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死について 〜1〜

最近、死についてよく考える。

実は翌月に心臓の手術を控えている。心房細動のアブレーション治療だ。
心臓は、心房が左右に二つ、心室がその下に左右二つの四つの部屋に分かれていて、内部にある電極から電気を送って筋肉を刺激し、収縮させているのだそうだ。

私の場合、だいぶ以前から指摘されていた不整脈により心房細動を起こしているのだが、簡単に言えば、心房細動により心臓内部に静電気のようなものが不規則に起こって、心臓を規則正しく収縮させるために流れている本来の電気を乱しているため、一定した収縮が行われていないということだそうだ。
そのため、息切れ、動悸、めまいなどが起こり、慢性的な疲労感を感じる。


思えば子供の頃から、学校で集団検診があるたびにほぼ毎回、心雑音があるとか心臓肥大だとか心筋障害の可能性があるとか指摘されていた。

だが、それほどの自覚症状もなく中学では野球部で、高校ではサッカー部で肉体的にはかなり活発だったし、
自分が感じる疲労感は他の人が感じているものと比較する術もないし、グランドを何周も走らされてヘトヘトになっていても、きっと他のヤツらも同様にキツいのだろうと思っていた。


で、差し迫っている心臓手術だが、正直、怖い。

人間、生きている限り、死はいまだ未経験だし、死んだ人が戻ってきて「死後の世界」のことをアレコレ説明してくれるわけでもないのだから。

手術部位が心臓なので結果が死に直結することも少なからずあるだろうし、67 歳という年齢を考えれば身体が健康であってもやはり死はけっこう身近に潜んでいるのだろうし。

そんなことを時にも真剣に、時には漠然と考える今日この頃である。


実は、死にそうになったことがこれまでに 3 回ある。

一度目は小学生の頃だった。

何年の時だったのかはもう正確に覚えていないが、当時テレビで「少年ケニア」という番組があった。
クラスの大半が毎週楽しみに観ていた人気番組だったが、当然、子供たちは休み時間や放課後にその真似事をして遊ぶ。

それはアフリカを舞台に、野生の動物たちに囲まれて様々な試練を乗り越えていく日本人少年の物語なのだが、
私たちも学校の近くの竹藪に入っては、手頃なサイズの竹を小型ナイフで切り、切り口をさらに尖らせては自分のヤリにして、敵味方に分かれヤリを投げ合って遊んでいた。

思い起こせばかなり危険な遊びだった。ヤリが誰かの身体に突き刺さったとか、目に当たったとか、そうした怪我がなかったのが不思議なくらいである。

小型ナイフだって、小学生が常時ランドセルに持っているとしたら今なら大騒ぎになるだろうが、当時は工作の時間にはもちろんのこと、鉛筆を削るにも、捕まえた昆虫を解剖するにも日常的な道具としてフツーに使っていた。

とにかく、そんな「少年ケニア」ごっこの最中に死にそうになったのである。


これは授業と授業の合間の短い休み時間にできるような遊びではなかったので、昼休みはドッジボールとかキックボールをして我慢し、待ち兼ねた放課後がやって来るといつものグループはランドセルを背負ってこの竹藪まで猛ダッシュするのだ。

私の小学校は、お椀を伏せたような形の小高い丘のてっぺんにあり、その周辺を取り巻くように新興住宅が作られていた。
この竹藪の場所は学校のすぐ近くで、丘のてっぺんにある学校を出て竹藪に入っていくと竹藪は突然途切れて、その先が崖になっていた。
崖は 10 メートルから 15 メートルほどだったと思う。

子供の目には自分の身長を超えるものは何でも大きく見えるので、実際にはそれほどでもなかったのかもしれない。で、崖の下には住宅が建っていた。

しかし、この住宅の存在を知ったのは、この「死にそうになった」事件の後のことである。
つまり、崖がそこにあったことをその時までは知らなかったのであり、知っていたならこの事故は起こるはずがなかった。

私たちはとにかく夢中になって「敵」の子供にヤリを命中させようとしていた。

そんな中で、たまたま私が追いかけていた相手の逃げる先に数人の伏兵がいた。
なんと待ち伏せを喰らってしまったのである。追う側が追われる身となった。私は竹の生い茂る藪の中を無我夢中で走った。

その時、足元からパッと地面が消え去ってしまったのだった。
竹藪の途切れたところがほぼ直角の崖になっていたのである。
突如おろす地面を失った私の足は空を切った。
そして、私は重力の法則に忠実にしたがって降下を始めたのだった。


人はよくこんな瞬間に、それまでの人生を走馬灯のように見ると言うが、思い返してみると、この「一瞬」は不可思議にもかなり膨張した時間だったように思う。

この「一瞬」のあいだに、私は、もしここで自分が死んだらきっと両親はさぞかし悲しむことだろう、とか、残された私の友だちはこの「事故」をどうやって先生や親たちに知らせるのだろう、とか、死んだらやって来るのは救急車なのかパトカーなのか、とか、その時に自分の身に起こっていたことよりも「死」と比べたらどうでもいいようなことを心配していたからである。

次の瞬間、我に帰った私は、自分の右手が崖から生え出ていた木の枝 ( ひょっとしたら外に伸び出ていた根だったのかもしれない ) をしっかりと掴まえていた。

今思えばそれもまた驚異である。

これだけの勢いで飛び出して、重力が加算された身体を、なんと右手一本でぶら下がっていたのだから。崖の下に住宅が建ち並んでいたのを知ったのは、右手一本で枝を掴んでぶら下がっていたこの時だった。

もしこの時が私の運命の時だったなら、その後私が歩んできた人生はなかったのである。

すべての経験、出会ったすべての人、その結果として生まれてきた子供たち、孫たち、創り上げてきた家族や親戚は存在しなかったのだろう。


死について考えている。

死について考えると「終点」の「死」に至るには「出発点」である「誕生」に必然的に至る。

一つひとつの命、一人ひとりの人生は確かにちっぽけではある。
が、その小さな粒のような人生が起こす波紋効果もほぼ無限大に広がっていく。

この章には、まだあと二つの「死に損ない」経験があります。
( つづく )

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