思いながら書いた話なため、だいたいこんなことがあったんだ的なニュアンスで読んで欲しいです、)


ナゴルノ=カラバフ100人取材の直前、ある許可をアルツァフ共和国(アルメニアとアゼルバイジャンの係争地域ナゴルノ=カラバフの未承認国家)の大使館から取れるかどうかの結果を待つ間時間があり、アルメニア中部のガルニ村を訪れていた。

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長閑なガルニ村。有名な観光地ガルニ神殿があるが、筆者としてはガルニ神殿よりも村の長閑な雰囲気のが見どころに感じた。

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ガルニ神殿は世界で初めてキリスト教を国境にしたアルメニアに唯一残るギリシャ神殿。太陽神ミトラを祀る神殿。

3日ほど滞在したガルニ村を去るために宿で荷物のパッキングをしていた。ガルニ村はいい場所だった。言葉が通じなかったのに家に招いてくれてアルメニアコーヒーとクルミをご馳走してくれた親切な老人。

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それに、自転車で爆走してはアルメニア語でいつも語りかけて来ながら、チャリで突っ込んできた地元の子供疾風のティコ。彼と謎の言語でなんとなくコミュニケーションをとる時間は筆者がアルメニアで過ごした時間の中で上位に入る素敵な時間だった。

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この二人との交流は素敵だったので(他のSNSにはエピソードをあげた)、いつかエッセイとしてnoteに書きたい。などなど素敵な時間が過ごせた。名残惜しい気もするけど先に進まないと。首都エレバンに戻り、アルツァフ共和国大使館によれば、次の目的地はゴリス!!。ナゴルノ=カラバフの難民に取材しようと思っていた街だ。通訳を探したり、難民にコネのある人に近付いたりすることは色々あるだろうな。果たしてうまく行くかな、、、。そんなことを思いながら荷物をパッキングしていると、

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部屋のドアを開けて俺だけが滞在していたドミトリー(幾つもベットがある、共用の部屋)に宿のスタッフの英語ができる女の子と、Goproで自分と宿の様子を撮影しながら、ロシア語?っぽい言語で話す厳つい男性が部屋に入ってきた。この雰囲気を俺はよく知っていた。多分彼は、旅YouTuberだ。以前エレバンでも有名なインドの旅Youtuberに出会ったことがあるが、同じようにGoproで撮影をしていた。

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撮影しながら、ひたすら一人で彼は喋りまくっている。撮影しながら喋りまくる、これが意外に難しいことだ思う。俺には絶対できない。ボーッと様子を見ていると、喋るのを終えて、Goproを止めた。撮影が一旦終わったようだ。すると、厳つい姿からは想像できない少年のような満面の笑みを浮かべて英語で話しかけてきた。

”よお!!兄弟!!俺はアンドレイ(仮名)!!ウクライナから来た!!どこからきたんだ?”

ウクライナ人か!!意外だな。偏見と自分の数少ない経験でウクライナの人は冷たく、差別的なイメージがあったので彼のフレンドリーで陽気な感じに正直驚いた。ノリ的にはインドとかパキスタンとかのフレンドリーな人たちのノリだ。

”こんにちは!!俺はショウ!!日本から来たんだ!!Очень приятно (ロシア語の初めまして)”

俺はロシア語で初めましてと言った。当時はまさか四ヶ月後にロシアがウクライナに侵攻する事態になるなど考えてもいなかったからだ。それに、英語はできないけどロシア語ができるウクライナ人も多く、2014年のクリミア侵攻の件でロシアをよく思っていない人がいるというのは知っていたが、経験上ロシア語で話しかけても嫌がるどころか、よく知っている言語だから喜ぶウクライナ人も多いイメージだった。

”こいつは驚いた!!ロシア語が話せるのか!?ロシア語が話せる日本人は初めて見たぜ!!”ウクライナYouTuberの彼は予想通り、ロシア語が話すと喜んでくれた。

”ロシア語なんて難しすぎて話せないよ笑。何個か単語を知ってるだけだよ。キルギスとかウズベキスタンとか旧ソ連の英語は通じないけどロシア語が通じる国が好きなんだ。”そして、いくつかロシア語の単語と自己紹介をロシア語でした。

”日本人がロシア語話すとは面白いじゃねえか!!なあ、兄弟!!兄弟がロシア語で自己紹介するところを撮影させてくれよ!!"

面白いとか、ロシア語話す日本人初めて見たとか煽てられて俺も悪い気はしなかった。それに、ウクライナのYouTuberの動画に出られるなんていい思い出だ。何よりも、ウクライナYoutuberのアンドレイの陽気さが俺は気に入っていた。

”もちろん!!”

俺がロシア語で自己紹介している動画とアンドレイと話している動画はカットされてなければ彼のYoutubeにアップされているはずだ。わずか四ヶ月前はウクライナYoutuberの彼は俺のロシア語を喜んでくれたが、今の彼はロシア語をどう思っているだろうか?

