「学校」というものが合わなかった

むかしから、学校というものに馴染めなかった。
たまたま同じくらいの年に生まれただけの他人を一つの建物に集め、基準のわからないままいくつかの集団に分けられ、同じ部屋で同じ話を聞かされることにずっと違和感を感じていた。

勉強は嫌いではなかった。本を読んだり人の話を聞いて、知らないことを知るのは楽しいと感じていた。
そのおかげか、成績は悪くはなかった。悪くはなかったがゆえに学校には通えていた。
しかし中学に上がっても、高校に入学しても違和感を抱え続けていた。

成績が特別悪くない限りは、とりあえず高校までは卒業できる。
試験さえ通れば大学にも入れる。
ここまで、何も考えずただ言われたとおりにやるだけの人生を送ってきた。

大学の講義はある程度は自分で選ぶことができる。
高校までの授業とは違って、大学の講義は週に一度で全15回。
シラバスを見ながら講義を選ぶ。
ここでも違和感があったのが、到達目標がとても曖昧だったこと。

自分のやりたいこととやらないといけないこと、できることのギャップにつまずいた。
ずっとやりたいことがあったから今の大学を選んだ。大学では好きなことを勉強した。
しかしその一方で、卒業するためには決められた講義も受けなければいけない。
興味が湧く講義なら良かったが、中には全然興味がないものも割と多くあった。

そして最も難しいと感じたのが卒業論文だった。
テーマは与えられることもあれば、自分で考えることもある。
そこに関しては特に問題を感じていたことはない。
問題はゼミである。
それまでの講義とは違い、研究室に配属され、その中で教授や研究室のメンバーと発表しあい議論するのがゼミだ。

この時初めて自分と周りとの差に気が付いた。
文章を読むことができなかったのだ。いや、読めるには読めるのだが人の数倍、数十倍の時間が必要だった。文脈を読み取ることも難しいと感じることも分かった。さらに記憶も長く持たないため、文のつながりが理解できず、同じところを何度も繰り返し読むということを繰り返していた。

そんな状況ではもちろんゼミでの話についていけず、論文も書けず、次第に僕は体調を崩す日が増えていった。
そのあとのことは割愛するが、結論だけ言うと「自分がいいたいことを口頭で説明し、それを文字に書き起こしてもらい、体裁を整えてもらうという方法でなんとか卒論を書き終えて無事に卒業した。

あんな経験はもう二度とごめんだ。
僕には「学校」という制度が合わなかったんだとおもう。

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