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女であること

明日の授業のために課題をやらないといけなかった夜だけど、
急な友達からのヘルプに応えてたらもう一時。
そのヘルプの内容に関することで、色々最近思うことがあって、
課題をとりあえず置いといて、noteを書くことにする。

note書いてないで課題やれよって思ったそこのあなた、
私もそう思っています。安心してください。(?)

とりあえず、友達からのヘルプの内容は、
ざっくり言うと男女の関係について。

本当に、最近アメリカ出身の友達と話した時も
この話題になって。

まず大きく分けると今日書きたいトピックは二つ。

一つは、セクハラ、そして女性であるが故の生きづらさが
全世界共通であること。

そしてもう一つは、男女の友情について。

一つ目のトピックに移る前に、断りを入れておきたい。
私は、男性はみんなこう、女性はみんなこう、
と言いたいわけでもないし、
世の中のジェンダーは男性と女性のみ
とも思っていない。
性にとらわれない人もいれば、
いわゆる「男性」、「女性」として生きる人もいて、
それらのカテゴリではないカテゴリとして生きる人もいて、
なんだろう、うまく説明するのが難しいけれど、
ジェンダーにはすごく多くの可能性、選択肢があると思っている。
だから、いろんな可能性を考慮したいところだけれど、
ここでは俗に言う「男性」そして「女性」にフォーカスして
書きたいと思う。

私は、いわゆる俗に言う「女性」として生まれ、表面上でも
「女性」として生きている。
私のジェンダーアイデンティティが女性であるかどうかは
また別の機会に話したい。

今日はとりあえず私が「女性」として生きている上で
経験したことも少し含めつつ書こうと思う。

断りの部分が長くなってしまったけれど、
話を戻すと、まず、セクハラが全世界共通であること。
「全世界」という言い回しは少し盛ってしまったかもしれないが、
少なくともアメリカと日本では共通。

私は、周りに「セクハラや痴漢に遭った」人がよくいる。
私含め。
そういう経験をしたことがない方が珍しいくらい。
悲しいけれど、認めたくないけれど、
これが女性として生きる現実だと思う。

日本でも、こういうことがあったよ、という話をしたら
友人が「私もアメリカであった、いつもペッパースプレーを
持ち歩いていた」と教えてくれた。
スプレーを実際に使ったことはないそうだが、
いつでも頭の片隅で危機感を持って行動しなければならないという感覚は
日本とアメリカの間でも共通なようだった。

その話をしている時、お互い「わかる!」と共感の嵐だったけれど、
本当に共感をしたくないトピックだった。
決して共感をしてはいけないし、
みんなが共感できるくらい、
女性が常に危機感を持って行動していて、
何かしらの何かしらの性被害に遭った事がある、
それが当たり前である社会に絶望を覚える。

女一人で旅行をするとき、
女一人で家に帰るとき、
あまり知らない誰かと会う時、
何をする時も、
少なからず誰か一人には心配される。

そして、それに対して、自分も少し、危機感を持っている。

それでもチャレンジし続けるけれど、
たまに夜道で後ろを歩く人に過剰にビビってしまったり、
あまり知らない人と会うときは、望まない展開にならないように、
服装も露出を控えめにしたり、
誤解を招かないように自分の言動に常に気を配る。
それが無意識であることも多い。

あー、なんて生きづらい世の中なんだろうな。
今書いててふと思ったわ。

これを書くと「自意識過剰すぎるだろ!」とかって
思う人もいてそうだけれど、
今社会で「女性」として生きている人には
共感しやすいことではないだろうか。

知らんけど。
とりあえずこれ言っとけば良いと思ってる節あります、
スミマセン。

長くなりそうだから駆け足で二つ目のトピックに行くことにする。

二つ目は、男女の友情について。

私は、男女の友情って絶対、絶対絶対成立すると思うタイプなのね。

けれど、周りの話を聞いていたり、
男女の友情が壊れた経験をしていたりすると、
「あれ、成立しねえのかな?」って思うこともあるし、
100%友達として接してくれている男性を
少し疑ってしまったりする自分もたまにいる。
矛盾してるよなー。

そんなときに、さっき話したアメリカ出身の女の子に
「日本って、男女の友情成立しなくない?
私、アメリカでは男の子の友達も多かったけど、
日本に来てから成立しないことが多くて、
今は日本で男の子の友達が少ししかいない」
って言われた。

やっぱそうだよね???やっぱそう思うよね?!?!

日本はこう。アメリカはこう。って話をしたいんじゃない。

けど、あまりにも成立しなさすぎるのよ。

私とは100%友達でいてくれる男性でも、
私の友達に手を出していた話を聞くと一気に信用できなくなる。
友情の終焉である。

以前、私は結構男性と友情を維持できるタイプだと自負していた。
けど、それでもうまくいかないことも数回あった。
そして、友人である男性が、他の女性に対して、
相手が彼のことを完全にそういう目で見てないにも関わらず、
「あの子いっちゃおうかな」
「一緒に旅行する、ご飯行くっていうことはそういうことだよね」
と思っていることを話してくれることも数回あった。

えええ、、、だめだよ、、、
コンセント(同意)って言葉知ってる…?

同じ人間なのに、性別が違うだけで急に
友情が維持できないのが本当に謎。
これは男性だけでなく女性においても言えること。

何が彼らを、私たちをそうさせているんだろう。


ちょうど今、小川たまかさんの
『被害者視点にかけた日本の刑法の性犯罪規定』という文献を
読んでいて、そこに印象的なラインがあったので引用してみる。

性交は、ある場面においては愛の行為であり、ある場面ではそれ自体が相手を傷つける暴力となる。非常に危うい行為であるにもかかわらず、ほとんど何の教育も受けずに成人する。その結果として、個人が持つ常識に大きな差がある。「一緒に食事するのは性交をOKしたのと同じ」「女性は嫌がっているフリをするので強引さが必要」といった通説を誰にでも当てはまると信じ込んでいる人もいる。そして加害者が同意を誤信したことが法廷でも肯定されてしまうことがある。性行為によって負担を負いやすい存在である女性や、性暴力被害者になりやすい子供の視点が、今の社会には欠けている。

『被害者視点に欠けた日本の刑法の性犯罪規定』小川たまか

ほんっっっっとうにこれ。
マジで、これ。

こういうことを考えると、
やっぱり教育ってすごく大切だなと思うし、
留学を通してこれから教育について学ぶ自分の
モチベーションがすごく高まる。

マジでさ、どうやったらこの状況なくせるのかな、
って考える日々。

このトピックは本当に、話したら止まらなくなる。

今日はこの辺にしておこう。

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