”なあ、兄弟写真を撮らせてくれよ!!”ウクライナYoutuberにそう尋ねられた。

”え?俺の写真なんて撮るの?なんで?”日本人の野郎の俺の写真なんてなんで撮るのか本当に理解できなかった。

”旅で出会った人たちの写真を撮っているんだ!!その方が楽しいだろう?いい思い出になるだろ?”彼は厳つい見た目とは正反対の少年のような笑顔でそう答えた。

こいつ気持ちのいい奴だな。そう思った。俺は旅をして現地の人の写真を撮るのは好きだが、旅した場所で現地人以外の写真を撮るのはダサいことだと斜に構えて思っていた。でも、そういえば初めて旅をした時、出会うヨーロッパの人たちと写真を撮って嬉しかったり、いい思い出になったりしたなと純粋に旅を楽しんでいた頃の自分を思い出した。

”確かにいい思い出になるよな!!写真撮っても構わないよ!!”

彼はカバンから一眼レフのカメラを出すと俺を何枚か撮影した。現地の人の写真は撮影しまくっているくせに、いざ自分が撮られるとなるとどんな表情をしていいか恥ずかしかった。彼が撮影して見せてくれた俺の写真はぎこちない表情をしていた。

”、、、、、せっかくだから、思い出のためにアンドレイの写真を撮らせてくれないか?”せっかくだ、彼の写真も撮らせて欲しくなったが、自分は撮影されたのに、写真を撮らせてくれというのがなぜだか少し恥ずかしかった。

”いいに決まってるだろ!!兄弟!!”少年のような笑で彼は笑った。会ったばかりだが、こいつのこういうところすごく好きだな。そう思った。その時撮影したのがこの記事のタイトルにも使ったこの写真というわけだ。正直、その後データを整理した際に消したかもしれない、残ってるかな?というぐらいの写真だったが、皮肉でもウクライナ危機で彼のことを思い出し、ハードディスクのアルメニアの写真の片隅に無事に彼の写真が残っていたために記事にすることができたのだ。

その後彼はYoutubeで金を稼いでいるという話をしてくれた。いいなあ。好きな事でお金を稼いで好きなことをする羨ましいなあ。その時もそう思ったが、今も心からそう思う。何せ、取材費を考えればナゴルノ=カラバフ難民取材は赤字も赤字、、、大赤字だからだ笑(笑えねえ)。

”兄弟はなんの仕事をしているんだ?”その陽気なウクライナ人のYoutuberは俺にそう尋ねた。

”俺は、、、、”

”俺はジャーナリストだ。難民の人たちに取材に行くんだ!!”俺は人生で初めて見ず知らずの人にジャーナリストだと名乗った。

少し喋っただけの彼のことをなぜ覚えているのかというと、彼が陽気でいいやつでキャラが立っていたのもあるが

”俺はジャーナリストだ。難民の人たちに取材に行くんだ!!”

自分がジャーナリストだと人生で初めて名乗ったのが彼だったからなのかもしれない。名乗ったからにはネットで好きかっていうような人たちみたいに無責任なことは言えない。人に厳しくみられる覚悟もしなくてはならない。それくらいの覚悟がなければ難民取材などするべきではないのだ。

”難民取材のためにアルメニアに来たのか?そいつは素晴らしいことじゃないか!!幸運を祈るぜ。そしてアルメニアを楽しめよ!!”兄弟は少年のような笑顔でそんなことを言ってくれた。なぜだか、彼が俺の門出を祝ってくれているようで嬉しい気持ちになった。

その後少し彼と会話して、俺はバス乗る時間になったために彼と別れた。彼のYoutubeチャンネルも聞きそびれた。写真のウクライナの旅Youtuberを知っている人がいたら教えて欲しい。あれから、四ヶ月。わずか四ヶ月だがものすごい時が経ったように感じる。俺はナゴルノ=カラバフ難民100人取材を終え、ウクライナはロシアにより侵略が開始された。記事を書いている現在3月12日時点。ウクライナはロシアによる侵攻開始わずか二週間で、ウクライナ難民は269万人を超えた。多くの罪なき人がロシアにより攻撃を受け、負傷したり、命を失ったり、故郷を追われ、破壊され、難民と化している。

祖国ウクライナがそんな状況で厳つい見た目なのに少年のように笑っていたあのウクライナYoutuberはどこで、何をし、何を思い、何をYoutubeで発信しているのだろうか。彼の元気な姿を一重でも見たいから、できたらYoutubeお見つけたいものだ。そして、フォトジャーナリストを名乗り、難民を取材している俺は何を発信すべきだろうか。彼はジャーナリストとしての俺に初めて幸運を祈ってくれた人だ。俺も彼の幸運と無事を祈る。フォトジャーナリストとして、難民取材を行ったものとして、何かできることがしたい。彼のことを思い出して記事を書いて改めてそう思った。

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なあ、兄弟、君は今どこで何をしているんだ?そして、今Youtuberとして世界に何を発信しているんだ?

なあ、兄弟。俺はあれから君に名乗った通りジャーナリストとして最初の仕事。難民100人取材をやりきったよ。いつか、もっと実績を積んで自他共に認める立派なジャーナリストになったら兄弟と会いたいもんだ。そして、今度こそ胸を張ってジャーナリストだって名乗りたい。君の同胞たちの声も聞きに行くつもりだ。だから、無事でいてくれ兄弟。

グッドラック(幸運を祈るぜ)兄弟!!

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日本のフォトジャーナリストより

ウクライナのYoutuberの兄弟へ


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